ぼっち・ている
@toromiito20000712
灰色の雛
遠い日の御伽
『――――そうして、かつて灰色の雛だった彼は、成長した白い翼をはためかせ、仲間たちとともに青空へ向かって飛んで行くのでした』
懐かしい物語を語る彼女の優しい声が、静かに響いた。
雲が晴れたのか、窓から淡い月明かりが差し込み、薄暗い室内をそっと照らし出す。
物の少ない部屋、簡素な机と椅子、木製のベッド、そこに横になるわたし。
そしてその隣、安心させるようにわたしのお腹をトントンと叩き、頬杖をつきながら穏やかな眼差しをもって見つめる、彼女。
――――ああ、これは夢だ。
彼女の声を聞いて、目前の情景を認めて、わたしはそう確信した。
寝つきの悪い幼いわたしが眠れるようにと、彼女は毎晩おとぎ話を語ってきかせてくれていた。
彼女の口から溢れる物語はいつも優しくて、そんなおとぎの世界が、わたしは大好きだった。
『うし、今日の物語は終わり。もう寝るぞー…………って、何かいいたそうだな。どうした?』
わたしのどこか不満げな表情に気がついてか、女性らしい容姿にはにつかわしくない口調で彼女がそう声を上げる。
その発言を受け、言葉を探すようにゆっくりと、幼いわたしは舌足らずな口を開く。
『…………うん、えっとね?水にうつる自分をみるまで自分のしょうたいに気づかないっておかしくない?ふつう、みんな黄色で自分だけ灰色だったら、みんなとはちがうんだってすぐ気づくでしょ?』
『うわ、かわいくねーこといいやがるこのガキ。…………おかしくないおかしくない。いいんだよこれで。物語ってのはそういうもんだ』
彼女はいくらか投げやりな調子でそう口にする。
だが、そんな言葉で納得できるほどこのときのわたしは大人ではなかった。
『えー、おかしい!ぜったいおかしいよ!えーと、そう!りありてぃ?が足りないんだよ!』
『どこで覚えたんだよ、そんな言葉…………。いや俺か。えー、いつそんな言葉使った俺…………?』
戸惑う彼女を無視して、幼いわたしは続ける。
『それに、兄弟たちもおかしい!家族なのに色がちがうだけでいじめるなんてひどいよ!』
彼女が語った、自身とは異なる種に混じって生まれ、醜いと蔑まれて育った、灰色の雛の物語。
家族なのに、兄弟なのに、なぜ彼らは見た目が違うからといって灰色の雛をいじめるのか。このときのわたしには、どうしてもその理由がわからなかったのだ。
『…………まあ、それは確かにな。でも、俺にはこの兄弟たちの気持ちもわからんでもないぞ?』
『やっぱり、心がよごれてる人はおなじように心がよごれてる人の考えがわかるんだね』
『どういう意味だおい、誰の心が汚れてるって?はぁ……、まあいい。この兄弟たちは、きっと、灰色の雛のことが怖かったんだよ』
わたしの瞳をまっすぐに見据え、彼女はそう答えた。
『…………??怖いなの?きらいとかむかつくとかじゃなくて?それって何だかおかしくない?』
彼女の言葉を聞いてなお、いや、聞いたからこそなおさらに、灰色の雛の兄弟たちのことがわからなくなった。
『まだガキンチョのお前には難しいかもしれないが…………。そうだなー、例えば、俺たちが住んでいるこの屋敷に新しく知らない奴が住むことになったら、お前はどう思う?』
『ええ!?そんなのヤダヤダヤダ!?ぜったいにいや!!わたしぜっったいみとめないからね!?』
わたしの明確な否定を受け、彼女はその表情に呆れを滲ませながら、再度疑問を投げかける。
『例えばっていってんだろーに…………。だが、どうしてそんなに嫌がるんだ?』
『だって、知らない人といっしょに住むってだけでこわいし、何するかわかんないのもこわいんだもん』
当時のわたしにとって、いや、現在のわたしにとっても、赤の他人というのは恐怖の対象でしかないのだ。
故にわたしはそう答え、けれど、彼女は小さく笑い、続けた。
『だろうな。兄弟たちも一緒だったんだよ。いくら自分たちの兄弟でも、こんなに色が違うこいつは何なんだ、こいつ俺たちに何かするつもりなんじゃ、ってな。その灰色の雛のことを知らないからこそ余計に怖くなっちまう。そんで怖いからこそ、そいつを虐めて自分たちの方が強いんだって安心したかったのさ』
――――知らないから怖くて、怖いから安心したくて、安心したいからいじめる。
彼女が口にした理屈は、わたしの胸にストンと落ちた。
そういうことだったのかと、思う。そして、それなら、とも。
『なんだ、まだなんかあるのか?』
彼女が問いを重ねる。
わたしもまた、新たに生まれた疑問をたどたどしく彼女へ向けた。
『…………うんとね?じゃあ、どうしたらみんな仲よくなれたのかな?灰色のひなと兄弟たちがずっと仲よくなれないのは、なんだかちょっといやだなって…………』
物語の最後、灰色の雛は自分の本当の仲間を見つけ、共に青空へ飛び立つ。
それまでずっと辛い目にあっていた彼がついに報われる、めでたしめでたしなエンディング。
けれど、灰色の雛と兄弟たちが仲直りすることはなかった。わたしにはその結末が、なぜだかひどく寂しく感じられたのだ。
『互いにもっと話し合えば、お母さん鳥に仲を取り持ってもらえば、なんて、月並みなことならいくらでもいえるが…………。なかなかどうして、俺たちからしても難しい問題だよなぁ』
視線を宙に向け、独りごちるようにそう溢す彼女。わたしの視界に映るその姿が、輪郭が、少しづつぼやけ、ほどけていく。
自らの意識がゆっくりと遠ざかっていくのを感じ、現実に帰る時間なのだと気づく。
『……………………』
形を失っていく世界で、彼女の手がわたしの灰色の髪に触れた。
『そうだなぁ、もしお前が灰色の雛だったら、どうしてた?』
もう何も見えないけれど、もう何の感触もないけれど、彼女の慈しむような声だけが。
『――――なあ、セツ?』
そっと、届いた。
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