コンビニ夜メンの万波さん

かららん

第1話

『彼』と出会ったのは、コンビニの深夜アルバイトだった。


万波ばんぱさん、補充済みました」

 バックヤードから扉を開け、カウンターに向かって声を掛けた。数秒後、深夜の閑散とした空気と店内BGMが混ざり合った世界で、少し掠れた気だるげな声だけが返ってきた。

「おう」

 コンビニアルバイトの先輩である万波さんは、少し素っ気ない。とはいえ、一年も一緒に働いていたら、こんなものだろう。

「お客様来ました?」

「んや。ひたすら暇」

「だったら万波さんが補充やってくれたらよかったのに」

 狭いカウンター内をボヤきながら行くと、レジ横に気配を感じる。見れば、だらしなくカウンターに頬杖をついた後姿があった。

「あ? 先輩、に、何か言ったか?」

 特に脅すような台詞ではないのに、圧を感じる。怖いなあ、もう。

「うわ……降ってきましたね」

 何気なく外を眺めて気付く。いつしか雨が降り始めていた。街灯に照らされた駐車場が震える光を反射している。

 行き帰りの煩わしさを思って溜め息をついていると、万波さんが苦笑した。

「いいじゃねえか。朝には止むだろ」

「傘持ってきてないんですよ」

「気にすんな、気にすんな」

 手をヒラヒラさせた万波さんは、カウンターに頬杖をついた。

「濡れたって構うか。どうせ人生八十年分のうち、三十分程度のめんどくささだろ」

「そう言われると、どうでも良くなってきますね」

「単純な奴」

 万波さんは鼻で笑った。単純で悪かったですね。胸の内で悪態をつき、レジ袋へ入れるチラシを折り始めた。

 このバイトを始めてから、万波さんには色々とお世話になった。そのせいか、強く出られると逆らえないところがある。でもそのままやり込められるのも悔しくて、彼の口元を指差した。

「……万波さん。店内でタバコは、まずいですよ」

「タバコじゃねえよ、禁煙補助のアレ」

「いやいや似たようなものじゃないですか」

「ニコチンゼロだぞ」

「だめですよ。ただでさえ万波さんは、お巡りさんによくお話し聞かれるんですから。えっと、ほら……」

 見上げてくる『先輩』の瞳は黒目がちで、ツンとした猫のよう。

「童顔すぎて……」

 万波さんは足元をスニーカーの爪先で軽く蹴った。彼が踏み台にしているプラスチックのコンテナが、ぽこん、と間抜けた音を立てる。古いコンテナの横には雑な字で『万波専用』と書かれたコピー用紙が貼られていた。

 さっきは童顔と濁したが、万波さんは全体的に、小柄だ。背丈はこっちの肩より低い。加えて、あどけない容姿。はっきり言ってしまえば、小学生にしか見えない。

 しかし、ふとした時に漂わせる冷めた空気はひどく大人びていて、そんな時は決まってぞくりとする艶やかさがあった。

 初めて万波さんに出会った時は、何かの間違いだと思った。店長の孫がお店屋さんごっこにでも来ているのかと。

 そうでなくとも、深夜帯はもちろん、バイト自体アウトだろうと店長に詰め寄ったことを覚えている。

 しかし店長も万波さんもその全てを否定、却下した。特に老いた店長は、ニコニコして『大丈夫、大丈夫』と言うだけだった。はっきり言って大丈夫じゃないと思った。

 警察官と万波さんが、年齢のことなどについて話をしているのを何度も見かけた。その度に肝を冷やすのだが、結局お互い分かり合えた顔で、清々しく礼儀正しく別れることになるのだ。どんな説明をしたのか、ミラクル通り越してイリュージョンの域だと思う。

「大丈夫だろ」

 思索を破るように、万波さんは口を開く。見下ろした先で、少し長い髪の陰から淡々とした目がこちらを捉えた。

「俺こう見えて17歳だし」

「あー、それなら……って。17歳⁉ やっぱりNGですよ!」

 勢いよくつっこむ。え、ほんと? 本当に17歳⁉ だったらバイトもアウトなんですけど⁉ こっちの不安の眼差しをものともせず、万波さんは人気のない店内を見るともなく眺める。

「んじゃ、吸血鬼ならOK?」

「そこでなんで妖怪的な方向に行くんですか! OKとか以前でしょ!」

 からかわれているんだろうか。万波さんはよくこうやって人を玩具にするところがある。怪訝に思った時、彼は小さく笑った、

「や、これはホント」

「は?」

 万波さんは咥えたパイプを指に挟み、こちらに向き直る。

「吸血鬼なんだよね、俺」

 唐突な話に、声も出ない。黙りこくっているうち、万波さんがゆっくりと話し始めた。

「その昔、人に退治されそうになって、アワアワ海を渡ってきた吸血鬼一族がいてさ。こっそり血を分けて貰いながら現在まで細々生きてきてんの」

 なんかうっかり信じてしまいそうな話だ。その辺のファンタジー漫画とかで使われていてもおかしくない。でも、それを信じるには少し抵抗がある。

「万波さん昼シフトだってするし、昼メンのバンドマンな松崎さんが着けてる十字架アクセサリー、普通に見てたし褒めてたじゃないですか」

 薄っぺらい知識を元に、万波さんの話を否定する。しかしこの人は怒るでもなく、嘘を認めるわけでもない。少しも動じず、むしろ呆れ顔で肩を竦めた。

「言ったろ、日本に渡ってきたのは昔の話なんだって。そこから人間と山ほど交配して、吸血鬼の血はうすーくうすーくなってるわけよ。おかげで昼も歩けるし、十字架なんて十字路並にどうでもいいんだよな」

 それもまあ頷ける理由だ。他になんかあったかな。論破できそうな要素を探して店内を見回し、思わず棚の一角を指差した。

「ぺっ、ペペロンチーノはどうなんです⁉ 食べませんよね⁉」

 そこはレジから良く見えるパスタの棚。万波さんは、ああ、と顔をしかめた。

「平気だけど、個人的に胸焼けする匂いと味だから食わねえだけ」

 あああ! そういう人いますよねえええ! 逆に納得させられ、頭を抱える。

 もしかして、本当に、本当にそうなのかな……? ちらりと隣の万波さんを窺う。すでに彼は退屈そうな顔で、のんびりレジ袋に入れるチラシを折っていた。

 幼い横顔。小さな手。なのに年上のような落ち着き。大人びた言動と、表情の艶やかさ。

 これって、見た目と年齢が合ってないからじゃないのかな。吸血鬼って、ちょっとやそっとじゃ死なないって言うし!

「それじゃ、万波さんが童顔なのって不老不死とかそういう⁉」

「ブ ――――」

 やる気のなさそうな不正解ブザーが飛んでくる。違ったようだ。肩を落としていると、万波さんは伏し目がちに言葉を紡いだ。

「その反対」

「反対?」

「多種族の血混入しまくって、歪みが出てんだ」

「……歪み」

「成長は今のこれでストップ。年齢は ――」

 わずかなためらいを、感じた。戸惑いがちに見つめる先で、万波さんがまた一枚折ったチラシを放った。

「十七歳で終了」

 十七歳。その年齢に背筋が寒くなる。だって、この人は話していたじゃないか。

「万波さん、さっき十七歳って……」

「そーだな。長生きだろ、ヤッター」

「ヤッター、じゃないですよ! う、嘘でしょ。そんなのない……みんな大体八十歳まで生きられるのに、十七歳とか、万波さん吸血鬼なのに、そんな……!」

 自分でも、なんでこんなに慌てているのかわからなかった。唐突に死を突き付けられたからだろうか。その残酷な終焉が、ここにいる小さな先輩へもたらされるものだということに、納得できないからだろうか。

 どうしよう。どうしたらいい? このまま沈黙したら、この人の終わりが確定しそうで、まとまらないまま声を張った。

「吸血鬼……あっ、血! 万波さんにこの血、献血します! 昔っから血が綺麗だって健康診断で評判だったんです! 玉ねぎ好きなんでサラサラですよ!」

「お前さあ」

 必死な声を万波さんが遮る。思わず言葉に詰まる目の前で、彼は意地の悪い笑みを浮かべた。

「ほんっと、お人好しな」

「え……」

「こんな話、普通信じる?『冗談でもおもんないわー』って、笑い飛ばす奴ばっかなのにさ。セールスとか、オレオレとか気をつけろよ」

 万波さんは、カウンターの下に貼ってあるメモを指で弾く。それは防犯用に『現金送れは犯罪です』と店長が書いたもの。その軽い音で、知らないうちに張り詰めていた緊張が少し緩んだ。

「あ、そうですよね……そっか、冗談……」

「天然かよ」

 声を立てて笑う万波さんは、いつもより明るい。それがささやかな違和感となって、言葉にできない居心地の悪さを覚えた。

 救いを求めるように視線を動かした外は、音もなく降りしきる雨。確かにそこに在るのに、直に感じられないそれが不安を煽る。雨音よりクリアに耳へ滑り込む彼の言葉が、ひどく心を乱した。

 でも、これは万波さんの『冗談』なんだ。こんな湿っぽい夜だからか、まんまと騙されてしまった。本気になっていた自分が、恥ずかしい。

 馬鹿げた想像を忘れようとチラシを手に取った時、万波さんが「なあ」と、口を開いた。

「本当にくれんの、お前の血」

 まだ引っ張る気なんだろうか。でもその手にはもう乗らない。驚いてなんかやりませんから。チラシの角を揃えながら、ぞんざいに頷いて見せた。

「どうぞどうぞ、ストローお付けしますか?」

 わざとらしくマニュアルトークを添え、接客用のスマイルで応戦する。万波さんは一瞬きょとんとしたが、つられたように笑った。

「あ、結構です」

 小さな手が、咥えていたパイプをゴミ箱に放る。自然とそれを目で追っているうち、気配が間近に迫った。

「マイストロー、持ってますので」

 声が、上から響いてきた。顔を動かせば、数秒前にはいなかった長身の青年が微笑んでいる。同じ制服、そのどこか意地悪な笑みは、長く共にいた誰かのものによく似ていた。

 息を呑んだ瞬間、彼の夜闇のような口腔に、白く鋭い牙だけが浮かび上がって見える。そんな、まさか ―― 呆然と立ち尽くすうち、聞き覚えのある少し掠れた声がまとわりついてきた。霧のように、蜘蛛の糸のように。

「ひとつ言い忘れたんだけどさ」

 生暖かい息が耳元に触れた。指が震え、握っていたチラシが零れ落ちていく。

「うちの一族の作法で、舌から飲ませてもらうんで」

 気配が、更に迫った。『彼』の黒い瞳へ、混乱と恐怖と、一握りの期待に彩られた『贄』が映りこむ。

「いろんな意味で、ごめんな」

 冷たい唇。うるさいだけの、白々しいラブソング。音のない雨はまだ止まない。

―― 夜明けまで、あと一時間。




 その夜を最後に、万波さんは店を辞めた。

 店長は、とても残念がっていた。かなり引き止めたけど、駄目だったそうだ。未練なのか、いつか戻ってきた時のために、と、店長が踏み台のコンテナを倉庫にしまっていた。

 音を立てないよう、倉庫を開いた。貼りつけられたままの、ぶっきらぼうな『万波専用』の文字を指で辿る。

 万波さんは、もう現れないだろう。この愚かでちっぽけな人間の生に、決して交わらない。根拠はないが、確信していた。あの人の『晩餐』は、終わったのだ。

「お別れくらい言わせてくださいよ。最後まで失礼な人だなあ」

 悪態をつく舌が痛む。口を押えて唸った。この痛みが癒えてしまえば、全部、おしまい。固く閉じた目が、熱かった。

「この、ひとでなし」

 でも、どうか、ああ、どうか、せめてこのささやかな献身で、彼が今日この夜も生き永らえていますように。

 昨日までの雨が、雪となり、情けなく天を仰ぎ立ち尽くす頬に降りかかる。その優しい冷ややかさは、今はもういないあの人の体温を思い出させた。




 それは、どこにでもある深夜のコンビニエンスストア。カウンターには、頬杖をつく小さな人影。ちらつく雪にそっと目を細め、『彼』は傍らの気配へ問いかけた。


「なあ、お前さ、吸血鬼っていると思う?」




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