【放課後のたこ焼きと君】2

 放課後、清史郎はなるべくゆっくり教室を出た。

 焦って逃げたと思われたくなかった。弱味を見せれば付け込まれる。清史郎は経験としてそれを知っている。

 朝の白石以来、誰も清史郎に話しかけてこなかった。けれど視線は感じた。ひそひそと清史郎の方を見て、なにかを囁きあっていた。

 清史郎は一日中、注目を浴びて過ごした。気にしていないふりをするのは意外と疲れる。かといって負けたくない。別に一人でも平気だから、ただ放っておいて欲しかった。

 誰も自分を知らない場所に行きたくて、普段は降りない郷里駅で降りて、駅直結のショッピングモール、ジャストに入った。

 明るいBGMが、今日はやけに耳に刺さる。左右に並ぶショップの中に惹かれる店は特になく、目に入ったフードコートになんとなく入った。

 味の濃いものが食べたくて、たこ焼きを買った。青のりも鰹節もマヨネーズもかけてもらい、コーラとたこ焼き皿の乗ったトレーを受け取った。

 昼食とも夕食ともつかない時間だというのに、割と座席は埋まっていた。たこ焼きの匂いを嗅いで、腹が鳴った。いい場所はないかと端の方まで歩く。電車の見えるガラス席が比較的すいていた。今日は雨が降っているからたいして景色は良くないけれど、清史郎はそれでも構わない。

 座ろう、と近付いたとき、清史郎と同じ制服を着ている男が目に入る。

「あ」

 川口だった。川口は清史郎の視線に気付くことなく、教室で見かけるのとまったく一緒の姿勢でソファーに座り、本を机に広げ、肘を付き、前かがみになって読んでいた。カップルと年寄りと女たちばかりのフードコートで、明らかに川口は浮いていた。

 川口も家に帰りたくないのだろうか。

 自然とそう考えてしまうのは、清史郎もまたそうだからだ。家には舞子がいて、謙一朗がいる。帰る場所はあるけれど、まっすぐ帰りたくはない。川口もそうなのだろうか。

 少しだけ、川口に興味が沸いた。今朝の様子からすると、向こうもまた清史郎が気になるのかもしれない。教室では話しかけなかったけれど、ここでは誰も、清史郎のことを気にしていない。話しかけてみよう、と思った。

「よう」

 川口の向かいの座席の椅子を引いた。川口は顔を上げた。

「なにしてんの? こんなとこで?」

 川口は驚く様子もなく、「本読んでる」と答えた。そしてすぐ、視線を本に戻した。

「なんでここで?」

「家に帰りたくないから」

「なんで?」

「教えない」

 清史郎は「ふうん」と言いながらたこ焼きを頬張る。熱い。ソースとマヨネーズと鰹節と青のりの香りが、それぞれ主張しながら鼻を抜けて行く。美味しい。

「なんか食わないの?」

「お金勿体無いし」

「小遣いもらってないの?」

「あるけど。別のことに使いたいから」

「腹、減らないの?」

「うんまあ別に」

「いつもここにいんの?」

「うん。大体は」

 会話が途切れる。清史郎はコーラを飲む。甘い。あとから思い出したように、控えめな炭酸が口の中で弾ける。

「なんで教室で、俺のこと見てたの?」

 川口は清史郎の目をじっと見た。

「なんだよ」

「……いや、なんとなく」

「なんとなく、なんだよ?」

「疲れてるように見えたから」

 清史郎は、川口の言葉を噛み締めた。疲れてるように見えたから。自分は、そんな風に見えていたのか。

「……知った風な口、聞くなよな」

「聞かれたから、答えただけだけどね」

 再び文句を言おうと口を開いたとき、胸ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。すぐに手に取り、確認する。舞子からの着信だった。川口を見る。川口はどうぞ、というように手のひらをこちらに見せてきた。放置するわけにもいかず、通話アイコンに触れる。

「なんですぐに出ないの! 学校はもう終わってるはずでしょう!」

 舞子の叫び声が耳に刺さる。

 咄嗟に返事が出来ずにいると、舞子は「本当に愚図ね」と続けた。

「とにかく早く帰って来て。お兄ちゃんが大変なの!」

「兄貴が、どうしたの?」

「車で事故を起こしたらしいの。とにかく一大事なの。早く帰って来なさいよ。こんなときくらい、役に立ってちょうだい!」

 清史郎が返事をする前に、電話は切れた。深く溜息を吐く。目の前の川口と目が合う。

「あー……」

 事情を説明すべきかどうか迷ったが、舞子のあの声量なら、聞こえていてもおかしくないことに気付く。

「なんか兄貴が事故ったらしいから、俺、帰るわ。これ、残り、食っていいよ」

 たこ焼きのトレーを川口の方に差し出す。川口は「ありがとう」と素直に受け取った。

「なんだろうな、俺の兄貴、引きこもりだから、事故なんて起こすはずないのに。あ、でも、一応車の免許は持ってんだ。ちょっとだけ大学生しててさ、そのとき、大学行くの嫌で、教習所ばっかり熱心に通ってて」

 清史郎ははっとして、そこで口を閉じた。

 どうしてこんなに、ペラペラと話してしまっているのだろう。ほとんど関わりのない、こんなやつに。

「とにかく、俺、行くわ。母親の勘違いかもしれないし、大したことじゃないと思うんだけど」

 無理に笑顔を作って見せた。しかし、川口は表情を変えることも、事情を深く聞こうとすることもなく、「じゃあね」とだけ言った。

「ああ、うん。じゃあな」

 なんとなく、肩透かしを食らったような気になる。反応が薄すぎるというか、なんというか。

 しかしすぐ、そんなことを考えている場合ではないことに気付く。

 今は川口どころではない。とにかく急いで家に帰らなくては。

 フードコートの中を早足で抜けるときも、電車を待つ間も、電車に揺られている隙にも、何度もスマートフォンで時間を確認した。

 何度見ても家に着く時間が早まるわけではない。分かっていながら、見てしまう。

 謙一朗が心配で、というわけではない。とにかく舞子の機嫌を損ねたくなかった。

 舞子は母親の仕事をきちんとこなす。毎日の食事も弁当もきちんと用意してくれるし、小遣いもくれる。清史郎はこれまで、生活に必要なものに関して、不自由したことがない。

 その一方で舞子は、「完璧」を求める。完璧な夫、完璧な息子、完璧な自分で家庭を築きたいと思っている。

 その役割を、清史郎は果たせない。だから、舞子に嫌われている。

 舞子は清史郎を冷たい目で見て「どうしてあんたはそんなに出来が悪いの」と言う。清史郎としては、舞子を困らせるつもりなんてないのに、いつも何をやっても、舞子の期待する水準に届かない。

 小学校では「落ち着きがない」と言われ、中学校では「協調性がない」と言われて孤立した。成績は悪くないが、舞子が満足するほどではない。だからいつも、「うちで出来が悪いのはあんただけ」と言われて育った。

 本当は嫌われたくない。褒められたい。でも、うまくいかない。だからせめて、舞子の言いつけに背かない。そう決めていた。

 またスマートフォンで時間を確認する。一分も経っていない。耳に栓をされたような閉塞感を感じる。背中に汗もかいている。とにかく一刻も早く家に帰りたい。頭に浮かぶのはそれだけだ。

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