エピソード 9

 旦那様は、『君を愛しているとは言えない』と口にした。

 それを聞いた私の口元に笑みが浮かぶ。


「言えないのではないでしょう? 旦那様は言いたくないだけです」


 私に惚れているのでしょうと、ややもすれば傲慢な言葉。だけどいまの私には確たる自信があった。そうして胸を張る私に対して、旦那様は苦笑した。


「……そうだ。だから絶対に言うことはない」

「私が望んでいるのに?」

「君が望んでいたとしても、これは俺の願いだからな」

「私を幸せにはしてくださらないのですか?」

「生きていれば、いつか幸せにだってなれるはずだ」


 そうかもしれない。

 母が倒れ、父が亡くなり、家が没落して借金の形に売られた。行き着く先は地獄しかないと思っていた。そんな私がいまここにいる。


 もしかしたら、旦那様を失った先にも幸せな未来はあるのかもしれない。

 だけど――


「それは、私が望む幸せじゃありません。私を救ってくださったのは旦那様です。旦那様に愛していただけるなら死んだってかまいません。それが私の望みです」

「死ぬのが望みだなんて、そんな悲しいことを言うなっ」

「旦那様も同じではありませんか! 助かる道があるのに、私のために犠牲になろうとしている。そんなにも私が大切なら、愛していると言ってください!」

「――っ」


 私の説得に、旦那様は肩を震わせた。

 それから「俺だって、本当はそうしたいと思っている」と呟く。


「なら、言ってしまえばいいじゃありませんか」

「キミは優しいな。最初に会った不遜な王女様というイメージではなかったが、やはり君は素敵な女性だった。もしもあと少し説得されていたら、俺はきっと折れていただろう」

「……だったら、旦那様の負けですね。だって、あと三十分はありますよ」


 部屋にある時計をちらりと見て時間を確認する。

 だけど、次の瞬間、私はゾクリと悪寒を覚えた。


「――旦那様、まさかっ!」

「ああ。君は優秀で行動力もある。こうして、パーティーから半日で真実にたどり着くこともあるかもしれないと思っていた。だから、屋敷の時計の針を少し進めておいたんだ」


 君が出掛けている間にねと、旦那様は茶目っ気たっぷりに笑った。

 私は慌てて席を立ち、ローテーブルの横から回り込んで旦那様の前に駆け寄った。そうしてソファに片膝を掛けて旦那様の胸ぐらを掴む。


「何分ですか! 何分、針を進めたのですか!?」

「およそ三十分。ほら、そろそろ刻限だ」


 旦那様が胸元の魔法陣を指し示す。そこに刻まれた魔法陣の掛けている部分にじんわりと図形が浮かび上がるところだった。

 禍々しい図形。それが完成した瞬間、旦那様は死ぬのだと、否応もなく思い知らされた。


「旦那様、時間がありません。いますぐ私を愛していると言ってください!」

「それだけは出来ない」

「旦那様は、私に救われたかったのではありませんか? だから、貴方を救うと言った当時の私の言葉を信じて、私を手元に置いたのでしょう?」

「そうだ」

「だったらっ!」

「――だが、もう救われた」


 ぽつりと落とされた言葉に息を呑む。


「……なにを、おっしゃっているのですか?」

「俺は死ぬまで誰かを愛することはない。だが、そんな俺を、君は愛してくれた。人を愛することが出来なくなった俺でも幸せになれるのだと、君が気付かせてくれた。だから、俺はもう満足だ」


 あまりにも悲しい告白を聞いて、堰が切ったように涙が溢れた。視界がぼやけ、旦那様の顔が滲む。私は手の甲で涙を拭い、旦那様を睨み付けた。


「自分だけ幸せになって、私を残して逝くのですか……っ!?」

「後のことはフェリクスやマルグリットに任せてある。君には自由な明日が待っているはずだ」

「貴方のいない明日なんて望んでいません!」


 私が涙ながらに訴えると、旦那様はふっと笑みを零した。


「奇遇だな、俺もまったく同じ気持ちだ」


 君が好きだから、君を身代わりにして生きていくなんて出来ないと。遠回しな告白であり、絶対に愛していると言わないという宣言でもある。

 私と同じだなんて言われたら、もう私にはなにも言えない。


「……ズルいのは旦那様です。まさか、あんなに優しくしておいて、最後にこんな風に突き放されるなんて思ってもいませんでした。旦那様の鬼畜、酷いです、すっかり騙されました」

「そうだ。俺は契約婚で君を騙した悪いやつだ。だから、君は俺のことなんか忘れて幸せになれ」


 そう呟いた旦那様は満足げに笑う。

 だけど、その瞳の奥にはすべてを諦めたような諦観の念が滲んでいた。

 そのすべてを諦めたような目が、私の中で眠っていた記憶を呼び覚ました。そうだ。私はあのときも、こんな風にすべてを諦めた旦那様の目を見て、しっかりしろと励ましたんだ。

 あのときの私は、いつか私が貴方を救うと口にした。

 そして、私はいまも同じ気持ちだ。


「旦那様、私は――」

「イリス、どうやら時間のようだ」


 旦那様がそう口にするのと同時、胸元の魔法陣が禍々しい光を放った。それは徐々に広がり、旦那様を包み込んでいく。次の瞬間、旦那様は私を突き飛ばして立ち上がった。


「旦那様!」

「――来るな! 万が一にも、君を巻き込みたくない」


 彼の望みと、このまま一緒に破滅するのもありなのではという葛藤。それはわずかな時間だったけれど、そのためらいがすべてを終わらせた。


「イリス、俺は死ぬまで君を愛することはない。だが、もしも生まれ変わることがあったなら、俺は、きっと、君を……」


 彼はその言葉を最後に、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。


「旦那、さま……?」


 私は絨毯の上を這って旦那様に近付いた。そうして恐る恐る触れると、旦那様の身体はまだ温かかった。だけど……息をしていない。

 旦那様は、まるで眠っているように動かなくなっていた。


「旦那様……旦那様? あ、あぁ……うぁあっ。ズルいっ、ズルいです! 私はただ、愛していると言ってくれればそれだけでよかったのに!」


 覚悟の出来ていなかった唐突な別れに、私は声を上げて泣きじゃくった。

 

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2026年1月12日 16:00 毎日 16:00

『死ぬまで君を愛することはない』と言った公爵様が死に、溺愛ルートに入ります 緋色の雨 @tsukigase_rain

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