魔女と黒猫

内井希

第1話

 平原が広がる中にポツンと小屋のような木造の家が建っていた。家の中は暖炉の火で橙色に照らされている。

 マヤは家の中央に置かれたテーブルの上に鍋を置いた。鍋の中身は鮭とほうれん草のシチュー。今日はとても肌寒かったから、無性にシチューが食べたくなったのだ。シチューをお玉でかき混ぜると、まろやかな香りが漂ってくる。我ながら上手にできたな。さあもう早く食べよう。マヤはシチューを皿に盛り付け、パンと並べ、椅子に座る。

 手を組み、目を瞑る。

「いただきます」

 シチューを啜ると、優しい味が口の中に広がり、飲み込むと、体の芯から暖かくなってくる。

 やっぱり最高。この寒い時期に食べるシチューは本当に最高。

 マヤはパンとシチューを次々と口に運んだ。

 カチャカチャと食器の音と、パチパチと暖炉の火が爆ぜる音、それと外から風で揺れている木々の音が聞こえてくる。

 とても静かで、落ち着く。やっぱり私は街の騒々しさよりも、こういった静けさに包まれたほうが性に合っていると思う。というか街の人ごみとか、騒音とか、雰囲気とかが嫌。なんだか神経がいつも逆立つような気がして休まらないし、なにより魔法陣の研究に集中できない。一応街に部屋は借りているが、夜になると、家の目の前で酔っ払いが歌っているから最悪だ。それに比べてここは本当に静か。たまに獣の声が聞こえてくるぐらいだ。

 あーあ。ずっとこのままゆったりした環境の中で、一生ただ魔法陣の研究をしていたいな……

 ぼんやりとそう思いながら、シチューを啜ると、

「あの、すみません!」

 と突然玄関から声がした。マヤは目を見開いて、扉を見る。

「誰かいませんか!?」

 さらにもう一度声がする。

 マヤは目を細め、扉を睨みつける。

「助けてください」

 子供のような声だ。

 マヤは、マヤの半身程の大きさの壺の中から丸めた1枚の大きな紙を取り出し、広げた。紙には魔法陣が描かれている。それを玄関の扉にそっと押し当てたると、外が透けて見えるようになった。

 しかし外には誰もいない。

「すみません!こんばんは!」

 だが声はする。マヤはしゃがみ、魔法陣を扉の下にずらす。

 透けた扉の先には黒猫が扉を見上げていた。

 マヤは目を丸くした。

 猫だった!しかも喋る猫!本とか旅人からしか聞いたことないけど、本当にいるんだ!

 どうしよう。可愛い。けどもしかしたらこの猫は化け物で私を騙そうとしてくるかも。でも可愛い。

 中に入れようかどうか逡巡していると、猫はシュンとして、玄関に背を向けた。

 それまでの逡巡はどこか飛んでいってしまった。マヤは玄関の扉を少し開け、覗き込むようにして尋ねた。

「あの、なにかご用?」

 黒猫はすぐに振り向いて、マヤの足元に座り、見上げてきた。目がキラキラと輝いている

「あ!あの!ご飯を少し分けてほしいんですけど」

「ご飯を?」

「はい……僕もうお腹がペコペコで……お願いします。どうか少しでも」

 潤んだ目でこちらを見てくる。

 可愛い……

「……分かった。中に入って」

「ホントに!!ありがとう!」

 黒猫はスタスタとマヤの家に入った。


 

 魔法陣が描かれた棚から、冷たい鮭の切り身を取り出す。足元には黒猫が尻尾を振りながら、こちらの手元をじっと見ている。相当お腹空かせているらしい。

 マヤは鮭の切り身がのった皿を猫の前に出した

「はいどうぞ」

「うわー!鮭だ!」

 黒猫は勢いよく齧り付いた。

「そんなに食べてなかったの?」

「うん。昼からなにも」

「……昼からって今日の?」

「そう。もうお腹空きすぎて死にそうだった」

 てっきり一週間ぐらいなにも食べてなかったのかと思ってた。まあ別にいいんだけど

「お名前は……ある?」

 マヤは聞いた。

「あるよ。三日月っていうんだ。お姉さんは?」

「私はマヤ」

「いい名前!」

 三日月はニコッと微笑んだ。やっぱり可愛い。

「言葉はどこで憶えたの?」

 ずっと気になっていたことをマヤは聞いた。

「言葉?言葉は……勝手に憶えたよ」

「勝手に?」

「うん。物心ついた時にはもう。家族全員使ってたから」

「ほー。家族全員使えたんだ」

「うん」

 できればその家族全員と話がしたい。そうすれば猫が言葉を喋れる謎が少し分かるかもしれないから。

「……家族の方は? 一緒なの?」

「ううん。家族とはもう別れた。っていうか一人立ちした」

「なるほど。じゃあその後はずっと1人で?」

 マヤが聞くと、三日月は鮭の切り身から口を離した。

「1人じゃない。ずっとクソ野郎と一緒に旅してた」

「ク、クソ野郎?」

「そう。太陽っていう白猫なんだけど、そいつはもう、本当にクソでダメでウンコで!同じ猫として恥ずかしい!それぐらいダメダメな猫なんだ!」

「そ、そうなんだ……」

「うん。っていうかマヤちゃん!ちょっと聞いてよ!」

 この年でちゃん呼びされるとは思わなかったからかなり驚いたが、一旦スルーした。

「な、なに?」

「僕ね!ソイツと一緒に人間が沢山住む『街』っていうところへ旅してるんだけど」

「街に?」

「うん!そこには食べ物が沢山あるって聞いたからさ!」

「ああ、なるほど……」

「で!今日の昼ぐらいに、僕ものすごい、もぉのすごいかっこいい木の枝を見つけたんだよ!」

「木の枝?」

「そう!もういい感じの長さだし、堅さだし。なにもかもサイコー!たぶんあのレベルの棒と出会えることは生きている内に2度ないと思う!」

「そんなにか」

「そんなに!でもね!聞いて!太陽にその枝を見せたら、『ちょっと貸して』って言われて、貸したんだよ!それでしばらく貸してて、『そろそろ返してよ』って言ったら、ソイツなんて言ったと思う!?」

「えっ……」

「『これほしい。ちょうだい』って急に言い出したんだよ!いや、それ僕が見つけたやつだし!めちゃくちゃお気に入りのやつなのに!ってそう思うじゃん!だから「嫌だ!」って僕言って、アイツが咥えている枝の部分と反対の部分を僕が咥えて、引っ張ったんだ!でもソイツは離さないで、逆に引っ張ってきてさ!それでさ、バキッって……折れちゃって」

「あちゃー」

「それで、僕頭に来て『もういい!』って言って、太陽とはおさらばしたんだ」

「そんなことが」

「ねえどう思う!?腹立たない!?」

 正直なところを言えば、思った以上にしょうもなくて可愛いなっていうのが感想なんだけど、そんなことは言えない。

「まあそうね。腹立つね」

 とりあえず三日月に同情した。

「でしょ!太陽があんな奴だとは思わなかった!もう僕はアイツが謝ってくるまで、共に行動しない!ぜーったい!」

 三日月は頬を膨らませて、そっぽを向いた。

 ああ、その仕草。可愛い……

 マヤは椅子から降り、三日月の頭をそっと撫でると、三日月は気持ちよさそうな顔をした。

 猫がどうして言葉を覚えたのか、気になるがいいや。今はただこの子を愛でていたい。

「まあゆっくりしてって」

「ありがとう……そうだ。聞き忘れてた」

「ん? なに?」

「お姉さんは『街』がどこあるのか知ってる?」

「街? ええもちろん。家の前に道があるでしょ。そこを右にずっと進んでいけば、街に着くよ」

「分かった!ありがとう!っていうかお姉さんは街のこと詳しいの?」

「まあね。前はそこに住んでいたから」

「へーすごい!」

「すごくはないよ」

「でも今はなんでここにいるの?」

「えっと……魔法陣の研究のために。って言っても分かんないよね」

「うん」

「そうだよね……じゃあご飯食べ終わったら、私の研究見せてあげる」

「へー楽しみ!」



 食後。皿を片付けた後、マヤはテーブルの上を綺麗に拭いた。

「ちょっと待ってて」

 マヤはそう言うと、先程の壺の中から、丸めた大きな紙を取り出し、それを机の上に広げた。それから三日月を抱き上げて、机の上におろす。

「この円の中心の上にのってみて」

「うん」

 三日月は恐る恐る魔法陣の中心に立った。

「これからなにするの?」

 ウルウルしながら、マヤを見る。

 マヤは嗜虐心をくすぐられ、ニタリと笑う。

「それはお楽しみ」

 右手に魔石を持ち、外円の縁に置くと、円が緑色に輝き始めた。

 緑色の光が徐々に収まる。次の瞬間円から風が吹き上がってきた。

「うわっ! 何これ!」

 三日月は目を見開きながら、円を見る。

「どう? あったかいでしょ」

「あったかい!」

 三日月のいい反応を見れて、ついニヤけてしまった。

「これなんで風が――」

「理屈はまだ詳しく分からないけど、こんな感じの絵を描いて、その上に石を置くと、魔法みたいなことができるの」

「すごっ!」

「他にもね。円の内側の模様や大きさを変えたりすると、冷たい風が出てきたり、風を強くしたりすることもできるし、模様自体全く別物にすれば、全く違う魔法を出すこともできるの」

「そうなの!?」

「そう」

「ねえ見せて!」

「えっ」

「見てみたい! お願い!」

 三日月がまた純粋な目で見てくる。そんな目で見られたら悪い気がしない。

「ちょ、ちょっと待ってて!」

 マヤは少し絵柄が違う魔法陣を取り出す。それを机に敷き、また三日月に魔法陣の上に乗ってもらった。

 そして魔法石を置くと、

「うわっ!さっきより風強い!」

 三日月の毛が逆立つほどの風が吹き上がった。

「下見てみて」

 マヤは魔法陣を指差した。

「実はこの魔法陣、さっきのより線が太いの」

「あっ、よく見たらそうかも!」

「でしょ。ほんの少し絵柄を変えるだけで、全然魔法の効果が変わるんだ」

「へー!」

「それで私はね、魔法陣の模様や大きさを変えることによって、魔法がどのように変化するのかとか、新しい魔法陣を作り出すにはどうしたらいいのかっていうことを研究してるの。それには結構広い土地も必要なんだ」

「そうなの?」

「うん。でっかい魔法陣でしか発動しない魔法も存在するから。例えばこれぐらいの簡易的な家を建てたりとか」

「本当に! すごい!」

「まあ他にも色々と理由があるんだけどね……」

「色々って?」

「まあ人が沢山いるところが苦手というか、騒がしいのが苦手っていうか、元々静かなところで研究に没頭するのが好きなんだよね。だからこんな辺鄙なところに住んでるの」

「ふーん!」

 この感じだとたぶん分かってないな。まあしょうがないか。

「ねえマヤちゃん!」

「なに?」

「他にも見せてよ! もっと色んなのを見たい!」

 三日月の純粋で愛くるしい目がこちらを見つめてくる。

 そんな目で見つめられたら……

 マヤの心のタガが外れた。

 その後マヤは我を忘れる程に、三日月に魔法陣の素晴らしさを説明した。



 暖炉のそばで、いつの間にか三日月が眠り込んいた。マヤはしゃがみ込み、そっと頭を撫でた。けれど三日月はぐっすり眠っていて起きる様子は一切ない。相当疲れたらしい。マヤは三日月に毛布をかけてあげた。

「私も寝ようかな」

 暖炉の火を消し、ベットに入る。なんだか私もとても疲れた。よくよく考えたらこんなに喋ったのは久しぶりかも。だからかな。でもこの疲れはそんなに悪い気がしない……



 突風が吹き上がる音でふと目が覚めてしまった。

家はガタガタと鳴り、外からは木々がまるで嵐のように激しく揺れ動いているのを音で感じられた。

 マヤは水を飲もうと上体を起こし、ベット脇の魔法陣で橙色の光を点け、ふと玄関前に視線を向けた。そこにはこちらを不安そうな目で見ている三日月が立っていた。

「どうしたの?」

「えっ、いや、なんでも……ちょっと風が強いなって」

 三日月は顔を擦る。その姿を見て、太陽という猫の話を思い出した。もしかして……

「太陽くんのことが心配なの?」

「ぜ、全然心配じゃないし! っていうかもうアイツとは関係ないから! 全然気にしてないから!」

 三日月は鼻を鳴らして、丸くなった。

「ホントに?」

 つい聞いてしまった。どう見ても心配してそうな様子だったから。けれど三日月は全く反応しない。マヤは1つ提案した。

「これから探しに行く?」

 三日月は耳と尻尾を立てて、こちらを見た。

「今から?」

「うん。本当は心配で心配でたまらないんでしょ?」

「……夜の森は危ないよ」

「大丈夫。私これでも結構強いから」

「……」

 俯く三日月。

「どうする?」

「……行く」

「分かった。じゃあ行こう」


 

 外は思った以上に風が吹き荒れていた。森へ向かって、街道を歩いているのだが、正面から突風が絶え間なく吹いていて、まるで急坂を登っているかのようだった。

 杖の先に青白い光を灯し、辺りを照らす。視線の先に広がる森は暗闇に塗られ、風に揺られている。マリの前に三日月が突風で顔を背けながら歩いている。

「太陽君がいる場所は分かるの?」

 マリが聞く。

「たぶん。いつもの隠れ場所に太陽がいれば」

 と三日月は不安そうな声で返事をした。

 しばらく歩き、森の中へ入った。ここら辺の森は日中よく散歩に出かけているから、なんとなく地形は分かるが、やっぱり真夜中の森は少し不気味で、あまり入りたくない。

「もうすぐだよ」

 三日月が緊張した声で言った。

 と突然、大きな唸り声が近くから聞こえてきた。

「ゴブリンの声」

 マリが呟くと同時に、三日月が走り出した。

「ま、待って!」

 三日月の後を追いかける。

 茂みをかき分けながら、先へ進むと三日月が突然立ち止まった。マリも息を切らしながら、三日月に追いつき、辺りを見回した。

 マリの視線の先には木の洞から怯えた様子でこちらを見る猫がおり、その周りに3匹のゴブリンがこちらを睨みつけている。

「キー!」

 ゴブリンたちの耳障りな叫びと共に、彼らは手に持っている棍棒を向けてきた。

「ゴ、ゴブリン!ど、どっか行け!」

 と三日月は威嚇するが、よく見たら足が震えている。

 ここはもうやるしかない。

「下がって」

 マリは優しく三日月に指示した。

「マリちゃん……」

 三日月は察して大人しく下がる。

 キーキー叫びながら、マリたちへ徐々に近づくゴブリンたち。

 突如マリの杖の光が消え、暗闇が広がる。

 次の瞬間、橙色の光が辺りを照らした。

 ゴブリンたちと猫たちは口を半開きにしながら、マリの頭上を見上げている。

 そこにはまるで太陽のような大きな火の玉が浮かんでいた。

 「立ち去れ」

 マリはゴブリンを睨みつけ、一喝する。するとゴブリンたちは慌てて森の奥へと走り去った。

 マリは火の玉を消し、再び青白い光を灯した。

「太陽!」

 三日月は太陽の元へ駆け寄る。

「三日月……」

 呆然としている太陽の体に三日月は身を寄せた。

 咽び泣く声が聞こえてくる。

「よかった……無事で……ホントによかった……」

「……ごめん、三日月。君の大事な物を壊してしまって」

「ううん、僕こそムキになってごめんね」

 お互い体をくっつける猫たち。マリはその様子を見て、安堵する。間に合ったよかった、本当に。もし間に合わなくて、太陽君の死体を三日月が見たら……

 マリは首を振る。そんなこと考えなくていい。結果的に助かったのだから。

 とりあえず家に帰ろう。2匹を連れて。



 「本当にありがとう。マリちゃん」

 三日月と太陽は帰り道、ずっとお礼を言ってきたので、その度にマリも「無事でよかったよ」と返した。

 家に帰ると、彼らは安心したのか、暖炉のそばで2匹寄り添って、寝始めた。マリも疲労を感じ、ベッドに潜り込み、目を瞑る。しかし眠りに入ることはできない。頭の中でグルグルとある決意が巡る。

 あの猫たちと一緒に暮らそう。私はもうあの子達を放ってはおけない。あの弱肉強食の自然界では、もしかしたらあの子たちは無惨に殺される可能性があるから。それを想像するだけでも胸が痛み、耐えられないそうにない。

 ただその選択はなんだか過去の自分を裏切るような気がした。この家に引っ越してきたのは魔法陣の研究に専念するためなのだが、彼らと生活をすることになれば、今までの静かな生活はもう送れなくなり、きっとこれからは騒がしい日々になるだろう。魔法陣の研究だけの生活ではなくなる。それはどこか自分の軸みたいなものを折るような気がして、それはそれで不安に感じた。

 だがもう今の私にとって、猫たちが安心して生きることのほうが大事だと思ってしまった。彼らが何かに食われるほうが自分の生き様を変えるより恐ろしく感じる。

 私はもう決意した。明日猫たちに提案してみよう。



 結局眠ることができないまま、夜が明けた。猫たちが目が覚めたので、昨日と同じ鮭の切り身を差し出した。太陽は「なんて贅沢な朝ご飯なんだ!」と勢いよく食べ始めた。マヤはその姿を見ながら、口を開く。

「あのさ」

 2匹は神妙な面持ちでマヤを見る。

「君たちは街へ食べ物を求めて行くんだよね?」

 太陽が頷く。

「そうだよ。街には食べ物がわんさかあるって聞いたからね」

「そうね。確かに街には食べ物がある……でもそれはきっと人間の食べ残しだよ」

「まあ、飢えるよりはマシかな」

 三日月が言う。

「そう……でももしかしたら街の中には猫たちがいっぱいいて、食べ物をめぐって、日々争いが起きているかもよ」

 太陽が唸る。

「そうかもしれないけど……でもそれが僕たちの社会だからさ。仕方ないよ。な?」

 太陽が三日月に視線を送る。三日月はうなずく。

「っていうかごめん、マヤちゃん。なにが言いたいの?」

「……実は提案なんだけどさ……ここの家に一緒に暮らすのはどうかなって?」

「えっ」

「いや、ここだったらさ、ちゃんと食べ物出すし、寝床もちゃんと用意するし……どう?」

 2匹は顔を見合わせ、アイコンタクトをした後、こちらを向いた。

「ごめん、マヤちゃん」

 太陽が言った。

「その話はとても嬉しいんだけど、お断りします」

「な、なんで!?」

「街をこの目で一度見たいからです」

「えっ」

「僕たちは流れ者。同じ場所にずっと留まると、なんか心が虚しくなっていく性分なんです」

「それって……旅人みたいな?」

「たぶんそんな感じです。なんというか折角生まれてきたんだから、色んな景色を見たり、経験したいんです。僕も、三日月も」

 太陽は三日月を見る。三日月は小さく頷いた。

「ごめんね、マヤちゃん」

 三日月が寂しそうに言った。

 マヤは2匹の目をじっと見る。その目には純粋で可愛らしさはなく、決意に満ちていた。

 そっか……

 寂しさが昨日の風のように、突如として心に吹いてきた。

 けれど仕方がない。

 そう心に言い聞かせる。

「ならしょうがないか」

 マヤは笑顔を猫たちに向けて、頭を撫でた。

「ありがとう、マヤちゃん」

 三日月はそう呟いた。


 昼食を済ませた後、2匹は家を出た。

「ありがとー! マヤちゃん!」

 三日月が少し歩くたびに、振り向いてこちらにお礼を言っている。

 それに応えるようにマヤも大きく手を振って見送った。

 そして彼らが見えなくなると、家に戻った。家はとても静かだ。私の好きな静寂だ。

 とても好きな……

 マヤは首を振る。猫たちが残った生活など想像しても無駄だ。

 マヤはこうして再び魔法陣の研究に没頭する日々に戻った。


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