第三夜 追い求める蟲

「生命の起源は星にある。」

かつての恩師が何度もそう唱えていたのを覚えている。

「生きとし生けるものにはそれぞれ自分の星がある。星が輝く間、命が続く。星が失われれば、命もまた終わるーー。」

彼は常に、何かを読み急いでいるような目をしていた。

授業が進むに連れ、来る日も来る日も生徒は減っていた。

やがてその空間に私と彼だけになった時、彼は語ることをやめ。

「赤い星を見るな。」

それだけを言って、彼は口を閉ざした。

当時の私は、それを狂気として片付けた。

だが彼がいなくなった今、世界はあまりにも、答えを返さぬままで退屈であった。

生命の進化は遅すぎていた。私の余生では、蜥蜴に羽が生えることも、蛇が空を舞うこともないのだろう。

少なくとも、地を掘り水路を引いて喜んでいるようなこの村ではあり得ないことだ。

私は問いを求めて恩師の手記を開いた。

進化を追い求める者が進化を目の当たりにできないーーあってはならない矛盾。

進化という問いを理解できずして、これから何を問えば良いのだろう。

私は酷く絶望し、退屈の眼差しを夜空に向けた。

夜空には星が出始めていた。





「生命のなんと脆いことか。」

かつて幾人といた上官の一人がそう言っていたのを覚えている。

「人間は愚かだ。分かち合う心を持っていたのなら、血潮で語らずに済んだものを。」

兵士は死体から剣を引き抜きこちらを向いた。

「かような戦に意味などあるのか。」

この国の長は、話し合いなどする気も見せず。不要な血を流し続けた。

「お前はどう見る。この一方的とも言えるような戦争を。」

周辺の小さな村や国など為す術なくこの国に呑まれて行った。

見渡す限りの屍と炎の中で、

これが生命の行いと呼べるのかと、私は問い続けていた。

「彼らに、意味はあったのでしょうか。」

兵士は何も言わずに陽の暮れ始めた地平を眺めていた。

「彼らに星の答えを。」

そう小さく呟くと彼は剣を下げ、腰に下げていた書物を片手に祈り始めた。

私は迷っていた。自身の行いに、世界のあり方に。

陽が暮れ闇が訪れた時、私は腰に下げた書物を炎に放った。

自分を信ぜずに何を祈るというのだろう。

その後私は兵役を終え、

山奥にひっそりと隠れた故郷に帰ることにした。

星空は優しい光で兵士を照らした。




「生命はーする時だ。」

いつしか夢の中で聞いた言葉が思い起こされる。

目を覚ますと慣れたはずの陽光が一際眩しく感じられた。

講義用の資料を用意し鞄に詰めた。

少し勇み足で講義室へ向かった。

約百人が収まるこの教室で、私は世界そのものだった。

「長い時間をかけて生物は進化してきました。紀元前には生命を星や夜空と結びつける考え方もあったようです。今回の授業では…。」

生徒たちの反応は実に正直であった。こちらが熱を入れた時と、必要ない備考の説明の時と、盛り上がりの波が百人揃ってはっきりしていた。正直私はその様を不気味に感じていた。まるで蟲の群れのような。そんな感想を抱いた。

「じゃあ、今回はここまで。次回は休み明けなので、しっかり復習して事後課題に取り組むように。」

最後まで言い切る頃には、気づけば生徒は幻のように教室から消えていた。

生徒たちのそんな姿を私は内心怯えていたのだろう。

私は日々次の授業を作るのに必死であった。

どうすれば生徒たちの気をひけるだろう、どうすれば興味を持ってくれるだろうと。

私は授業の材料を求めて一度故郷へ帰省することにした。


山奥の最寄駅まで乗り継いだ。

木々が鬱蒼としていて、陽の光を遮り不気味な薄暗さを醸し出していた。

だが足元を見れば、幼い頃の記憶が呼び起こされるようで、道のりは体が覚えてくれていた。この道は何度も、何百回と通ったことがあると。この体が訴えてきた。

しばらく歩くと大きな石壁のようなものが見えた。山全体を回るように登っていたので、それが山の中心の何かを囲っていることはわかっていた。

やがて足が痛み出す頃、木々の中に開けた高原が現れた。

目の前の壁が縦に裂けた場所は門のようにも見えた。

だが私は知っていた。

この門が開くことはなく、ただその隙間から入るしかないことを。

体が覚えていた感覚と小さな記憶の断片が繋がる。

私は体を適切な順番で動かし、壁の裂け目を通り抜けた。

私は目を見張った。

そこには廃れた村があった。数棟の家屋は崩れ、目に見える畑は荒らされ、とても人の暮らせる状態ではなかった。

だがそこにいる住民たちは高貴な外套を纏い、皆健康的な肉体をしていた。まるで紀元前から時が止まっているかのような。そんな気持ちさえ感じられた。ただ一つ異質と言えば、住民は皆、布切れで目隠しをしていた。

私が驚いたのは村の光景にではない。この光景に違和感を覚えなかったこの私に驚いたのだ。私はこの景色を覚えている。ずっと前から、悠久の遥か昔から。

「なんだ。また帰ったのか。」

振り向くと懐かしみを感じる老人がいた。他の住民とは違い目隠しの向こうから真っ直ぐにこちらを見つめているのがわかる。

「あなたは…。」

なぜだろうか。不思議とこの老人が何者なのか思い出せない。懐かしさのみがその場に残っていた。気づけば先ほどまでまだ明るかった陽が沈み始めていた。

「心ゆくまで問い続けるといい。」

老人はそう言うとその場を去った。

「だが恐れるなかれーー星空の答えを。」

夕焼けに照らされ消えるように老人の姿は見えなくなった。



夜になるとその村から住民は姿を消した。壁に囲われた小さな村のはずなのに人一人見かけなくなった。私は生徒たちに抱いた不気味さと同じものを抱いた。

私は雨風を凌げそうな廃屋の中へ入った。壁は抜けているが屋根はしっかり残っており、雨風は凌そうで、私は一息ついた。

ふと崩れかけた机に置いてある手記に気がついた。

表紙を含む大部分は焼け爛れていた。

開くと文字は酷く汚れ、とても読めたものではないがかろうじて

「星空が見えてしまう。Gnoster...。 ーき光に祈りを…。」

と記された文は確認できた。これは、手記の類であろうか。

私は鞄を開け手帳にこの村での出来事をまとめた。村を囲う壁、消えた村人。壊れた古すぎる家屋。ひとつひとつ思い記して気づいた、何ひとつ生命についての発見がない。

このままこの場所にいてもなんの収穫もないことは目に見えていた。そこにはただ不気味な村があった。それだけのことだと。

私は記す手を止め外に出た。

気づけば消えたはずの村人が地に座り、月明かりに照らされる中、夜空へ祈っていた。

大事そうにつけていた目隠しは外し、目は真っ直ぐ夜空を見つめていた。

彼らは星を恐れていたのではなかった。

答えを見てしまうことを恐れていたのだ。


「今こそ、ーする時。」


祈る村人の一人がそう呟いたように聞こえた。気づけば私の胸が少し赤みがかった輝きを出していた。

ここ最近の不気味さに慣れてしまった私は、無意識に夜空を見上げた。

何を問うべきなのだろうか。

天に問いを投げかけた時、星空が一際輝いた。

一筋の赤い光が夜空へ登った。


星は沈黙していた。

答えを与え終えたかのように。


こうして、問いを手放せなかった探究者は、再び答えを得た。

星々は奇天烈に動き回り、今の人類には読解不可能な文字を描き出す。

星空は愚者に答えを授けた。

星空は問いを求めていた。

そして探究者は答えを求めていた。

身の丈に合わない知識には、必ず犠牲が伴う。

赤い星は再び人に宿る。

そうしてまたこの場所で星空に帰るまで。


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夜に刻まれし名――忘れられた者たちの物語―― SeptArc @SeptArc

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