第二話 ランチタイムです

3 ランチタイムの始まり

「……はぁ。それにしても蓮、さっきのは本当にひどいぞ。ボクがどれだけ恥をかいたか分かってるのか? 『更生美少女化計画』なんて、教授も周りの連中も、ボクのことを完全に頭のイカれた変人だと思ったに違いないんだ」


講義棟を出て中庭へと向かう道すがら、ボクは隣を歩く蓮に恨み言をぶつけた。当の本人は、ゲーミングノートPCを小脇に抱えたまま、表情一つ変えずに淡々と歩いている。


「……翔、それは筋違い。『法の不知は許さず』。法学部の学生なら、教壇に立つ前にパッチノート(教科書)に目を通しておくのは義務。予習もせずにボクの言葉を鵜呑みにしたお前のプレイヤースキルが低かった、それだけのことだよ」

「法の不知は許さず、って……まだ授業が始まって1日目だぞ!?」

「勝負の世界に初めてもなにもない」


蓮の冷徹な正論に、ボクはぐうの音も出なかった。確かに、この鎌鼬にとって「知らないこと」はそのまま「弱さ」に直結するのだろう。


そのまま葛葉さんと合流し、芝生の一角に陣取ると、葛葉さんが待ってましたとばかりに、風呂敷に包まれた二段重ねの重箱を取り出した。


「翔様! 見てくださいまし、わたくしが今朝、愛を込めて拵えた『愛妻弁当(自称)』ですわ! 瑞原大学の芝生の上で、二人で睦まじくお重を突く……これこそが、わたくしが夢にまで見たキャンパスライフの完成形ですわね!」

「自称を自分で言うなよ。……あと、睦まじくって言うけど蓮もいるだろ」


ボクは苦笑しながら、葛葉さんが差し出した割り箸を受け取った。重箱の蓋を開けると、そこには宝石箱のように色鮮やかなおかずが並んでいた。出汁巻き卵、西京焼き、そして丁寧に飾り切りされた野菜。さすがは名門令嬢と言うべきか、その彩りと香りは食欲をそそる。


「……旨い。普通に、めちゃくちゃ旨いよ、葛葉さん」

「ああ! 翔様に褒めていただけるなんて、わたくし、尻尾の隠蔽がまた解けてしまいそうですわ!」


一方、ボクの隣では、蓮がカバンから銀色の袋を取り出し、無機質な板状の栄養食品を齧っていた。カサカサ、と乾燥した音を立てながら、彼女はスマホで何かの対戦ログを確認している。


「……蓮、お前それだけか? せっかくのランチタイムなのに、もっとこう、まともなもの食べればいいのに」

「……効率。……食事は栄養素のロード時間に過ぎない。これ一本で主要なビタミンとカロリーは補完済み。余った時間は、さっきの刑法の判例の不整合を分析するのに使う」

「少し分けましょうか?」

「気持ちだけ貰う」


そんな軽口を叩きながら、ボクは葛葉さんの弁当を次々と口に運んでいった。一品一品が丁寧で、素材の味を活かした最高のおかずだ。だが、数分で全ての料理を平らげたところで、ボクは致命的な事実に直面した。


……足りない。全く、これっぽっちも足りない。


葛葉さんの作った弁当は、一般的な女子大生からすれば「少し多め」くらいの分量だろう。だが、ボクの身体は、元は一〇〇キロを超える巨体を維持するためにスクワットを繰り返していたアスリートの成れの果てだ。この華奢な銀髪の皮の下には、常に莫大なエネルギーを要求する「燃費のバグ」が潜んでいる。上品な炊き込みご飯二膳分程度では、ボクの胃袋は「準備運動が終わったかな?」くらいにしか認識していなかった。


「翔様、お口に合いましたかしら?」

「……ああ、本当に最高だった。ごちそうさま、葛葉さん」


ボクは精一杯の笑顔を作った。だが、その直後、静かな中庭に、グゥゥゥゥ……、という、まるで地底に潜む怪物が目覚めたかのような重低音が響き渡った。


葛葉さんは目を丸くし、蓮は栄養食品を口に咥えたまま、静かにボクの腹部を見つめた。


「……翔。お前、今食べたよね?」

「……食べたよ。美味しくいただいたよ」

「……それにしては、腹部のオーディオ出力がおかしい。出力一二〇パーセント。さっきの弁当、お前にとってはログインボーナス程度の量だったわけ?」

「……否定は、できない。ボク、自分でも驚くくらい、まだ腹が減ってるんだ……」


ボクはラベンダー色のワンピースの腹部を抑え、絶望に打ちひしがれた。銀髪美少女としての「普通」を維持しようと思えば、ここで「お腹いっぱい、幸せ」と微笑むべきなのだろう。だが、ボクの身体という名のハードウェアは、もっと強烈なカロリーを寄越せと暴動を起こしていた。


「翔様……! わたくしの愛が、翔様の胃袋のブラックホールを埋め尽くせなかったなんて……! なんという不覚! すぐに追加を……!」

「いや、いいよ! 葛葉さんと蓮はここでゆっくりしてて。ボク、ちょっと……『自分』にケリをつけてくる」


ボクは立ち上がり、蓮のスマホ画面に映っていた学食の裏メニュー『瑞原ギガ盛り定食』の文字を脳裏に焼き付けた。


「葛葉さん、弁当は本当に美味しかった。でも、今のボクには『油』と『塊肉』が必要なんだ。……先に行ってて、すぐ追いつくから」


銀髪を翻し、ボクは一人、男子学生たちが群がる学食の深淵へと足を踏み出した。普通の大学生。お洒落なランチ。そんな理想は、ボクの内なる「重量級」の咆哮によって、またしても彼方へと押し流されていった。

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