哲学のバトン

徳瀬 守

【プロローグ】

僕は、書いても書いても、何かを裏切っている気がしていた。

キーボードに手を置いて、僕は目を瞑った。



静まり返った場所に、誰かがゆっくりと歩いてくる。


彼の毎日の日課。

決まった時間の穏やかな散歩のはずだ。

それなのに、彼の一歩一歩に、空気がビリビリと震える。


彼の手には、2000年間、哲人たちにより連綿と受け継がれてきたバトンが握られていた。

ソクラテスが毒杯を飲み、プラトンが天に探し求め、アリストテレスが地に這いつくばって渡してきた哲学のバトン。

アウグスティヌス、デカルト、ライプニッツ、ヒュームと、名だたる哲人が連綿と受け渡してきたバトン。


彼はそのバトンを絶対零度で凍らせ、地に叩きつけた。

地面に転がった欠けたバトンの破片を蹴り、穏やかな顔で言い放った。


「普遍的な心理など、頭の中の一人芝居だ」


それは、

プラトンのイデアも、
アリストテレスの実体も、
デカルトの明証も、
ライプニッツの単子も、

全部、人間の頭が作った安物のプラネタリウムの星にすぎない


という宣言に他ならなかった。


彼は生涯をケーニヒスベルクで穏やかに過ごした。
毎日決まった時間の穏やかな散歩が好きで、平和を愛し、理想を語った。

彼の名は、


──イマヌエル・カント。


彼以前の哲学を微笑みながらぶっ壊した男。

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