レベルゼロ適合者(アダプター)
塩塚 和人
第1話 深度ゼロ
地下へ向かうエレベーターは、静かすぎた。
金属の箱に閉じ込められているのに、音がしない。耳が詰まったような感覚だけが、ゆっくりと身体を締めつけてくる。
灰崎ユウトは、手のひらを見つめた。
少し震えている。寒いわけじゃない。怖いのだと、認めたくはなかった。
「――到達深度、ゼロ」
機械音声が告げる。
扉が開くと、そこは人工的な通路だった。白い壁、白い床、白い天井。病院の廊下を思わせる無機質さ。ここがダンジョンの入口、初心者用の作業区域だ。
「初めて?」
背後から声をかけられ、ユウトは肩を跳ねさせた。
作業服を着た中年の男が、端末を操作しながらこちらを見ている。
「え、あ……はい」
「じゃあ、これ持って。測定だけ済ませるから」
男に渡されたのは、手首に巻く簡易測定器だった。
探索者登録者の能力値を、最低限だけ表示する装置だ。
「名前」
「灰崎……ユウトです」
「よし。――測定開始」
一秒。
二秒。
男の指が止まった。
「……あれ?」
ユウトは嫌な予感がした。
この手の沈黙には、慣れている。面接。試験。結果待ち。
だいたい、いいことは起きない。
「レベル、ゼロ?」
男が首をかしげる。
「え?」
「いや、表示ミスか……ちょっと待って」
端末を叩く音が早くなる。
しかし結果は変わらない。
【レベル:0】
「そんなこと、あるんですか」
「普通は、ない。最低でも1は出る」
男はユウトを見た。
疑う目ではなく、困った目だった。
「……まあいい。作業は資材回収だけだ。危険区域には近づくなよ」
ユウトは、うなずいた。
深く考えないようにした。考えても、いい方向には転ばない。
通路を進むと、空気が少し変わった。
冷たい。重い。
理由はわからないが、背中がひりつく。
「――ん?」
足元の瓦礫が、わずかに動いた気がした。
次の瞬間、床が砕ける。
「うわっ――!」
身体が前に投げ出される。
視界が回転し、硬い床に叩きつけられた。
痛み。
息が詰まる。
瓦礫の影から、黒い影が現れた。
犬に似たモンスターだ。鋭い牙をむき、低く唸る。
「……なんで、ここに」
初心者区域に出るはずのない存在。
逃げようとして、足が動かない。さっき打った場所が、焼けるように痛む。
影が跳んだ。
――死ぬ。
そう思った瞬間、世界が遅くなった。
音が伸び、動きが滑らかに分解される。
不思議と、怖くなかった。
代わりに、わかってしまった。
(――来る)
身体が、勝手に動いた。
転がり、瓦礫を蹴り、影の下をすり抜ける。
自分でも信じられない動きだった。
心臓が暴れているのに、頭は妙に冷えている。
影が振り向く。
もう一度跳ぼうとした、その瞬間――
足場が崩れた。
モンスターが体勢を崩す。
ユウトは近くに落ちていた鉄片を、両手で突き出した。
叫ぶ余裕もなかった。
ただ、押した。
鈍い感触。
影が崩れ、動かなくなる。
静寂が戻った。
「……は……?」
膝から力が抜け、座り込む。
全身が痛い。それなのに、生きている。
手首の測定器が、微かに光った。
【新規スキルを確認】
《深度適応》
文字を読んでも、意味はよくわからなかった。
ただ、ひとつだけはっきりしている。
ここは、安全な場所じゃない。
そして――
(なのに、さっきより……少し、楽だ)
ユウトは息を整えながら、白い天井を見上げた。
深度ゼロ。
それは、彼の終点ではなかった。
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