魔王様が凹むと世界が巻き戻るので、僕の恋人を癒やし役として差し出すことになりました

@sinshar9

第1話 世界終わる

 

 魔王城の玉座の間は、今日もよく整っていた。

 血も悲鳴もなく、床は磨かれ、天井は高く、空気は少しだけ冷たい。

 世界征服を企む者の居城としては、あまりにも平和だ。


 玉座に座る魔王は、肘掛けに頬杖をつき、ぼんやりと天井を見上げていた。

 銀色の髪が玉座の背に流れ落ちる。完璧な肉体、欠点のない美貌。

 そして――


「……私、生きてる意味あるのかな」


 独り言だった。

 誰かに向けた言葉ではない。

 だからこそ、致命的だった。


 次の瞬間。

 玉座の背後に広がる空間――正確には、世界そのものに、細いヒビが走った。


 ガラスが割れる前の、あの嫌な予兆音。

 “パキッ”という、ありえない静音。


 暗黒騎士アルベルトは、反射的に背筋を伸ばした。

 顔色が一段階、いや二段階ほど悪くなる。


(来た……“そのフェーズ”が……)


 胃の奥が、きゅっと縮む。

 この感覚には覚えがありすぎた。


 隣で控えていた魔導師ゼノンも、眼鏡の奥で一度だけ目を閉じた。


(秘薬、完成まであと三日なのに……)


 八億ゴールド分の素材。

 血と汗と徹夜の結晶。

 それが、今この瞬間に消滅する可能性を、彼は冷静に計算していた。


 他の側近たちも同様だった。

 誰一人として声を上げない。

 誰一人として魔王を見ない。


 経験則が告げていた。

 ――ここで下手に反応すると、終わる。


 当の魔王はというと、何も起きていない顔である。

 空がひび割れていることにも、

 部下たちの魂が半分抜けていることにも、

 まったく気づいていない。


「……あれ?」


 魔王は首を傾げた。


「なんか、静かじゃない?」


 静かすぎるのだ。

 世界が息を止めている音が、はっきりと聞こえるほどに。


 アルベルトは笑顔を作ろうとして、失敗した。

 ゼノンは喉まで出かかった悲鳴を、理性で押し潰した。


 その瞬間、

 世界は――


 暗転した。


 誰にも気づかれず、

 誰にも知られず、

 静かに、丁寧に、終わった。


 そして一ヶ月前へ、巻き戻る準備を始める。


 魔王だけを、置き去りにして。


 一ヶ月前の朝

 朝は、何事もなかったかのようにやってきた。


 魔王城の廊下に差し込む朝日。

 鳥のさえずり。

 どこかの下級魔族が転んで壺を割る音。


 ――完璧だ。

 世界が一度終わった痕跡は、どこにもない。


「おはよー!今日も世界征服、がんばろー!」


 寝室の扉を勢いよく開け、魔王が笑顔で宣言した。

 声は明るく、元気で、未来に満ちている。


 その場に居合わせた側近たちは、

 一斉に「あっ」という顔になった。


 誰も声を出していないのに、

 確かに「あっ」と言った顔だった。


 暗黒騎士アルベルトは、瞬時に日付を確認した。

 壁掛けの魔暦。

 刻まれた数字。


(……戻ってる)


 膝が、ほんの少しだけ笑った。


 魔導師ゼノンは、魔力感知を展開し、城全体をなぞる。

 実験室の位置。

 保管庫の封印。

 ――そして、未完成の秘薬。


 彼は小さく息を吸った。


「……一ヶ月、巻き戻りましたね」


 声は冷静だった。

 冷静すぎて、逆に怖い。


 アルベルトは、胸に手を当てた。

 心臓がちゃんと動いているか、確認するように。


「俺とクララの初デート、消えました」


 淡々とした報告。

 まるで「雨が降りました」と言うような口調だった。


 次の瞬間。


「――げほっ」


 口元を押さえ、軽く吐血。


 床に落ちた赤い点を見て、彼は思う。


(あ、これは軽いやつだな)


 この程度なら、世界が一ヶ月戻った代償としては安い。

 高い代償は、まだ後に控えている。


 魔王は、そんな側近たちを見回して首を傾げた。


「?

 みんな、どうしたの?

 朝ごはん、変なものでも食べた?」


 誰も答えない。


 答えられるわけがなかった。

 あなたが今、元気に挨拶している理由を、

 誰も説明できないのだから。


 ゼノンは眼鏡を押し上げ、淡々と宣言した。


「――各員、行動を通常業務に戻してください」


 通常業務。

 すなわち、


 『魔王様を絶対に凹ませない一ヶ月』の、再開である。


 アルベルトは、城の窓から差し込む朝日を眩しそうに見た。


(また最初からか……)


 恋も、約束も、未来も。

 全部なかったことになった朝。


 それでも彼は、剣を取り、背筋を伸ばす。


 世界が続く限り。

 ――いや、魔王の心が折れない限り。


 この日常は、何度でもやり直されるのだから。


 既視官会議(緊急)

 魔王城・第三会議室。

 そこは本来、戦略や兵站を語るための部屋だった。


 ――今は違う。


 部屋の正面にある黒板には、

 血も炎もなく、ただ圧のある文字が書かれていた。


《最重要事項:魔王様を凹ませるな》


 下線は三重。

 誰が引いたのかは、誰も覚えていない。

 だが、全員がその重みだけは知っている。


 アルベルトは椅子に座ったまま、深くため息をついた。

 この会議に出るたび、寿命が縮む感覚がある。


 ゼノンは淡々と黒板の横に立ち、チョークを取った。


「では、今回の失敗事例を確認します」


 確認しなくても、全員覚えている。

 覚えているからこそ、確認するのだ。


 ゼノンは一つ目を書き足す。


 ・部下が失敗

 → 魔王が自責

 → リセット


「新人が訓練で転びました。

 魔王様が“私の教育が悪かった”と落ち込みました。

 結果、世界終了」


 誰かが小さく咳払いをした。


 次。


 ・天気が悪い

 → 魔王が不安

 → リセット


「雨が三日続きました。

 魔王様が“私、嫌われてる?”と発言。

 結果、世界終了」


 全員、目を伏せた。


 そして、三つ目。


 ・アルベルトが幸せそう

 → 魔王が孤独

 → リセット


 アルベルトは、嫌な予感を覚えながら手を挙げた。


「……ちょっといいですか」


 ゼノンが頷く。


「最後の俺、悪くないですよね?」


 空気が止まった。


 次の瞬間。


「悪い」


「悪いな」


「悪いですね」


「非常に悪い」


 即答だった。

 誰一人、迷わなかった。


 アルベルトは椅子にもたれかかる。


「恋人ができただけなんですが」


「笑顔がいけませんでした」


「幸せオーラが過剰です」


「魔王様が“自分にはないもの”として認識しました」


 次々と突き刺さる分析。

 どれも正論で、どれも地獄。


 アルベルトは天井を見上げた。


「じゃあ、俺はどうすれば……」


 ゼノンは即答する。


「幸せにならないでください」


「……はい」


 即座に返事をするあたり、もう慣れていた。


 ゼノンはチョークを置き、全員を見渡す。


「繰り返します。

 魔王様が凹んだ瞬間、我々の努力は一ヶ月分、無になります」


 それは比喩ではない。

 事実だ。


「よって本会議の目的は一つ」


 ゼノンは黒板の文字を指差した。


《魔王様を凹ませるな》


「魔王様の精神安定こそが、

 この世界の存続条件です」


 アルベルトは小さく呟いた。


「……勇者って、何でしたっけ」


 誰も答えなかった。

 この部屋では、

 勇気よりもメンタルケアの方が重要なのだから。


 会議室に、重たい沈黙が落ちる。


 そして誰かが、ぽつりと言った。


「……癒やし役、増やします?」


 全員の視線が、一点に集まった。


 次の地獄の始まりを、

 誰もが直感していた。



 シーン4


 クララ投入決定

 沈黙を破ったのは、魔導師ゼノンだった。


 彼は淡々と、しかし一切の迷いなく口を開く。


「魔王様の情緒安定には、

 “外部からの無垢な肯定”が必要です」


 会議室の空気が、一段階だけ冷えた。


 アルベルトは嫌な予感しかしなかった。

 この男がこういう言い方をする時、

 大抵ろくな結論にならない。


 ゼノンは黒板に、新しい項目を書き足す。


 ・情緒安定対策案

 → 外部要因の導入


「魔王様は、我々を“部下”“配下”“責任対象”として認識しています。

 よって、我々の肯定は自己評価に直結し、

 裏返ると自責になります」


 淡々とした分析。

 だが、的確すぎて誰も反論できない。


「必要なのは、

 魔王様が“評価されていると感じない存在”」


 チョークが止まる。


 次に書かれた名前。


 クララ


 アルベルトの背筋に、冷たいものが走った。


「……それ、聖女役の?」


「はい。正確には“聖女に偽装中の一般人”です」


 ゼノンは頷く。


「売れない女優。

 現在、聖女役のバイト中。

 信仰心は薄く、政治的意図もありません」


 最悪の条件が、完璧に揃っていた。


 アルベルトは、ゆっくりと立ち上がった。

 顔色が、紙のように白い。


「……魔王様と、距離が近くなりません?」


 声が、わずかに震えている。


 ゼノンは、間髪入れずに問い返した。


「世界とあなたの恋、

 どちらが重要ですか?」


 即断を求める、冷酷な二択。


 アルベルトは、口を開き、

 一度閉じ、

 もう一度、開いた。


「……世界です」


 答えた瞬間。


「――げほっ」


 吐血。


 今度は軽くない。

 だが、誰も止めない。


 ゼノンは頷いた。


「ありがとうございます。

 では、クララを“魔王様の話し相手”として投入します」


 会議室に、決定事項が落ちた。


 アルベルトは椅子に崩れ落ち、天井を見る。


(俺の恋は、世界の安全装置……)


 誰かが、気まずそうにフォローする。


「だ、大丈夫ですよ。

 聖女役ですし、清楚ですし」


 アルベルトは、乾いた笑いを漏らした。


「……あの人、

 距離感、近いんです」


 その一言に、

 ゼノンはほんの一瞬だけ、黙った。


「――では尚更、

 効果が期待できますね」


 アルベルトの視界が、白くなった。


 こうして決まった。

 世界の命運を握るのは、


 売れない女優と、

 距離感の近さ。


 この判断が、

 どれほどのループを生むのか――

 まだ誰も知らない。




 魔王城の庭園は、よく手入れされていた。

 世界征服を企む城とは思えないほど、花が多い。


 噴水の水音。

 風に揺れる木々。

 そして――


「わあ……普通の女の子だ……」


 魔王は、思わずそう呟いていた。


 目の前に立つクララは、

 聖女の衣装を着てはいるが、

 どこか場違いなほど“普通”だった。


 緊張しているのか、少し背筋が硬い。

 足先が、ほんのわずかに内側を向いている。


 それが、魔王には新鮮だった。


 一方のクララはというと。


(え、なにこの人……

 美人すぎて役作りに集中できない……)


 心の中で悲鳴を上げていた。


 王族特有の威圧感がない。

 むしろ、こちらを観察するような、

 少し不安そうな目。


(生の魔王様……遠目や写真で見掛けるよりずっときれい……)


 クララは、軽く咳払いをした。


「えっと……

 本日は、お話し相手として……」


「うん!」


 魔王は、食い気味に頷いた。


「肩書きとかいいから、

 普通に話してくれていいよ」


 その一言に、

 遠くの物陰で見守っていた既視官たちが、

 一斉に息を止めた。


(来たか……?)


(いや、これは良い兆候だ……)


(“普通”を求めている……!)


 クララは一瞬だけ迷い、

 それから、ゆっくりと笑った。


「じゃあ……

 お姉さんって、毎日なにしてるんですか?」


 “魔王様”でも、“陛下”でもない。

 お姉さん。


 空気が、ふっと緩んだ。


 魔王は目を瞬かせ、

 それから少しだけ、照れたように笑った。


「……えっとね。

 会議したり、書類見たり、

 あとは……みんなに気を使ったり」


 自分でも意外そうな答えだった。


 クララは頷く。


「それ、めっちゃ大変じゃないですか」


 即答。

 同情でも、賛美でもない。

 ただの感想。


 魔王の表情が、ほんの少しだけ柔らいだ。


「……そうかな」


「そうですよ。

 私だったら三日で逃げます」


 くすっと笑うクララ。


 魔王も、つられて笑った。


 その瞬間、

 庭園の空気が、明確に“安全”になった。


 遠くの茂みから、

 既視官たちの無言の歓喜が伝わってくる。


(よし……)


(今のところ、地面は割れていない)


(空も無事だ)


(世界、続行中)


 アルベルトは、物陰で膝に手をついていた。


(……頼むから、

 これ以上、仲良くならないでくれ)


 だがその祈りとは裏腹に、

 魔王はクララの話に耳を傾け、

 時折、楽しそうに相槌を打っていた。


 花に囲まれた庭園で、

 世界の存続条件が、

 静かに満たされていく。


 誰も気づかないまま。

 アルベルトの地獄

 アルベルトは、庭園の彫像の影に身を潜めていた。


 暗黒騎士としての彼は、

 戦場での隠密も、奇襲も、百年単位でこなしてきた。

 だが――


(こんな任務、聞いてない)


 視線の先では、

 クララが魔王に向かって微笑んでいる。


 あの、少しだけ左に傾く笑い方。

 自分だけが知っているはずだった、それ。


 魔王は一瞬、目を逸らした。

 銀髪の隙間から、耳がわずかに赤くなる。


(……照れてる)


 その事実が、

 アルベルトの胸を、ぐっと締め付けた。


「俺の恋人が、

 世界の安全装置になってる……」


 声には出さず、心の中で呟く。

 冗談みたいな状況。

 だが、笑えない。


 クララが何かを話し、

 魔王が小さく笑う。


 それだけで、

 庭園の空気が安定するのがわかる。


(クララが笑う

 → 魔王が安心する

 → 世界が壊れない)


 因果関係が、はっきりしすぎていた。


 アルベルトは胸元を押さえた。


 どくん。


 心臓が、嫌な音を立てる。


(やめろ……

 これは任務だ)


 自分に言い聞かせる。

 世界を守るため。

 魔王を凹ませないため。


 つまり――

 自分が壊れる役だ。


 魔王が、少し照れたように言う。


「……そういうところ、

 いいよね」


 クララは、意味もわからず頷いた。


「え?

 あ、ありがとうございます?」


 どくん。


 視界の端が、白く滲む。


 アルベルトは、膝に手をついた。


(ああ……)


 吐血まではいかない。

 だが、確実に削られている。


 この感情を表に出せば、

 魔王が気づく。

 気づけば、凹む。


 だから、黙るしかない。


 彼は騎士だ。

 世界の存続条件を知っている。


(俺が壊れれば、

 世界は続く)


 それだけで、十分だ。


 遠くで、

 魔王とクララの笑い声が重なる。


 アルベルトは、

 その音を背に、静かに目を閉じた。


 地獄は、今日も平和だった。

 些細な一言

 庭園の空気は、穏やかだった。


 花は揺れ、噴水は規則正しく音を立て、

 世界は、今日も正常に回っている――はずだった。


 クララは、少し考えてから、何気なく口を開いた。


「魔王様って……

 ずっと一人で頑張ってきたんですね」


 その瞬間。


 魔王の動きが、ぴたりと止まった。


 瞬きも、呼吸も、

 まるで世界から切り離されたかのように。


「……あ」


 短い声。

 それだけで十分だった。


 庭園の色が、ほんのわずかに滲む。

 空間の輪郭が、柔らかく歪み始める。


 噴水の水音が、

 ほんの一拍、遅れて聞こえた。


 ――まずい。


 茂みの影で見守っていた既視官たちが、

 同時に凍りつく。


「やばい!!」


 声にならない叫びが、

 全員の脳裏を走った。


(自責に入る……!)


(“一人で頑張ってきた”は地雷だ!)


(三回目のパターン!!)


 空が、ひび割れかける。


 その瞬間。


 アルベルトは、考える前に飛び出していた。


 彫像の影を蹴り、

 芝生を踏みしめ、

 魔王の前に立つ。


「魔王様は一人じゃありません!!」


 声が、庭園に響く。


「我々が!

 います!!」


 叫びというより、必死な宣言だった。


 魔王は、きょとんと目を丸くする。


「……え?

 そうだっけ?」


 間の抜けた一言。


 それだけで、

 歪みは、ぴたりと止まった。


 空の輪郭が元に戻り、

 噴水の水音が、正しいリズムを取り戻す。


 世界、存続。


 既視官たちは、その場に崩れ落ちそうになるのを、

 必死で堪えた。


(助かった……)


(今回は、ギリギリ……)


(心臓に悪すぎる)


 クララは、何が起きたのかわからず、

 目を瞬かせていた。


「あ、あれ?

 私、何か変なこと言いました?」


 アルベルトは、

 額に浮かんだ汗を拭いながら、

 力なく笑った。


「……いいえ。

 完璧でした」


 その言葉は、

 世界を救った者だけが知る、

 重すぎる冗談だった。


 魔王は少し考えてから、

 にこっと笑う。


「そっか。

 じゃあ、私、

 まだ頑張れるね」


 その笑顔を見て、

 既視官たちは確信した。


 今日のリセットは、回避された。


 ――代償が、誰か一人に集中しただけで。



 夜、世界は続く

 夜の魔王城は、昼よりも静かだった。


 回廊の灯りは落とされ、

 遠くで風が窓を叩く音だけが聞こえる。


 寝室では、魔王が満足そうに眠っている。


 銀色の髪が枕に広がり、

 その表情には、昼間の不安は一切残っていない。


 ――今日は、うまくいった。


 廊下の影で、

 ゼノンとアルベルトが並んで立っていた。


「……今回は、回避成功ですね」


 ゼノンの声は低く、事務的だった。

 成功条件は一つ。

 世界が続いていること。


「俺の胃と心臓は失いましたが」


 アルベルトは、壁にもたれかかりながら答える。

 冗談めかしてはいるが、

 顔色は明らかに悪い。


 ゼノンは、ほんの一瞬だけ彼を見る。


「次は、もう少し負荷分散を考えましょう」


「それ、

 俺が言われる台詞ですよね?」


 小さなやり取りの向こうで、

 足音が近づいてくる。


 クララだった。


 聖女の衣装を脱ぎ、

 仕事終わりの、少し疲れた表情。


 彼女はアルベルトを見つけると、

 軽く手を振った。


「アルベルトさん」


「……はい」


 条件反射で返事をしてしまう。


「明日も、

 魔王様のお話し相手、来ていい?」


 一切の悪意はない。

 むしろ、申し訳なさすら滲んでいる。


 アルベルトは、少しだけ黙った。


 心臓。

 胃。

 そして、恋。


 天秤にかけるまでもない。


「……はい」


 小さく、しかしはっきりと。


「世界のために」


 クララは、安心したように笑った。


「よかった」


 そう言って、去っていく。


 その背中を見送りながら、

 アルベルトは心の中で呟く。


(俺の幸せ、

 今どこにいるんだろうな)


 だが、答えは出ない。


 廊下の奥、

 魔王の寝息が、穏やかに続いている。


 それが、

 この世界がまだ終わっていない証拠だった。


 アルベルトは深く息を吸い、

 剣の柄に手を置く。


 明日もまた、

 世界は、彼の犠牲の上に続く。


 ――今夜は、それでいい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王様が凹むと世界が巻き戻るので、僕の恋人を癒やし役として差し出すことになりました @sinshar9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画