第46話 月明かりの防波堤と秘めたる決意

凛の言葉が、寄せては返す波の音に溶けていく。

防波堤の上に座り、膝を抱える彼女の肩が、微かに震えていた。いつも部員たちの前で見せる、太陽のような眩しさはそこにはない。月明かりに照らされた彼女は、今にも壊れてしまいそうなほど、繊細で、一人の『恋する少女』だった。


「先輩……」


悠真は、掛ける言葉が見つからなかった。

ボクシングのリングの上では、あんなに迷いなく拳を振るうことができる彼女が、自分の前でこれほどまでに自信を失い、泣いている。

その理由が自分にあるのだと気づいた時、悠真の胸の奥が締め付けられるように熱くなった。


「……君が、初めて部室に来た日のこと、覚えてるか?」


凛は海を見つめたまま、ぽつりと語り始めた。


「あの時、君はボクシングなんて何も知らなくて。私の言葉をただ信じて、今日まで必死にミットを叩いてくれた。……嬉しかったんだ。二人で特訓をしていく日々は、まるで世界中で私と君だけが繋がっているような気がしてさ」


凛がゆっくりと立ち上がる。

海風が彼女の髪を乱し、湿った瞳が悠真を捉える。


「今は姉さんがいて、リサがいて、君を最短距離で最強にできるかもしれない。

私なんかいらないのかもしれない……そう思うと胸が痛くて、締め付けられて、苦しくて……それでも私は、私はただ、君の隣にいたかったんだと気付かされた。練習して、笑って、一緒にカレーを食べて……そんな当たり前の時間を誰にも邪魔されたくないって思ってる」


凛が一歩、悠真に歩み寄る。

その距離はボクシングの間合いよりもずっと近い。


「でも、そんな当たり前の時間を手に入れるには遅かれ早かれ、こうしないといけないと思っていた」


そう言って、意を決した凛。

何となくだが、悠真にもその先の言葉は分かっていた。


「佐藤君……私は、君が好きだ。

部長としてじゃなくて、氷川凛として、君のことが……世界で一番、好きなんだ!」


それは、叫ぶような告白だった。

凛の瞳から溢れた涙が頬を伝って砂浜へと落ちる。

彼女は震える両手で、悠真のシャツの胸元をぎゅっと掴んだ。


「……返事、なんて今すぐじゃなくていい。

これだけ分かっててくれればいい。

私は、君が好きだと言うことと、姉さんやリサに渡したくないということを」


凛が顔を上げ、悠真を見つめる。

その瞬間、二人の世界から音が消えた。

悠真は、目の前の少女のあまりの真っ直ぐさに、魂を揺さぶられた。


「僕も……」と言いかけたその時。


「――そこまでよ、凛」


夜の静寂を切り裂く、氷のように冷たく、それでいて焦燥を含んだ声が響いた。

防波堤へと続く階段の上に、月光を背負って立つ人影がある。


生徒会長、氷川冴。

彼女は白いワンピースの裾を翻し、一歩ずつ、静かに、しかし絶対的な圧迫感を持って近づいてきた。


「なっ……姉さん!?」


凛が弾かれたように悠真から離れる。

その顔は、一瞬で耳の裏まで紅潮した。


「……夜風が強いわね。少年の健康管理を任されている身として、これ以上の『深夜の独白』は見過ごせないわ」


「邪魔しないでくれよ、姉さん! 今は、私の大切な話を……!」


「大切なのは、少年の『休息』よ、凛。

貴方の身勝手な感情を押し付けて、彼の動揺を誘うのはフェアではないわね」


冴の瞳には、いつもの冷徹さではなく、剥き出しの『嫉妬』が宿っていた。

彼女は悠真の隣に並び、その腕を、自身の豊かな胸元へと引き寄せるように抱えた。


「少年。凛の言葉に、惑わされてはいけないわ。

彼女は海風に当てられて、少しばかり興奮しているだけ。さあ、戻りましょう。貴方の部屋まで、私が送ってあげる」

「ちょっと待ちなさいよ。一人だけ『退場』させるなんて、非論理的だわ」


暗がりから、タブレットの画面を光らせたリサまでもが姿を現した。


「……凛さんの告白の音声データは、既に私の端末に記録済みよ。佐藤君、この後のあなたの心拍数の変化をモニタリングさせてもらうわ。

今の凛さんの言葉が、あなたにどれだけの『悪影響』を与えたか、検証する必要があるもの」


「リサまで……! ずっと見てたのか!」


凛が叫ぶが、二人の女帝は一歩も引かない。

悠真の右腕を冴が、左腕をリサが、そして正面から凛がそのシャツを掴んで離さない。


「「「佐藤君(少年)、部屋に戻るわよ(戻るぞ)!!!」」」


三人の声が重なり、合宿所の夜を震わせる。

一世一代の告白を邪魔された凛。

力技で上書きを試みる冴。

冷静を装いながら隙を伺うリサ。


「あ、あの……三人とも、近いです……引っ張らないでください……!」


悠真の困惑をよそに、三つ巴の戦いはさらに激化していく。

正ヒロインの涙によって火がついた恋のラウンドは、もはや判定決着などありえない、熾烈な消耗戦へと突入していた。

月明かりの下、悠真は確信する。

この合宿を生き延びるのは、リングの上で零と戦うよりも、遥かに困難であると。

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ボクシング部の三女帝は僕を独占したい。~拳で語る不器用な恋の防衛戦~ 空落ち下界 @mahuyuhuyu

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