第3話 地縛霊の零と夏
次の日、生憎の雨で灰色に染まった世界は全体的にどんよりと嫌な空気を流す。
零はあの公園で私のことを待っててくれてるだろうか。パンを咥えながら外の景色をぼんやりと眺めて、そんなことを考える。
もし、待っててくれてなくても零に会いたいな。
湿気混じりの匂いが体をくすぐり、パンを食べ終えた私は傘をさして、零がいるか定かではないあの公園へ行く。
土が雨に濡れ、水たまりにはもう一つの世界が生まれていた。傘から滴る水滴がつま先に当たって、靴下に染みる。気持ち悪い感触と、ぬかるんだ土の感触を感じながら零を探す。
「零〜? いる〜?」
零からの返事はなかった。
雨音だけが静寂を切り裂いて、風鈴のような優しい声は聞こえない。踵を返して、家に帰ろうかとした時、眼前にひょっこりと現れた零に驚く。
「わぁ!」
「雨なのに来たんだね」
「いるかなって思って」
「来ないと思っていたよ、雨だから」
「……来るよ」
零に会いたいから雨なんてどうでもよかった、なんて恥ずかしくて言えるはずがなかった。いなくてもいても、そんなことよりあなたが居ないことが段々と嫌になってきていたんだ。
だから、いつか訪れてしまうであろう別れが来て欲しくない。出来ればずっと私の横で笑っていて。
この旅は零の心残りという名の成仏の上に成り立っていて、始めたのは私。
そう、だから私は今日も関係ないことを提案する。
「今日は図書館で心残りを探そうよ」
「そんなところにあるかな」
「分からないけど、もしかしたらあるかもよ」
「ふふ、どうかな。でも。まぁ、行こうか」
傘に当たる雨音、私の呼吸。零からは何も聞こえてこない。でも、確かに暖かくて心地よかった。
曇天の世界の鬱屈さも晴れているようで、足の気持ち悪い感触も遙か彼方に追いやって、体の真ん中が高鳴る。
図書館に着いて、傘は傘立てにさす。中に入ると紙の匂いが鼻腔を撫でる。
私は慣れた足取りで小説コーナーに行く。
「夏、ここによく来るの?」
「小説は高いからね、ここでよく読んでるんだ」
学生の私は頻繁に小説を買えるほど裕福ではない。図書館に来れば、見たことのない小説が沢山あって宝島のようだった。
小声で話しながら、どの小説を読もうかと一つ、一つ、手に取る。
読むものが決まって、パッと振り返ると零の姿が消えていた。辺りを見渡してみるけど、どこにも姿がなくて、小声で名前を呼ぶ。
「れいー、どこー?」
「ここー」と言いながら零は本棚を貫通して、私の前に姿を見せた。
「なにそんなこと出来たの?」
吹き出しそうになるのを堪えて、零に質問を投げかける。
「腐っても幽霊だから色々なものすり抜けられるんだ」
「あ、じゃあさ! 物を動かすやつも出来たりする?」
「出来るよ、見てて」
腕を前に突き出した零が「ふんっ」と力を込めると本棚から一人でに本が動き出して、私の腕の中に落ちる。
「おぉ! 凄い! なんで今まで見せてくれなかったの」
「見せる機会があったらもっと早くに見せれたのだけどね」
「確かにそうだね。でも、凄い力だね」
「見せる人が居ないから意味のない力でしかないよ」
「私がいるじゃん」
にしし、とわざとらしくかわい子ぶる。
零はほんの少しだけ固まって、私の瞳を見つめて「じゃあ、これからは見せようかな」と笑う。
静かな図書館、濡れる窓ガラスに反射する私の姿。横に視線を滑らせると、栗色の髪が揺れていた。
あぁ、この時が永遠に続けばいいのに。
「あっ、雨上がった」
行間に差し込む薄オレンジ色が、曇天が晴れたことを知らせて、外に出ると太陽が濡れたアスファルトを宝石のように照らしていた。
「零、明日も会えるよね?」
「多分」
「ちゃんと約束してよ」
「わかったよ、約束するよ」
「じゃあ、また明日ね!」
零と私の旅は巡った。
勉強したり、川へ行ったり。心残りを探すことを口実に色々なところへ行った。
そのどれもが星のように燦然としていて、忘れることができない一生ものになって、今日は零と花火をする日。
きっかけは私がコンビニで花火を見たこと。夏といえば花火だし、何より零としたかった。
浮かれる両手にはなけなしのお小遣いで買った花火と、火消し用のバケツ。そして、する場所はもちろんあの公園。足は今にでもスキップしてしまいそうだった。
公園に着くと、零はふよふよと浮かんで暇そうにしていた。
「お待たせ〜」
「待ちました〜」
「あ、ねぇ。どうやって花火持つの?」
「あの力を使うよ」
「なるほどねぇ。じゃあ、始めようか」
袋を破って、持ってきたライターで花火の先端に近づける。
しゅわわ、と火薬の匂いがして赤色と緑色の綺麗な色は広がって、暗い公園は瞬く間に美しく彩られていく。
零も花火を浮かせて、私の花火に近づける。
二つの花火が重なって、頬に灯る赤さは感情の正体を隠してくれる。
頭上に広がる星空に響く笑い声。
線香花火のように儚く、ポトリと散ってしまうことに気が付けないまま、火薬の匂いに酔いしれていく。
花火はすぐに無くなったけど買い足す財力なんてない。静かにベンチに座って、星を眺める。
「零、心残り見つかりそう?」
「……
「そう……明日はなにしようかな」
「ねぇ、夏」
零が私の方に向き返って、真剣な眼差しで喋り始めて胸の奥がざわめく。
「な、なに?」
「多分。いや、もう明日は来ないと思うんだ」
「どういうこと? まだ心残り見つけてないよ。だから、来るよ、きっと」
「……実はねもう見つかっているんだ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。僕の心残り、それはね」
「聞きたくない! まだ、零と遊んでいたい! 遊びたい!」
零の言葉を遮って、震える声で駄々をこねる。
手が、視界が、滲んで、震えて、体全体が「嫌だ」って叫ぶ。
それでも、零は優しく笑って、私を見つめる。
「僕はずっと誰かと遊びたかったんだ。一人で孤独で、夜は寒くて、暗かった。でも、そんな世界に君が現れたんだ、夏」
零の手が私の手に重なって、すり抜ける。
「ありがとう。夏がいてくれたから寂しくなかった」
「嫌だよ! 私はまだやりたいことが!」
「夏、ごめんね」
謝らないで。これは私は始めたことだから、零は悪くないよ。
なんでそれが言えないのだろうか、簡単な言葉のはずなのに。今は、言葉の全てが痛くて重たい。
「……まだ一緒にいようよ」
「僕は空の上からずっと見てるよ」
「空の上からじゃなくて、傍にいてよ」
こんな日がいつか来てしまうことは理解していた。
でも、拒絶することしかできなくて、受け入れることがままにならなかった。
光になっていく零に別れが言えなかった。
「夏、もう時間みたい」
「待って……! 私も楽しかったよ! すごく楽しかった!」
「ありがとう、夏。元気でね」
伸ばした手が掴んだのは小さな光の粒子で、零はこの世界から姿を消した。
月明かりが照らす公園は、まだ火薬の匂いがして涙は頬を伝う。
*******
あの夏からどれぐらいの月日が経っただろうか。
私はすっかりと大人になって、少しばかり身長が伸びた。社会人が板についてきたけど、心はいつもあの魔法のような夏を探している。
零との少しだけの数奇な日々。今でも面影を探して、空を見上げる癖がついてしまった。
「ねぇ、零。見てる? 私、元気にやってるよ。そっちはどう?」
「僕も元気にやってるよ、夏。ずっと、見てるからね」
風が吹いて、零の声がした気がして振り返るけどそこに姿はなくて「当たり前か」ってこぼす。
私は、あの夏を忘れることはない。
地縛霊の零と夏 パ・ラー・アブラハティ @ra-yu482
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