再会

春の穏やかで優しい陽だまりが、命あるものすべてを包み込んでいる昼下がり。

それとは裏腹に、今この瞬間、診察室の空気は止まっていた。


問診票に視線を落とした御門先生は、淡々と問診票に書いてある氏名を読み上げた。


「相原 秀雄さん。

私はこのクリニックの診断医、御門 舜といいます。」


「御門……舜先生……」


相原さんはそう呟くと、視線を左上に向けたまま動かない。

何かを探すように、記憶を辿っているように見えた。


「私は以前、総合病院で内科医として勤務していました。

その時、相原さんが患者としていらっしゃいましたね。」


「あ……ああ。そうでした、そうでした。

覚えています。たしか、二年ほど前ですよね。」


「ええ。

咳がひどいということで、レントゲンと春のアレルギー検査をしました。

どちらも、異常は見当たりませんでした。」


相原さんは、苦痛に顔を歪めて視線を落とす。

そのまま、絞り出すような声で言った。


「……あのまま、まだ良くなっていないんです。

今日も、同じ症状でこの病院に辿り着きました。」


少し間を置いて、力なく笑う。


「病院難民、ですね。」


そう話す相原さんを前に、御門先生はただ黙って、その顔を見つめ続けていた。


無言の時間が流れる。

それは、やけに長く、重く感じられた。


その空気に耐えきれなくなったのか、相原さんが先に口を開く。


「あ、あの……」


そこから先の言葉を咳が阻む。


「ゴホ……ゴホ、ゴホ、ゴホ……」


「相原さん……。

ずいぶんと、痩せてしまわれましたね」


「ゴホ……ゴホ……。

すみ……ません……」


咳の合間に、無理に笑おうとする。


「ゴホ。

咳で腹筋は鍛えられたんですけど……。

夜が、よく寝られなくて……」


御門先生は、もう一度問診票に視線を戻した。

それは、目の前の用紙ではなく、過去を見つめているようだった。


御門先生が静かに話し始めた。


「私は当時、研修医でした。

辛い思いをしている人を、何とか救いたくて……

毎日、必死に病状と向き合っていました。」


「相原さんと出会ったのは、その頃です。

すでにいくつもの病院を回り、

『検査では異常がない。でも、咳が治らない』

そう言われ続けてきたと、おっしゃっていましたね。」


「私は……」


そこで、御門先生は言葉を切った。

視線を上げ、相原さんを見る。


「私の実家は、陰陽師の末裔です。

目に見えない存在と向き合う家で、私は育ちました。


だから、人の体調を狂わせる“何か”がある。

そう考える自分も、確かにいました。」


一度、息を整える。


「ただ……その力は、私には受け継がれなかった。

……だからこそ私は、医者を目指したんです。」


苦しそうに、言葉を継ぐ。


「でも……医学だけでは救えない場面を、

私はいくつも診てきました。」


相原さんは何も言わず、ただ御門先生を見つめている。

次の言葉を待つように。


「相原さん。

あなたも、その一人でした。」


「!」


「ゴホ、ゴホ……ゴホ……」


花村先生が、そっと水を差し出してくれた。


「ゴホ……すみません……」


水を一口飲み、相原さんは、少し迷うように口を開く。


「えっと……。

今、先生は……

私の咳の原因は、目に見えない“何か”だと……

そう言っているんですか?」


御門先生は、はっきりと頷いた。


「はい。

当時も、そう思っていました。」


一拍置いて、続ける。


「……ですが、医者の立場から、それを口にすることはできなかった。

当時の私には、相原さんを治すことはできませんでした。」


それでも、目を逸らさずに言う。


「そう思ったからこそ、

私はこのクリニックを立ち上げたんです」


「……覚えています。

その時の、御門先生の顔を……」


「『検査結果に異常はなく、咳の原因は身体にはありません』

……そんな言い方をしていましたよね。

それが、ずっと引っかかっていたんです。」


相原さんは、少し目を伏せる。


「何か言いたそうな顔をしていました。

その時、側に年配の先生もいらっしゃいましたね。

御門先生は、その方の顔を何度も見ていた。」


小さく、息を吐く。


「……そうか。

そういうことだったんですね。」


相原さんは天井を見上げた。


「……信じてもらえますか……」


御門先生の声は、低く、かすれていた。


今もなお苦しんでいる相原さんを前にして、

御門先生は、わずかに視線を伏せた。


「……。」


二人は、何も言わなかった。


御門先生は、ただ真っ直ぐに相原さんを見つめている。

相原さんの目だけが、思考と感情の間を忙しく行き来していた。


「私は……」


顔を上げる。


「先生の診断を受けたいです。」


すがるようで、しかし迷いのない声だった。


御門先生は大きく頷くと、PCに身体を向け、問診票の内容を打ち込んでいった。


「咳。咳が続いて眠れない……。

肺に影があるように見えて、それでも異常はない、ですね。」


「はい。」


相原さんは、小さく頷いた。


「他に何か、胸の奥から込み上げてくるような感情や、最近よく口にしてしまう言葉はありませんか。」


「……」


少し考えてから、


「特にないと思います。

ここ最近は、治らない咳で生きていくのが辛い、と感じるくらいで……。」


「なるほど……。」


御門先生は一度キーボードから手を離し、短く考え込む。

そして再び、静かに入力を再開した。


タンッ


一際響くエンターキーの音で、結果が出たことを告げる。


「相原さんの診断結果が出ました。

あなたは——『霊』に頼られています。


ただ、訴えてくる言葉が少なすぎて、私にはこれ以上は分かりません。

ですから相原さん、カウンセリングを受けていただけませんか。」


これ以上、相原さんを失望させたくなかったのだろう。

御門先生は診断結果を告げてから一気にカウンセリングの話まで持っていった。

治る希望があると光あるところへと導く。










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