平凡男子はサキュバス女子から一生離れられない
水守喰介(みずもりくろすけ)
プロローグ
第1話:おしどり建築家は今日もじゃれ合う <1>
篠原ホノカは、本来なら美しくカーブした眉を、今は“ハの字”に潜めていた。
くだんの表情の原因は、手元のデザインスケッチにあった。そのスケッチは、四国のある自治体が図書館を建て直すにあたって開かれるコンペのために、とある建築家が描いたもの。それがホノカにはイマイチに見えたのだ。
――ホノカはどんな表情でも美人だな。
そんなホノカの心境とは裏腹に、スケッチを描いた当の本人である篠原ユキトは、のんきな気分でいた。ユキトは、ホノカの夫にして共同経営者。そして、くだんのスケッチを描いた建築家だった。
確かに、ホノカは美しい。ユキトじゃなくても、気を付けなければ仕事中であっても、うっかり見とれてしまうだろう。
頬から顎にかけての輪郭は、シャープだけど細すぎない。色素が薄く、はっきりと茶色い瞳。ふっくらとした唇は、笑うと真っ赤な三日月を描き出す。
淡い栗色で緩いウェーブをかけたセミロングの髪は、日の光が当たるとキラキラとオーラの様に輝きだす。仕事中、特に自分達のアトリエで作業している時は、ハーフアップにしていることが多く、細く白い首筋から色香をまき散らしている。
このアトリエのスタッフに女性が多いのは、その辺りが理由だ。男性は面接の時、うっかりホノカに見とれてしまい、受け答えがまともに出来ないことがよくあるのだ。もちろん、ホノカの美貌は男女とも惹きつけるが、若い男性にはてきめんに効果を発揮してしまう。
そしてユキトは、すでに中年手前の年齢だが、そんなホノカの首筋に見とれていた。
――俺以外には、あんまり見せないで欲しいな。
そんな風に内心で独占欲を発揮していたら、視線の先から鋭い矢が飛んで来た。
「あなたのセンス、はっきり言って時代遅れだわ。今どきコンクリ打ちっぱなしがオシャレだなんて、いったいいつの時代の建築家なのかしら」
赤いリップで強調された唇から、辛辣な言葉が飛び出した。ともすれば、相手の建築家のすべてを否定しかねないほどの勢いだ。この事務所ではよくある場面だが、初めて出くわした人は驚くだろう。
だけど、今の相手であるユキトは、負けていない。
「この公共施設は都市と自然の境界に位置するんだ。だから、メインの建物はコンクリ打ちっぱなしだが、周辺施設は木材を使うことで、都市と自然の境界を象徴する存在だ。すべての条件を考慮してロジカルに導き出した必然だぞ」
相手の指摘に対してきっちりと反論する。ユキトだって名のある建築家。単なる思いつきだけでデザインシワ竹では決してないのである。
だが相手も、その名声を分け合う建築家の片割れ。つまり、ユキトに対する評価は、自分自身への評価でもあるわけだから、簡単には引かない。
「とにかく理屈っぽいわ、アナタ。そんなんじゃクライアントはおろか、女の子がさっぱり寄りつかないわよ。頭でっかちなアイデアじゃ、依頼主が望む『100年続く図書館』なんて到底できやしないのよ。豊かな感性があってこそ長く愛される建物が作れるわ」
「理屈だって大事なんだ。理屈抜きの感性とやらで作っても、見映えがいいだけで、使い勝手が悪くて、欠陥だらけ。そんな建物が、人に寄り添っているとでも? 建物は、使いやすくて、周囲に馴染んでこそ、人々に愛されるんだぞ」
ふたりの間で、激しいやりとりが始まった。
これを聞いていたスタッフの脳裏には、ふたりがボーリングの玉で卓球をしているシーンが浮かんでいた。
議論の題材こそ建築に関することだが、それを載せている言葉がとにかく鋭くて、重くて、固い。
うっかりと第三者がぶつかってしまえば、激しく跳ね飛ばされて、転がりぶつかる大事故だ。
そんなヘビー級を越えて、ダンプカーレベルの言葉のやり取りが行われているにもかかわらず、周囲の人間は黙々と自分の作業を続けている。
ここは篠原ユキトと篠原ホノカが、夫婦で共同経営する設計事務所。100平米はあるアトリエでは、アシスタントや事務・経理のスタッフなど20名からのスタッフが働いている。
そこで、侃々諤々の議論とも、夫婦げんかともとれる、激しいやり取りが繰り広げられていた。
新入りのスタッフは、これを見て大抵は恐れおののく。そして、とんでもないところに入ってしまったと後悔するのだが、しばらくすればこの光景にすっかり慣れてしまう。
それほどまでに、ユキトとホノカは、しょっちゅう衝突する仕事仲間であり、そして仲睦まじい夫婦であった。
だから、この激しい口論も、ふたりはケンカや口論だとはみじんも思っていない。夫婦間のコミュニケーションの一環であり、仕事仲間として必要なディスカッションであり、共同経営者としての情報共有でもあるのだ。
つまり、これで平常運転。夫婦の不和でも、事務所解散の危機でもない、いつものこと。
だから、長くいるベテランスタッフなんかは、ふたりがどんなに激しくやり合っていようと、用があれば遠慮なく口を挟んでくる。
「はいはい、今日も仲良くじゃれ合ってないの」
「エリちゃん、別にじゃれ合ってるわけじゃないわ」
「いいから、早く仕事して。ホノカは新潟のオフィスビルの最終図面のチェック。構造設計の修正に回せないのよ。ユキトは大阪出張のときの経費精算。いつまでもクライアントに請求書出せないじゃないのよ」
「風間、目の前の仕事も大事だが、俺たちは建築家として譲れない部分の議論をしているんだぞ」
「あなた達、大学のときからずっと同じ議論してるじゃないのよ。毎回、合意できないで終わるのに」
「そうよ。それだけ大事なことだわ」
「大事なのはわかるわ。でも、あなたたちは、一緒に事務所を開いて、結婚までしているのよ。これがじゃれ合いじゃなかったら何なの?」
そう言われながら、目の前にそれぞれの仕事を突きつけられると、ホノカもユキトも渋々と従うしかない。
この猛獣使いのごとき手腕を振るっているのは、ふたりの大学時代からの同期で、この事務所の取り回しを一手に担っている風間エリだ。
「ほらほら、入ったばかりの若い子が驚いちゃってるのよ。ふたりの愛の巣の事務所だからって、イチャつくのもほどほどに」
「だから、エリちゃん、違うってば。そもそも事務所だって、ユキトがひとりじゃ自信がないって言うから一緒に開いただけだわ」
うっかりとエリが口を滑らし、余計な燃料を投下してしまった。すぐさま第2ラウンドが始まる。
――――――――――――――――
ようやく第2作目の投稿を始められました。
もっと早く始めるつもりだったんですが、なかなか書き進められず大晦日に。
ひとまず、お正月休みが終わる1月5日までは毎日更新の予定です。
まだ全部を書き終えていないので、その後の更新は週2回のペースを予定しています。
というわけで、新作も応援をよろしくお願いします。
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