半笑いの光明

サンダルウッド

第1話「冴えない男のくだらない幸福」

「いらっしゃいませ。店内でお過ごしですか?」

 若いころの金沢碧かなざわみどりに似た女性店員が、器用に笑みをつくって挨拶する。

「あっ、はい。アイスロイヤルミルクティーのミディアムサイズを一つ。あっ、あとこのクーポンお願いします」

 五十円引きのクーポン画面が表示されたスマートフォンを提示する。

「はい、かしこまりました。では、こちらの“使用する”を押していただけますか?」

「あっ、はい」

「ありがとうございます。では五十円引きさせていただきましたので、二百四十七円になります……三百円お預かりしましたので、五十三円のお返しです」

 女性店員の指先が、わずかに私の右手にふれた。

「ごゆっくりどうぞー!」

 快活な声を受けて軽くお辞儀し、ガムシロップをひとつ取って奥のテーブル席に移動する。


 新宿サブナードのベローチェは全体的に女性店員の外見レベルが高いため、ここ最近で特に利用頻度の高いコーヒーチェーンだ。

 しかし、彼女を見たのは初めてだった。その整った容姿を数十秒拝めるだけでも私の幸福のバロメーターはいくらか上昇するに違いないが、さらに過不足のない爽やかさを備えた上質な接客を享受できたとあれば、上昇速度は凄まじいものとなる。


 ごく普通の文言によるシンプルな接客だったが、都内の様々なコーヒーチェーンに足を運ぶとそれすらも満足に行えないかあるいはいい加減にこなす人間が多いことを、私はこれまでの二十八年間の人生で十分すぎるほど認知した。

 真剣に行うほど価値のある仕事かと問われれば首肯しかねるところであり――真っ先にAIに取って代わられる未来を容易く想像できる――、だからこうした店で働く人々のモチベーションの低さがわかりやすく露呈していたとしても致し方ないと受容できる。しかし、だからこそそうした環境下で、彼女のように上っ面だけでも装わんとする真摯な態度を感じ取れた時には感動すら覚えるのだった。


 てて加えて、先ほどは彼女と接触した。

 細く長い指先が、私の右手の平にふわりとふれた。一秒にも満たないほんの刹那せつな。しかし、ベーシックな幸福に上乗せされたボーナスのごとき幸福だ。

 それは、孤独で粗末でうだつの上がらない日々を送り、若くてそれなりに見ばえのよい女性を前にすると「あっ」という無意味な前置きをたびたび挟んでしまう冴えない私にとってはたいそうな刺激だった。刺激の度合いを具体的に表すとすれば、世間一般の男性が恋人とぎゅっと手をつないで歩いたり抱きしめ合ったりするのと同等、あるいはやや劣るぐらいのものだろう。


 席に座り、ふれた箇所を鼻に近づける。

 むろん何の匂いもしないが、彼女の細胞のひと欠片を頂戴したような心地になり、思わず頬がゆるむ。


「よっしゃ」  


 誰にもきこえないほどのヴォリウムで、そう呟いた。

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