惑星からのハローハロー

@morusan_create

惑星からのハローハロー

「いそぎそ……さん?」


夕暮れが妖しく照らす文芸部の部室で、不意に先輩からそんなことを言われた。

読んでいた本から顔をあげ、先輩の顔を見つめる。


「そう、イソギソさん。知ってる?」


先輩は本に眼を落としていて、言葉だけで僕に語りかけてくる。

長い黒髪と白い淡麗な容姿が橙色の明かりと相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「いえ、知らないです。

……誰、なんですか? その、イソギソさん、は」


軽く見惚れてしまっていたために返答が途切れ途切れになってしまったけど、先輩は気にしてないようで僕に教えてくれる。


「昔からウチの高校で言われてる怪談だよ。

放課後に一人で職員室に行くとイソギソさんが対応してくれるんだって先生じゃなくてね。

それで、どんな質問にも必ず答えてくれるんだけど、その回答がまるっきり的外れなんだってさ。

誰が言ったか『違相偽装さん』、だからイソギソさんなんだって。

まったく面白い怪談だろう?」


先輩は変わらず本から眼を離さないけれど口元は緩み、まるでフフン!とでも言いたげなドヤ顔を見せていた。

得意げだけど、僕はそんな話を聞いたことはない。


「先輩、その……一体誰がそんなこと言ってたんですか?

そんな怪談話聞いたことないですよ」


「そりゃあそうだろう。

だって今私が考えたんだから」


えー……と思ったけれど僕は強く言うことができなかった。

先輩は時々こうやって誰かを試すかのように作り話をしては煙に巻く。

それが僕には心地良いものだからだ。


自分で言うのもアレだけど、僕はいわゆる「良い子」だ。

いつも人の顔色をうかがって、不快にさせずに、求められる事をする。


高校に入ってからも変わらなかった。文芸部に入ったのだって「僕ならこうする」という周りのイメージに合わせただけ。

だけどそこで出会った先輩は、僕の仮面を剥がすかのように何も求めなかった。

不意に話を振ってはすぐに自分の世界に戻っていく。


顔色をうかがわなくていい安心できる場所。

それが文芸部で、先輩の側なんだ。

だから突飛な話も、僕にとってはとても心地良いのだ。


「まあ怪談なんてものは他愛無い会話から作られることもある。

もしかしたらイソギソさんが職員室にいるかもしれないぜ?」


「そんなこといったらウチの高校怪談だらけですよ。

先輩がそうやって話すのは一度や二度じゃないんですから」


「人間ていう化け物が300人はこの箱庭にいるんだ。

増えたところで誤差だよ誤差」


そして先輩は座っていた回転椅子を横向きにして自分の世界に入っていく。どうやら話は打ち切りみたいだ。

じゃあ僕も本の続きに戻るか、と目線を下に落とした時、ふと思い出して左胸のポケットから手帳を取り出した。

目的のページまでペラペラとめくり、お目当てにたどり着くや否やボールペンで書き込んでいく。


『職員室のイソギソさん』と。


このページで先輩から聞いた怪談モドキをまとめている。

『図書室に増える存在しない本』

『階段踊り場の掃除のおばちゃん』

『4階廊下の大鏡』

『教室を占拠する宇宙人』

などなど……


仮面を外した静かな姿をその言葉と共に残すこと、これは僕の密かなルーティン。


ゆっくりと手帳をしまう。

懐に増えた厚みが僕を肯定してくれるように思い、微かな満足感を覚えて読書に戻った。


◇◆◇◆◇◆


ピピッ……ピピッ……ピピッ……


無機質なタイマー音で僕は本の世界から現実に帰還する。

時計をみると17時に差し掛かる頃だった、先輩も同様に時計を見ている。


「もうこんな時間になったか。

残念だが部屋閉めなきゃな、ほら、さっさと片付けるぞ」


先輩は鞄に乱雑に本を仕舞い込む。

僕も倣って丁寧に仕舞い込んだ。

そうして最後に、忘れ物や窓の鍵などを見回ってから二人で部屋を出る。


やおら先輩がスカートのポケットから鍵を取り出して文芸部を閉めた。

それは僕が仮面を被り直す合図。「良い子」の外行きの笑顔を貼り付けるのだ。


「先輩、部室の鍵僕が返しておきますよ」


「僕」ならそうする。

だれかの手を煩わせずに、だって良い子だから。


「…………まぁいいか。それじゃあ頼んだ」


僕の意を汲んでくれたのか先輩は顔も合わせずに鍵を渡してくれた。

それを確かに受け取ると、先輩はさっさと踵を返して下り階段へ向かった。


「足下には気をつけなよ」


先輩はそれだけ言って階段を降っていく。

別れの挨拶もない、無愛想な先輩と良い子な後輩。

部屋を出たらそれだけの関係性でしか無いけれど、僕にはそれだけで十分だった。


先輩の姿が見えなくなってから僕も動き出す。

鍵は職員室に返さないといけないけれど、文芸部は5階で職員室は1階。

手間だけど、それをやらざるを得ないのが「僕」。


◇◆◇◆◇◆


外から運動部のかけ声が聞こえる中、ゆっくりと階段を降り職員室に向かう。

今日は帰ったら何をしよう、そんな事を考えながら、しかしそれを悟られないように顔を作って。

踊り場から差し込む夕陽が目を眩ますけれど表には出さない。


小学生の頃、一度だけ、眩しくてしかめ面になったら。


『どうした、そんな顔して。

もしかしていじめられてるのか!?』


と大事になってしまったことがある。だから表には出さない、出せない。


時々僕の本当の感情がわからなくなる時もある。

けれど「僕」がそれを塗りつぶしてくれる。だから問題ない。


そんなことを考えながら歩いていると、職員室にたどり着いた。軽く深呼吸をし"マナーを守って3回"ノックをして中に入る。


中には一人しかいなかった、背中を向けているため顔はわからない。

僕は近づいて声をかける。


「作業中すいません。

文芸部の鍵を返しにきました。いつものロッカーでよろしいでしょうか?」


「明日の天気は曇りのち雷ですよ」


…………えっ?


思わぬ言葉に固まってしまう。でも「僕」はそうなってはいけない、諦めずに声をかけた。


「あの、鍵はロッカーにしまって大丈夫ですか?」


「田町のラッキーカラーは紫色です」


……話が噛み合わない。

こんな先生いたかな、個性的な人は多いけど話をずらしてバカにするような人はいなかったはず。


「ロッカーに入れておきますね?」


「三宅秋彦は明日死ぬんですよ」


…………え、誰?

僕は思わず気味が悪くなり、「僕」には相応しくないけれど、会話を打ち切ってロッカーに向かう。


ロッカーはいつもの所──学年主任の席の後ろに配置されている──にしっかりとあったので、さっさと鍵を置く。

そのまま逃げるように職員室を出ようとした。

けれど培った習慣は変えられないもので「ありがとうございました」と返事をしてしまう。


「グラセンホテルの203は閉鎖されてますね」


そんな声を背中に受け、僕は思わずピシャリと職員室の扉を閉めてしまった。

結局顔もわからない、声だけの人だけど、あんな先生はいない。僕/「僕」の常識でもいちゃいけない。


そう。

だから目の前の光景も、あっちゃいけない。

でも「僕」の冷静な部分が僕に現実を突きつける。


ここは──4階だ。


◇◆◇◆◇◆


1階の部屋を出たら4階だなんて、そんなの怪奇小説ですらありふれすぎて今や誰も取り入れないのに。

それが現実として起きているのは、まさに奇なりだ。


そんな事を考えながらひとまず1階にいくために階段へ向かう。

けれど、行けども行けども階段が見つからない。他の教室は見つかるのに階段だけが切り取られたかのように存在しない。


いったい何に巻き込まれてしまったのか不安を見せる僕を「僕」が押し込めてくる。

あくまで冷静に見えるように振る舞わせさせる。


だからこそ手帳のことを思い出すことができた。

先輩の創作怪談、そのことを。

さっきの職員室でのやり取り、あれはイソギソさん……?


そんなことはあり得ない。

だってあれはただの作り話なんだ。

でも今の状況をみると、"あり得ないことなんてあり得ない"んだ。


慌てて胸ポケットから取り出しページをめくる。

先輩が話した怪談がギッシリ詰まったページを求めて。


そして辿り着く、目的の箇所に。


『4階の廊下の突き当たりに大きな姿鏡があるだろう?

あれに向かって自分の名前を呼ぶと、鏡の中と入れ替われるんだってさ。

昔流行ったろ? 異世界に行く方法って、それの亜種だよ。

けど行くには条件があってね。

"いきどまり"じゃないといけないそうだよ。それがなにか詳しくは知らないけど』


先輩の言葉を借りると、そういう話だった。


いきどまり……意味はわからないけれどそれしか手段がない。

僕は廊下をひた歩き、やがて突き当たりの鏡に到達する。

映るのは変わらぬ笑みを浮かべた「僕」。仮面がハッキリと僕を見ていた。

思わず鏡に手を触れて「僕」と手のひらを合わせた。無機質な冷たさが伝わってくる。


これが、「僕」か。

先輩が見たらなんていうだろうか。

いつもみたいになにも求めないでくれたら……それは、とても嬉しい。


鏡から手を離し来た道を引き返す。

「僕」は僕じゃない。


先輩からもらった怪談は僕だけのもの。「僕」にだって渡せない。


側から見たらどうでもいい、けれどもとても重い思考で頭を埋め尽くす。

…………顔だけは、変わってくれないけど。


そのまま引き返したはいいが階段がなくて八方塞がりかなと思っていた。

けれど、階段はあった。まるで切り取られたことなどなかったかのように、ドッシリと、次の階への口を開いている。


どちらに行くか一瞬迷ったけれど、帰る途中である事を思い出して、下への道を選ぶ。

ゆっくりと降りた先には一つの扉。


非常階段でもないのに扉があるなんて、どうやらまだ帰してくれるつもりはないらしい。


……だれが、僕を帰したくないんだ?

そんな事が脳裏をよぎり、思わずゾッとして、それを振り払うように扉を開けた。


そこは図書室、1階にあるはずの図書室が僕の眼前に広がる。


ふと思い出す先輩の怪談。

図書室に増える存在しない本。


『図書室の歴史書の棚にさ。

是曲 臣高(これまがり おみたか)っていう作家の本が、いつの間にか追加される事があるんだ。

内容はシリーズ物のよくある推理小説のなんだけど、そんな作家いないんだよ。

誰かのペンネームって訳でもない。

本当に存在しないんだ。誰も読んだ事がない、触れられた事もない。

そんな作家の本が、なんで歴史の棚に紛れるんだろうね』


積み重なった歴史に紛れる、積み重なっていく推理小説。

消せない「僕」が積み重なっていくさまと重なって、無意識のままに歴史書の棚に足は動いていた。


そこは図書室の一番奥、扉から遠い暗い場所。

天井高くまで積み上げられた書物を指でなぞりながら一つ一つくまなく見ていく。


縄文時代、フランス革命、コロンブスの手記、近代日本史……


年代も世界もバラバラに納められたその中に一つだけ。

まっ茶色の背表紙に白い文字でタイトルが書かれた本。


『惑星からのハローハロー 著:是曲 臣高』


見つけた、見つかってしまった。

存在しないものが"ある"ことに、ムカムカとした気持ち悪さが僕を支配しはじめる。

だけど「僕」は意に介さず書棚から引っ張り出してページをめくった。


☆★☆★☆★


ワタシが後に「世界最大の詐欺」と謳われる事件に巻き込まれたのは全くの偶然であった。

事の始まりは、ワタシが普段根城にしているホテルに友人が客人を伴って訪れたことによる。

今にして思えばその時点で断っておけば良かったのだろうがそれを判断する手がかりも情報も一切持ち合わせていないのが敗因であろう。


「久しぶりだな、本城!」


この快活に笑う、全身をブランドスーツで固めたオールバックの男こそ、ワタシの長い付き合いである友人、御所園 晃(ごしょぞの あきら)。

元凶その1だ。


招き入れもしないのにズカズカと入ってくるその無神経さは、しかしながら交友の少ないワタシにとってはありがたいものでもあった。


「一体全体どういった用なんだろうか、御所園クン。

そちらの御婦人のことも紹介してもらいたいものだ」


ワタシの素気ない言葉にも、ああそうだったと軽いノリで、全く気にも留めていない。


「こちらは赤村 美蓮(あかむら みれん)さん。どうやらお前のことを聞きつけて話がしたいそうなんだ」


その言葉に御婦人をちらりと見る。

長い黒髪を自由にさせ、まるで死人かと思うくらいの白い肌をしており、有り体に言えば美人。元凶その2である。

そんな御婦人が御所園クンを押しのけて話しはじめた。


「初めまして、本城 叶(ほんじょう かなえ)さん。早速ですが、貴方に依頼があって参りました」


「ワタシに依頼ですと? 地縛霊のようにホテルに棲み着くワタシに、貴女のような御婦人の為になんの手助けができるのでしょうか」


女性との付き合いもなく、御所園クンを相手取るように皮肉を込めてしまったワタシに、彼女は気にすることもなく

むしろフフン!と言うかのように得意げに顔を歪ませた。


「評判通りの御方ですわね。だからこそ貴方に依頼したいのです。

グランセンドホテルの203号室で、これから行われる殺人事件の──解決を」


いつの間にやら備え付けの冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めている御所園クンが口を挟んでくる。


「グラセンっていやあ、超高級ホテルじゃねえか。

そこで殺しが起こるってか? だが203って欠番じゃなかったか?」


「そうですね。過去に殺人事件が起こり、今203号室は存在しません。

ワタシの記憶が正しければ…………──────────


☆★☆★☆★


僕はそこで本を──「僕」を押しのけて無理矢理──閉じた。

これ以上読んではいけない。理屈でわかる危機感が、鼓動を早くする。呼吸が浅くなる。

名前が載っていたんだ、僕と先輩の。



本城 叶と、赤村 美蓮の。



◇◆◇◆◇◆


ここに居てはいけない。

僕は本を投げ出して、それでも「僕」という仮面が抵抗するのか、浅い呼吸が速くなりながらも急ぎ足程度のスピードで扉に向かう。

歴史書の棚を抜けだし、出口でもあり入口にもなる扉へ一直線に歩く。

誰がなんの目的で僕をここに招き入れたのかはわからない。

もしかしたら図書室を出るまでに、何らかの妨害があるかもしれない。


だから、早足で歩く。


けれどその想像は杞憂に終わり障害もなく扉まで辿り着いた。

そのままの勢いで開き外に出るとそこは階段の踊り場。

今更繋がっている場所がグチャグチャなのは気にならない。


だけど。どうしても。一つだけ。

表示板を見上げて、声を出してしまいそうになった。


この校舎は5階建て──8階なんて、存在しない。



踊り場から差し込む光はなくなり、いつの間にかトップリとした夜が更けていた。

もう諦めたくなる、この場にへたり込んでしまいたくなる。


だからこそ「僕」が僕を急き立てる。

良い子だから帰らないと。

15年間貼り付けた仮面はそう簡単には取れないみたいで、「僕」は階下へ歩き始めた。


しかし、すぐにそれも無理なのだと思い知らされる。

どれだけ降っても辿り着くのは8階の踊り場なんだ。延々と、永遠と、繰り返している。


それでも帰らなくちゃ。

疲れていても、泣きたくなっても、降らなきゃ。


そうして何階分降っただろうか、後ろから自分以外の足音がしているのに気づいた。

思わず振り返るとそこには、髪を紫メッシュに染め、ピンク色の清掃服を着た、顔が異常に大きいおばちゃんがいた。


『ウチの学校は清掃員を雇っていてね。

基本的には朝早く、それこそ3時位から清掃してくれているらしいんだけど、時々夜にも現れるんだってさ。

ああ、"現れる"って言い方は変かな? でもそれが正しいんだよ、だって夜に清掃員は"いない"んだから。

でね、夜に現れる清掃のおばちゃんなんだけど。

悪いことをしていなかったらアドバイスをくれるらしいよ、どんな内容かは知らないけれど。

悪いことをしてたら……どうなるんだろう、私も興味あるな』


先輩の言葉がフラッシュバックする。

あれが、階段踊り場の掃除のおばちゃん……。


おばちゃんは僕/「僕」をじっと見て、そしてゆっくりと向かってきた。


怖い、怖い、怖い。

なのに「僕」は柔らかな笑みを浮かべながら階段を降りている。

僕は良い子なんだろうか、「僕」は悪いことをしたのだろうか。頭が回らない、とにかく降りるだけで精一杯だった。


階段を降りた先はもちろん8階の踊り場、振り返るとおばちゃんは着実に距離を詰めてきている。

こんなときにも「良い子」でいなければと思う自分に腹が立つも、顔には変わらぬ笑みを湛えていた。


それからどれだけ降りただろう。

単純に疲労から動けなくなり、おばちゃんが僕の後ろにいる。息のかかる距離に。


何をされるのか何を言われるのか、怖いけれど目は瞑れなかった。

年長者に対して失礼な行為だ。「良い子」じゃ、ない。


その時、耳元で囁かれた。


「アンタ迷い込んだね。アンタに必要な場所に行きたかったら、踊り場から下に飛び降りたらいいよ」


それだけを言って、おばちゃんは僕を追い越していった。


アドバイスをくれた。

僕/「僕」は「良い子」なんだ「悪いこと」はシてないんだ。


そのことが頭を巡る。怖いのに、心は乾いているのに、顔だけは歪んだ笑みを貼り付けていた。

呆然としながらも足だけは動いて、変わらず8階の踊り場に辿り着く。


飛び降りれば必要な場所に行ける。「帰れる」。

飛ぶのは怖い。「だけどそうしなきゃ」。

怪我をするかもしれない。「帰れない」。


僕/「僕」が交差する。

一体どちらが主導権を握ったのか、それはわからない。


だけど確かなのは、僕は、身を投げていた。


◇◆◇◆◇◆


まるでワープしたかのように一切の衝撃もなく辿り着いたのは5階。

僕の前にあるのは文芸部の部室。


無意識に取手に手をかけると、閉めたはずの鍵の抵抗は一切なく、扉を横にスライドできた。

そこにいたのは。


「せん……ぱい……」


情けないほどに掠れた小さい声。けれどそれに反応してくれたのは。

開け放たれた窓に腰掛け、黒髪を風になびかせ、月明かりに照らされた、先輩その人だった。


「良い夜だ。

月は綺麗だし風は気持ちいいし何より君がいる。

そう思わないかい? 本城 叶くん」


「あ、赤村……せんぱ……い……」


「うわぁ、君それどういう感情なんだい?

鼻水垂らして泣くほどなのに笑顔のまんまじゃないか。

表情筋の使い方でも忘れたか?」


そう言われてはっと気づいた。

文芸部は仮面を外せる場所なのに、僕/「僕」が出ている。

僕は……「僕」は……?


「あーあ、中身がぐちゃぐちゃじゃないか。

まーったく、帰る時に言っただろ?

足元には気をつけろって」


「足元って……言ってました……けど……」


いつもの調子の先輩に安心したのか足から力が抜けて崩れ落ちる。

鼻をすすりながら、すがりつくように先輩の元まで這っていった。


「自分自身の自意識、土台、それは足元だろ?

いやー先輩さみしいぜー、せっかく注意したのになー」


そういって軽く笑う赤村先輩。

いつも見ていた変わらない自然な笑顔だった。


「今のまま話しても意味ないだろうし、少し落ち着きなよ。

そうだ。今日、君がここに来るまでにどんなことをしてきたのか話してくれないかい?

話すだけでも軽くなるだろ?」


その言葉を皮切りに、まるで待っていたと言わんばかりに僕はすべてを話した。

イソギソさんから始まり、鏡、図書室、踊り場。そこで起きたすべてを、そこで考えたすべてを。

呼吸も忘れただ吐き出し続け、話し終わる頃には息切れするほどに。


「なーるほど、ね。

私が作った怪談が全部本当になってやって来た、簡単に言えばそうなるか。

だとするとさ」


先輩は未だうずくまる僕に目線に合わせるために屈んで、言った。


「まだ体験していないものがあるだろう?」


「え……?」


「教室を占拠する宇宙人、さ」


ニコリと目尻を下げて笑う先輩の言葉に思い出す。


『宇宙人っているだろう?

信じる信じないはともかく、ウチの高校には宇宙人がいるんだってさ。

しかもたちの悪いことに教室を一つ、まるで自分のもののように扱ってるみたいだよ。

噂では友好的らしいんだけど、その宇宙人に気に入られると連れ去られるんだってさ。

怖いよねー』


「まさか……まさか、そんな……」


「信じられない? でも信じてもらうしかないんだよ。

文芸部(ここ)でなら君の「仮面」は外すことが出来る。今だけは素直になって良いんだぜ?

「良い子」でいるか、それとも私の手を取るか」


考えが追いつかない。

文芸部が占拠された教室で、でもそれは先輩の作り話で、だけど僕はそれが心地よくて。


「あー、考えてる所悪いんだけどダメ押しさせてもらうよ?

端的に言って私は君のことが好きなんだ。

それに……私の"名前"、知ってるだろ?」


「み、美蓮、先輩……」


「そ。ここで振られたら未練がましく取り憑いちゃうかも、なーんてな」


全部、全部先輩の掌の上。初めから僕には選択肢なんて……。


「一応言っとくと、宇宙人以外の怪談はマジで適当に作った。

なのにそれを体験するってことはもうボロボロなんだよ。深層心理を仮面で隠すにも限度があるってこと」


それは。

今の僕には甘美な蜜にも、破滅的な毒にも聞こえる。それだけ壊れていた。

ただ、それだけだったのか……。


そしてそれは「僕」にも深く刺さり、思わず俯いてしまう。

先輩答えを出すのを待ってくれていた。


「良い子」でいた「僕」の最初で最後のわがまま。

僕は、先輩の、手を取った。


「──ありがとう」


「僕の方こそ、ありがとう、ございます……」


これが正しい道なのかはわからない。だけど僕は確かに救われた。

だって。


今ちゃんと、泣けているんだから。


15年分の涙がすべて湧き出るように感じ、僕は泣き続けた。

先輩はそんな僕を抱きしめてくれた。

まるで赤ちゃんをあやすように、ゆっくりと、いつまでもいつまでも。


ひとしきり泣き目が赤く腫れた頃、先輩は人差し指を僕のおでこに当てた。


「私が好きなのは君であって、仮面はいらないんだ。ここに置いていこうぜ」


そして僕から「僕」が離れた。

理屈じゃない、感覚でわかる。僕は僕だ、僕だけなんだ。


「さ、あと少しで日付も変わる。そろそろ行こう」


先輩に促され開け放たれていた窓に二人で腰掛ける。

繋いだ手の温もりと穏やかに流れる風が、とても心地よかった。





◇◆◇◆◇◆


「ねぇ知ってる? 文芸部の噂」


「なにそれ?」


「男子が一人で使ってるらしいんだけど、なにされてもいっつも笑顔なんだって」


「なにそれキモいんだけど」


「ねー、殴られてもお金取られてもずーっと笑顔。エグいっしょ?」


「いいとこの推薦でも狙ってんじゃね? 大人しくしてたら内申上がる~とか」


「だとしてもさー」









「良い子でいるのは疲れるよねー」

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