虚構6 真実に踊る者たち

 王都セントラルの東側、丘の上にそびえ建つ35階建てのビルは「Central Media Broadcast / CMB」の地下三階。

 ここは一般の職員すら立ち入り禁止の「特別制作スタジオ」だ。

照明は赤みがかった薄暗さで、空気は煙草と魔法薬の匂いが混じり、息苦しい。

 エリナは三十一歳の報道記者。

 黒髪を短く切り揃え、眼鏡の奥の瞳はいつも少し疲れている。

 彼女は今、このスタジオの隅で、壁に寄りかかって煙草をくゆらせていた。


「よし、次は魔王軍の『大規模襲撃シーン』だ!もっと派手に! 爆発の規模を三倍にしろ! 魔王の影はもう少し威圧的に、角を強調して!」


 監督の声が響く。

 中央のセットでは、二十人ほどの俳優たちが黒い鎧を着込み、角付きの兜をかぶっている。

 彼らの半分は人間だ。

 肌に灰色の化粧を施し、魔法のイリュージョンで角を付け、瞳を赤く染めている。

 残りは本物の魔族の臨時雇い。

 彼らは「人間の勇者役」として、わざと大袈裟に倒れる練習をしている。


「カット! もう一回! 勇者の剣が当たる瞬間に、血糊を噴射! もっとリアルに!」


 エリナは煙草を灰皿に押しつぶし、ため息をついた。

 彼女はこのスタジオに通うようになって三年になる。

 最初は「特別取材」として入ったはずだった。

 だが今では、この「特別制作」が、毎日放送される「魔王軍脅威ニュース」の大半を占めていることを知っている。

 今日の撮影スケジュールは過密だ。

 朝から「西部国境小競り合い」昼に「魔王軍斥候の潜入」夕方に「勇者軍との激突」。

 どれも本物の戦場で起きたことなど、一つもない。




 そもそも、本物の局地戦でさえ、死者が数人出る程度の「管理された衝突」だという噂がある。指揮官にだけ渡される極秘の台本があり、今日どの地区を爆破し、誰を犠牲にするかが事前に決まっている「プロレス」なのだと。

​ ……ある情報筋から得た話だが、真実かどうかは藪の中だ。最近では陰謀論サイトにさえ似たような話が書き込まれている。私自身、心のどこかでは「そんな馬鹿げた話、嘘に決まっている」と切り捨てているが、このスタジオで吐き出される嘘の山を見るたび、その「馬鹿げた話」が不気味なほどのリアリティを持って私に迫ってくるのだ。


 報道局は「派手な再現映像」で盛って放送するため敢えてスタジオで撮影をする。


 ​現場では、今日も台本通りの小競り合いが起きているはずだ。だが、CMBがそれをそのまま流すことはない。

 ​本物の戦場は、あまりに地味で、残酷で、そして何より『不細工』すぎるからだ。泥にまみれた兵士、暗闇で何が起きているか分からない爆発。そんなものでは視聴率は取れないし、国民の愛国心を煽ることもできない。

 

 ​だから、ここで『作り直す』。


 ​勇者はより美しく、魔王はより禍々しく。魔法はもっと派手な色彩で。

 国民が求めているのは『真実の戦場』ではなく、彼らのリビングで楽しめる『最高の戦争ショー』なのだ。

 ​エリナは、スタジオで「勇者役」にメイクを施される俳優を見ながら、吐き捨てるように思った。


「私たちは、戦争を売ってるんじゃない。戦争という名の安心を売ってるのよ」


 エリナはセットの裏手に回り、控え室の隅に座った。

そこには、今日の「魔王役」の俳優が休憩中だった。

六十代の老魔族、角が白く染まり、背中が曲がっている。


「また今日も、魔王陛下の威光を演じさせてもらうのかい、エリナちゃん」

 

 老魔族が、皺だらけの顔で笑った。


「ええ、今日も。あなたが咆哮するシーン、三回撮り直しだって」

「ははっ、三回か。最近は四回、五回が普通だったがね。視聴率が落ちてるから、もっと迫力出せってさ」


 エリナは煙草に火を付け直した。


「視聴率……か。本物の死者が出てるのに、こんな作り物で満足するなんて、国民も大概だわ」


 老魔族は肩をすくめた。

「満足してるんじゃないよ。信じたいだけさ。

魔王がいるって信じていた方が、生活が安定するんだ。工場は回る。給料は入る。子供たちは学校に行ける。勇者が来て、全部壊れるよりマシだろ?」


 エリナは黙って煙を吐いた。

 彼女自身、幼い頃に両親を「魔王軍の襲撃」で失ったと思っていた。

 だが、入局して三年。

 このスタジオの裏側を知ってから、

 あの「襲撃」のニュース映像が、今と同じように、ここで撮られたものだった可能性に気づいてしまった。


「エリナ! 次のシーンだ! 君はレポーター役で、現場中継風にナレーション入れるぞ!」


 監督の声に、エリナは立ち上がった。

 セットに戻ると、照明が一気に明るくなる。

 勇者役の俳優が、剣を振りかざして「魔王軍」を斬り倒す。

 爆発エフェクトが派手に上がり、血糊が飛び散る。


 カメラが回る。


「こちら前線取材班です! 魔王軍の猛攻が激しさを増しています! 勇者殿の活躍により、なんとか持ちこたえていますが……!」


 エリナの声は、完璧に「現場の緊迫感」を演出していた。だが、心の中では、

(これ、全部作り物だわ……)

 と、冷たく繰り返していた。

 撮影が終わると、監督が満足げに拍手した。


「完璧だ! これで今夜のニュースは視聴率30%超え間違いなし! エリナ、よくやった!」


 エリナは笑顔を作って頷いたが、控え室に戻ると、鏡の前で自分の顔を見つめた。

 眼鏡の奥の瞳は、虚ろだった。

 彼女はカバンから、隠し持っていたメモを取り出した。

 そこには、過去の「魔王軍襲撃」映像のタイムスタンプと、スタジオ撮影日の記録が並んでいる。同じ爆発の角度、同じ血糊の飛び方。

 三年分の証拠。

 エリナはメモを握りしめ、呟いた。


「……いつまで、こんな嘘を流し続けるの?」


 外では、夕暮れの空に黒い煙が上がっていた。

 本物の戦場だろうか。

 それとも、今日撮ったばかりの映像が、今夜また、国民のテレビに流れるだけか。

 エリナは煙草を一本取り出し、火をつけた。

 煙が、ゆっくりと天井に向かって昇っていく。

 誰もが、同じ空気を吸っている。

 誰もが、同じ嘘を信じている。

 そして、

 誰もが、それを望んでいる。

 魔王がいる世界は、

 恐ろしいが、

 安心できる。

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