誰も望まない魔王不在の世界
Omote裏misatO
虚構1 戦場の朝と工場の夜
朝の陽がまだ薄暗い工場の窓から差し込む頃、アンディはいつものようにラインの前に立っていた。
三十四歳、妻と二人の子供を抱える、平凡な武器工場の熟練工。
今日も、今日も、そして今日も同じ。
「また上がったぞ、残業代!」
隣の老人が、朝礼の直後に大声で叫んだ。
大型スクリーンが工場内に設置されていて、そこに映るのは毎朝恒例の「帝国軍公式ニュース」
画面には、荒野の砂煙が舞う中、黒い鎧を纏った魔王軍の兵士たちが、人間の前線陣地に向かって突進する映像が流れていた。
爆発。
炎。
剣と魔法が交錯する激しい戦闘。
魔王軍の指揮官らしき影が、赤いマントを翻して咆哮する。
「我らが魔王の威光に浴せ!」
画面が切り替わり、キャスターの女性が深刻な表情で語る。
「本日未明、西部国境付近で魔王軍の小規模侵攻を確認。
我が軍は勇敢にこれを迎撃しておりますが、犠牲者も出ております。
国民の皆様、引き続き魔王の脅威に警戒を……」
アンディはスクリーンを見上げながら、ため息一つも吐かなかった。
ただ、指先で機械のレバーを握り直した。
「よし、今日もフル稼働だ。新しい契約が入った。剣先強化型の短剣を三千本。納期は二週間後だぞ!」
現場監督の声が響く。
ラインが一斉に動き出す。
金属がぶつかる音、溶接の火花、魔法結晶を埋め込むための低いうなり。
工場全体が、まるで生き物のように震え始めた。
アンディは隣の若い工員に声をかけた。
「なぁ、ノブ。昨日の夜勤組、戦場から帰ってきた連中はどうだった?」
トムは作業の手を止めず、肩をすくめた。
「最悪だよ。カイルが……腕一本なくなってた。でもさ、補償金はたっぷり出るって。
家族はこれで食っていけるし……。ま、魔王のおかげだよな」
アンディは苦笑した。
「魔王のおかげ、か」
そう。
この工場が回っているのは、魔王軍の脅威があるからだ。
脅威がなければ、武器なんて誰も買わない。
買わなければ、仕事がない。
給料が出ない。
子供たちは腹を空かせる。
だから、誰も本気で「魔王を倒せ」とは思わない。
少なくとも、この工場にいる誰もは。
昼休み。
アンディは弁当を広げながら、窓の外を見た。
遠くの空に、黒い煙が上がっているのが見えた。
本物の戦場だろうか。
それとも、今日のニュースで使われた「再現映像」の残り香か。
どちらでもいい。
どちらにしても、明日の朝もまた、あのスクリーンが魔王の脅威を映し出すだろう。
そして、ラインはまた動き出す。
アンディは弁当の卵焼きを口に運びながら、ぼそりと呟いた。
「……ま、明日も残業確定だな」
その言葉に、隣の老人たちが小さく笑った。
誰もが、同じことを思っている。
誰もが、同じ空気を吸っている。
魔王がいる世界は
恐ろしいが
安定している。
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