○○殺人事件、被告人Aに関する記録
@logos_dom
記録 一
※本作は、ある殺人事件の被告人による事情聴取記録の一部である。
1931年××月××日。被告人、佐藤幸之助。27歳。○○事件に関する事情聴取資料。
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あぁ、写真の彼女のことかい、よく知っているよ。僕の彼女だ。
あ、それは事件現場の写真か。あはは、とっても刺激的で素敵だね。
おやおや、そんな怖い顔をしないで欲しいね。そう思うのは僕だけではないはずだよ、世間の人達だって彼女のことを随分と持て囃しているじゃないか。
皆が彼女のことを美しいと思っている、あぁ、なんて素晴らしいことだろう。彼女の魅力をここまで大衆に知らせることが出来て、本当に光栄なことだ。そして、僕は間違いなくこの世で最も幸せ者だ。
彼女のことを聞きたい?
そうだね、そういう場だった。彼女のことなら幾らでも話せるよ。
まず、僕が彼女と出会ったのは上野にあるデパートメント、彼女はその中にある洋菓子屋の店員だった。
僕は友人の贈り物を買うため、その店に寄った。あの時の彼女は忘れらないよ。
人混みの中、埃が舞う中、ショーウィンドウの後ろに立つ彼女は一際輝いていた。決して有名な店員ではなく、行列なんてなかった。目立つような姿でもなかったが、その上品な佇まいは野原に咲く一輪の花のようだった。僕は彼女に見惚れ、知らぬ間に洋菓子店の前まで来てしまっていた。そして、是非とも彼女の柔らかそうな手で商品を受け取りたいと思った。
艶のある黒髪、透き通る白い肌、素朴ながらも大きな瞳、紅くて厚い唇。まるで雑誌の挿絵から出できたかのように美しい彼女の顔は全て僕のために動いてくれた。発せられる穏やかな声、作られる朗らかな微笑み、全て僕のためにしてくれたんだ。
お前さんもデパートメントの店員は誰にでも愛想を振りまく、それが仕事だと思うだろう。
だが、違う。彼女は本当に僕だけを見ていてくれた。あれから僕は彼女に会うため毎週その洋菓子屋に通った。そんな日々の中、ある日、彼女は買い物袋の中に手紙を入れたんだ。恋文だったよ。
申し訳ないが、内容は教えられない。彼女が僕のために、僕だけに綴ってくれた想いなんだ。僕はそれを他人に言いふらすような無神経な野郎ではないのでね。
僕は早速返事の手紙を書き、彼女が公休の日に上野公園で待ち合わせをしたんだ。当日、僕は居ても立ってもいられず無計画に家を出るものだから、西郷隆盛の像の前で2時間も立ちっぱなしなった。あぁ、こんなくだらない僕の話は不要だよね。
それで、ついに彼女がやってきた。なんと、洋服で大変御粧していて、僕は驚愕したよ。
藍色の帽子にワンピース、腰には紺色のリボン。普段の着物姿と一変してオトナ気な雰囲気だった。化粧も上質なものを使ったのか、いつものよりも頬紅が濃く、唇も紅く、それがまた妖艶であった。それなのに、緊張している様子で顔染めて下を向いている。それに、いつもは人混みでもよく耳に入ってくるほどの声が、今日に限ってはおちょぼ口から出たのかと思うほどに小さい。
あぁ、この初々しい彼女を思い出すと、高揚感が溢れ出て、僕は宙に浮いちまったのかと思えてくよ。あの時の彼女も写真に残しておくべきだった、そのまま写真館に連れて行けば良かった。
え?僕のことではなく、彼女のことをもっと教えて欲しい?
そうだった、失敬、失敬。
では、彼女がどれほど僕のことを想っていてくれていたのかを話そう。
僕と彼女は会ってから、お互いのことを話し合った。彼女は僕の紳士的な態度に惚れたんだそうだ。当然のことだ、僕はあの情欲と虚栄心に溺れた奴らとは違うんだ。彼女に会う前は毎度鏡の前で身なりを整えて行った。彼女と話す時は東京的で丁寧な言葉遣いを心がけた。乱暴なことは一切言わなかった。彼女に触れる時も包み込むように優しい手つきをした。
付き合ってからも彼女を楽しませてやるために尽くした。レストラン、劇場、映画館、もちろんデパートメントも、色んな場所へ連れて行ってやった。
それから、モダンな彼女をもっと見たくて、彼女に似合う洋服もたくさん買ってやった。僕の彼女はどのマネキンガールよりも洋服を着こなすものだからとても愉快だったよ。
彼女も僕のことを益々気に入ってくれていた。初々しかった彼女は次第に自ら体を寄せ、僕の腕に手を絡めてくれるようになった。座っている僕の手に自ら手を重ねてくれるようになった。なんと情熱的。
はぁ、今はこうして写真を撫でることでしか彼女に触れられなくて寂しいなぁ。
僕はね、絶対に女が望む愛妻家になったと思うよ。そう思わないかい?
それなのに彼女の両親は僕との交際を反対した。彼女を使って、僕に別れろと言ってきやがった。あぁ、可哀想な彼女の唇、そんな言葉を出すためのものじゃないのに。
反対した理由は、僕の浪費癖だった。でも、あの古臭い親父は現代のことを何も分かっちゃいない。僕はただ彼女を喜ばせていただけで、酒乱ではないし、賭博もしていない。当然、女を買ったり、カフェー通いもしなかった。それに、僕は事務員だけれども、会社が大きいから安月給ではない。
彼女は優しいから僕を慰めてくれたよ。きっといつかは父さんも僕のことを認めてくれるからそれまでは辛抱して付き合いましょう、とね。
でも、そんな慰め、信じられなかった。彼女がこの先僕と結婚できるまで縁談を全て断り続けられるとはとても思えなかった。きっと妥協して別の男と結婚するさ。
もしそんなことになれば、きっと僕は狂ってしまう。僕は恋愛病なんだ。
え、そんな病気はない?
はは、精神病学のことなんてどうでもいいよ。でも、僕は本当に恋愛病だ。僕の頭は四六時中彼女で酔い痴れている。色情の中毒になってしまったんだ。
だが、恋愛病は悪いことばかりではない。なぜなら彼女が僕のものである限り、僕は永遠にこの享楽にふけることができるから。
これが殺人動機かって?
すまないが、僕の動機はそんな単純なものではない。
そうだ、お前さん。もし人間を永遠のものにするならばどんな方法があると思う?
エジプト文明のミイラ?
あはは、頭が硬いね。人の心の中に保存するのさ。
芸術は好きかい?
美しいと思ったものは今でも記憶の中に残っているだろう?
そうさ、美は人の心の中に保存される。ミイラのように朽ちることなく、永遠にそのままの姿で。
僕は最初彼女と心中しようと思った。そうすれば、永遠に彼女を僕のものに出来ると思ったから。でも、彼女は怖気づいたのか、首を縦に振ってはくれなかった。
結果的にはそれで良かった、心中よりももっと素晴らしい方法を考えついたからね。
心中すれば彼女を僕のものには出来たが、彼女の体は腐り果てる。美が醜へと変わってしまう。
それはやはり駄目だ。永遠に美しい姿のままでいて欲しい。
そう思った時、僕の耳にとある噂が入った。僕が彼女を殺害した旅館の「完全密室犯罪ができる旅館」という噂だ。
僕は閃いた。この旅館で完全密室の状態で彼女を殺し、美しく飾り、事件として報道させる。そうすれば、彼女は人々の心の中に保存され、彼女の美すら永遠のものにすることができるだろうと。
僕は最初に噂が本当かどうか調査しに行った。鉄道があるとは言え、静岡の山奥だから結構な長旅だった。
旅館に着くと完全密室の噂は本当だったことを知ったよ。一般的な木造2階建ての旅館なのだが、全ての客室の扉に鍵が付いていたんだ。それに、欄間も窓の隙間もない。こんな奇妙な旅館初めて見たよ。
これで僕の閃きが現実へと変わる。
僕はひとまず旅館の鍵を紙に写して、東京に帰ってきた。そして、その紙をもとに同じ形の鍵を作ってもらった。
その後、僕は彼女に旅行へ誘った。彼女は怪奇なものも好きだから噂の話をすればすぐに乗ってくれたよ。
彼女との最後の旅行当日、僕は作った鍵と小型のヤスリを持って行った。
最後の旅行も忘れ難い。列車の窓から景色が見えるのだが、彼女と見ているとまるで機械で動く美術館に来ている気分になった。
何?事件の詳細を話せだと?
無駄話をするな?
彼女の話に無駄なんてないよ。
待て待て、落ち着いてくれ、そんな物騒なことを言わないでくれよ。ちゃんと事件のことを話すよ。
僕が殺人を実行したのは朝方5時頃だ。まずは持ってきた鍵を今回泊まった客室の鍵に似た形にするようヤスリで削った。
次に、僕は寝ている彼女の首を絞めた。彼女が苦しむことがないように、僕はまず頸動脈を押し、気絶させた。彼女は少し眉間に皺を寄せたが、すぐに安らかな寝顔に戻った。僕は自分の帯を解き、彼女の白く細い首に回した。僕は生きている彼女に最後の口吻をした。そのまま帯を締めていくと、彼女の口は緩まった。僕は唇で彼女の死を感じた。
顔を離すと、首を絞めたからか彼女の顔がいつも以上に純白で陶器のようだった。そっと陶器を撫でると驚くほど滑らかで、小さく開いた分厚い唇で止まった。僕は構わずもう一度口吻をした。死体愛好者ではないが、彼女の美は生死を問わない。
さて、ここからは大仕事だ。
首に巻きついた僕の帯と彼女の帯を解き、浴衣を脱がせた。僕は彼女の貞節も大事にしていたから、この時初めて裸体を見た。張りの良い胸から臀までその完璧な曲線に、蝋燭のような華奢で長い足に、驚嘆した。僕は体を堪能したい欲情に襲われたが、彼女に失礼なのでやめたよ。僕は紳士だからね。
解いた帯の端を彼女の細い右手に、もう一本は右足に結びつけた。右手を結んだ帯のもう片方の端を下から投げ、梁へ通した。そして、引っ張ると、彼女は天井へと上がっていく。彼女が僕よりも1尺ほど高くなると、もう片方の帯の端を宙に浮いた左手に結んだ。そして、両足も同じようにした。
力なくだらりとした手足と首、梁に吊られた彼女は一見操り人形のようだった。だが、然し、その一糸纏わぬ姿はヴィーナス的であり、天から降りてきたようにも見えた。
僕は先ほど作った偽物の鍵を机に置き、本物の鍵で部屋を出た。鍵を閉める。これで密室が完成した。
証拠隠滅もしたよ。トイレで本物の鍵をヤスリで削り変形させ、僕のキーリングに入れておいた。
そして、第一発見者である仲居、女将、警察、新聞・雑誌記者、大衆へと伝わり、彼女の美は彼らの心に永遠に保存された。そして、もちろん僕の心にも保存され、また彼女は永遠に僕のものとなった。
記事の見出しは「完全密室殺人の実現 倒錯熱狂的な情男」だったね。あぁ、素晴らしい、僕と彼女の最高傑作だよ。
やはりこの事件現場の写真、本当に刺激的で素敵だ。僕が殺したあの日から何一つ変わらず。
○○殺人事件、被告人Aに関する記録 @logos_dom
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