第8話
張り上げられた彼の声が広間に響き渡り、その場にいた全員があっけにとられる。
わずかに声を荒らげすぎたことを自省するように、アルフォンス様は一度だけ目を伏せ、それから静かに、けれど逃げ場のない口調で続けた。
「……ダメだ。私が言うのもなんだが、元の場所に戻れば君がひどい目に遭うのは目に見えている。我が家とて、決して気楽な場所ではないかもしれないが……少なくとも、あそこよりは幾分かマシなはずだ。そうだろう? デイン、ロゼッタ」
彼は鷹のような鋭い眼光を二人に向けた。
その射抜くような視線に、古参の二人でさえ一瞬だけ背筋を凍らせたのが分かった。
「……左様にございます、アルフォンス様」
デインが、絞り出すように答える。
「この娘(こ)が元の主(あるじ)の元でどのような境遇にあったかは存じ上げませんが……現状、彼女の立場が愉快なものでないことだけは明白です。ここへ身を寄せるのが賢明な判断かと」
ロゼッタもまた、背後の若いメイドたちを牽制するように視線を走らせた。
彼女の無言の圧力に、メイドたちが微かに頭を下げ、場はアルフォンス様の意向に従う形へと収束していく。
「だから、申し訳ないなどと言わないでくれ」
アルフォンス様が、私を諭すように言った。
「迷惑をかけたのは、他ならぬ私だ。……強引に、ダンスに誘ったりしてしまったからね」
「「はあああ……っ!?」」
その場にいた全員の口から、驚愕の悲鳴が爆発する。
舞踏会での惨劇を直接見ていない彼らにとって、それは耳を疑うような……というより、正気を疑うような告白。
私は再び、舞踏会でのあの岩に押し潰されるような圧迫感に襲われ、肩をすくめる。
「私が、誘ったのだ」
アルフォンス様は、再び私の手をしっかりと掴み、宣言するように繰り返した。
「彼女はただ、会場で懸命に働いていただけだ。そこへ私がいきなり接近し、勝手に声をかけ、無理やり手を取ってダンスに引きずり込んだ。すべての非は、私にある」
「い、いや、いくら何でも……!」
デインが、顔を赤くして詰め寄った。
「そもそも、侯爵ともあろうお方がメイドごときをダンスに誘うなど言語道断! ですが、それを受け入れたこの娘も、身の程知らずの極みです!」
「それで……」
ロゼッタが、恐る恐る口を開いた。
「本当にお二人で、踊られたのですか?」
「踊ったよ、もちろん」
さらりと答えるアルフォンス様の言葉に、邸宅の玄関先にさらなる驚愕の波紋が広がる。
「あってはならないことが……」と呟くロゼッタ。
その背後では、主を前にしていることも忘れ、メイドたちがこそこそと私を指差し、騒々しい私語を交わし始める。
その空気は、驚きというよりは、もはや怒りに近かった。
「とにかく、」
アルフォンス様が、その喧騒を鋭い一言で鎮めた。
「夜が遅い。私もエルナも酷く疲れているんだ。早く休ませてやってくれ」
去り際、彼は立ち尽くす私の方へ、再び優しい眼差しを向けた。
「夕餉は食べたかい? 腹は減っていないか?」
「……全く、大丈夫でございます。お気になさらず」
実際には、忙しさのあまり夕食を摂る暇もなかった。
けれど今は、何かを胃に入れればそのまま吐き戻してしまいそうなほど衰弱していた。
何より、一刻も早くこの視線の嵐から逃れたい、その一心だった。
「そうか……。分かった」
アルフォンス様は、名残惜しそうに頷いた。
「ロゼッタ、彼女のためにお湯を沸かしてやってくれ。泥や汗を流し、温かい風呂に入れさせてから、新しい服を用意するんだ。……なるべく、可愛らしいものをね」
「……清潔な服はございますが、『可愛らしい』ものなどはございません。支給するのは、仕事着ですから」
ロゼッタが冷淡に言い放つが、アルフォンス様は苦笑するだけでそれを流した。
「仕方ないな。とにかく、今夜はゆっくり休むんだよ、エルナ。明日、また会いに行くから」
「……アルフォンス様も、おやすみなさいませ」
それが、今夜の締めくくりだった。
アルフォンス様は、数人の使用人を引き連れるようにして、自らの居室がある奥の棟へと去っていった。
遠ざかっていく彼の背中を見つめながら、私は深い溜息を吐きそうになったが、辛うじてそれを飲み込む。
おずおずと視線を上げると、そこにはロゼッタがいた。
彼女は、最初に見せた時よりもさらに厳しく、もはや隠そうともしない険悪な形相で私を睨みつけていた。
「ついてきなさい」
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