最終話 我らに乾杯、そしてマグロを要求する


 遠ざかる悲鳴と猫たちの凱歌がいかが完全に聞こえなくなると、喫茶店「ネコの尻尾」の周囲には、再び冬の夜の静寂が戻ってきた。

 嵐のような騒動が去った店内。サファイアは、何事もなかったかのような涼しい顔で、破壊されたドアの隙間から戻ってきた。


 そして、元の席……上座のソファ――に座り直し、優雅に前足を舐め始める。


「まったく。野蛮で教養のない方々だ。……瞳さん?

ぼーっとしていないで、早くテーブルを拭いてください。料理が冷めてしまいますよ?」


「あ……う、うん。そ、そうね!」


 サファイアの言葉にハッと我に返り、瞳が慌てて動き出す。

 俊夫もまた、夢から覚めたように瞬きをした。

 目の前には、割れた皿や倒れた椅子が散乱している。

だが、不思議と悲壮感はなかった。大切なもの……妻と、店と、小さな家族は、何ひとつ傷つけられていないのだから。


「ミャァァァ(おねーちゃん!)」


 瞳の足元から飛び出したミーコが、弾丸のようにサファイアに突撃した。

 サファイアの首元に、小さな頭をぐりぐりと押し付ける。


「おねーちゃん、すごかった! ぐるぐるーってして、ドーンって! わるいひとたち、おそらをとんでった!」


「……っ!?」


 無邪気な賞賛の言葉に、サファイアの動きが一瞬止まった。

 その鉄仮面のような無表情が崩れかけ、耳の先がほんのりと赤くなる。


「コ、コホン。……ミーコ、落ち着きなさい。はしたないですよ」


「ミャァァァミャァァァ(だって、かっこよかったもん! ミーコも、おねーちゃんみたいにつよくなる!)」


「……ボ、ボクにかかれば、あんな雑草の駆除など造作もないことです」


 サファイアは照れ隠しのように視線を逸らし、ぶっきらぼうに言った。


「いいですか、ミーコ。力とは、己の欲望のためではなく、愛する平和な寝床と……美味しいご飯を守るために振るうものです。あんな下品な大人になってはいけませんよ」


「ミャァァァ(うん! わかった!)」


 姉妹(?)の微笑ましいやり取りを見て、俊夫と瞳は顔を見合わせ、同時に吹き出した。


「ははは……。本当に、敵わないなぁ」


「ええ。この子が来てくれて、ミーコも来てくれて……悪いことなんて、全部吹き飛んじゃったわね」


 二人は手早く店内の片付けを済ませると、奇跡的に無事だった予備の料理と、新しいグラスをテーブルに並べ直した。

 先程までの完璧なセッティングではないかもしれない。ドアからは隙間風が入ってくるし、窓ガラスも割れている。

 けれど、この空間は今までで一番、温かく輝いて見えた。


 俊夫は、改めてシャンパングラスを猫たちにはミルク皿を持ち上げる。


「店が守られたことも嬉しい。でも、今日一番の『祝い』は……」


 俊夫の視線が、寄り添い合う二匹の猫と、愛する妻へ注がれる。


「こうして家族みんなが無事で、一緒に笑い合えることだ。サファイア、ミーコを連れてきてくれて、本当にありがとう」


「……フン。礼には及びません」


 サファイアは素っ気なく答えたが、その尻尾はご機嫌そうに揺れていた。


「それじゃあ、ネコの尻尾のこれからの繁盛と、俺たちの最高の家族に……」


「「乾杯!!」」


 カチン、とグラスが触れ合う音が、今度こそ誰にも邪魔されることなく、優しく響き渡った。



     ◇



 それから数分後。


 平和な食事が進む中、カチャリカチャリと、空になった皿を叩く音が響いた。


「……さて、俊夫さん」


 サファイアが、ミルクを飲み干した皿を前足で押さえながら、ニッコリと微笑んだ。

 その笑顔は、先程チンピラたちに向けたものと同じくらい、慇懃無礼で、かつ絶対的な圧力を放っていた。


「ボクの警備料の話をしましょうか。

当然、これだけの労働をしたのですから、特別手当をはずんでいただけますよね?」


「えっ? あ、いや、もちろん! またたび酒の特級ボトルを……」


「いいえ」


 サファイアは首を横に振った。そして、鼻をひくつかせ、厨房の奥にある業務用冷蔵庫を指し示す。


「先ほど、冷蔵庫の奥に隠されていた『大間産・本マグロ』の柵……ボクの鼻は逃していませんよ?」


「ッ!? あ、あれは明日のランチ用の目玉商品で、俺と瞳もまだ味見をしていない虎の子の……!」


「おや? 命の恩人であるボクより、見知らぬ客のランチが大事だと? ……ふうん、そういう態度をとりますか」


 サファイアが、スチャッと音を立てて右足の爪を少しだけ出した。

 キラリと光るその凶器は、先ほど鉄パイプをへし折ったものと同じだ。


「ひぃっ! わ、わかりました! 喜んで献上させていただきます!!」


 俊夫は脱兎のごとく厨房へ走り、震える手で最高級の本マグロを取り出した。

 皿に盛られた赤く輝く宝石を前に、サファイアは満足げに喉を鳴らす。


「結構。物分かりの良い下僕げぼくを持つと、ボクも苦労が減って助かります」


「ニャ~(おさかな!)」


「さあ、ミーコ。半分こですよ。これが強者の特権の味です」


 嬉しそうにマグロを頬張る二匹の猫と、それを涙目で見守る(しかし口元は笑っている)オーナー夫婦。


 喫茶店「ネコの尻尾」の夜は、こうして賑やかに更けていくのだった。


 今年も、きっと騒がしくも幸せな一年になることだろう。


 最強の招き猫がいる限り。



── 終 ──




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