第2話

 一ヶ月の謹慎が過ぎて夏基は言われるとおりに白川殿に通った。庭には桜の木がたくさん植えられてそれが散る様は吹雪のようである。

 女房が持つ燭台だけで見られる庭の景色には風情があった。

 廊にて夏基は前を歩くのは女房の後を歩いた。女房はこの邸の主である姫の元へ案内してくれている。

「こちらでございます」

 女房が案内した部屋の中へ入る。するとそこに桜襲の衣装を着た姫が夏基を出迎えた。

 部屋の中は薄暗くて、姫は頭を下げているから顔がよく見えない。

「兄より伺っています。何もないところですがどうぞごゆるりとしてください」

 姫は震える声でそう夏基に言った。

 とても四十年上の殿方と懇ろになっていた姫とは思えない。それともこれは年相応の初心さを演じているのだろうか。

 それに夏基はため息をついてあぐらをかいた。初対面であまりに失礼な態度である。怒るならどうぞご自由にと夏基は気にしない。お互い家内で扱い困る難物なのだ。

「私のことは聞いているよね」

「はい。ご災難でした」

 災難といううよりは自業自得なのだが。姫としてはどういえばいいかわからないのだろう。

「まぁ、お互い初経験でもないしはっきり言わせて貰おう。君も内大臣に言われて仕方なく私を迎えたのだろう?」

 姫はうつむいたまま応えない。

 否定はしない。つまりは夏基の言うとおり保護者代わりの兄に言われて仕方なく夏基を受け入れようとしているのだ。

「正直に言うと私は君に興味が無いんだ。まぁ、例の噂でちょっとはあるけど、それはこういう関係になりたいとかではない」

 ただの野次馬のような感情に過ぎないのだ。

 四十も年の離れた男と恋仲になった十五の姫など、夏基はちょっと毛色の変わったものだとしか思わなかった。

 白川殿は美しいという噂も聞かないし、むしろ暗いという話を聞く。華やかな内大臣家の姫とは対照的であると。

 そんな姫と恋仲になるとは例の男も好きものだと揶揄する声もあがった程である。

「私の噂は聞いているだろう」

 姫はこくりと頷き、噂を口にした。

「すごい遊び人であちこちの姫や女房との噂が耐えないと」

 相変わらず顔をあげようとしない。

 噂のとおり暗い姫のようである。自分に自信がないのか。

 今まで派手美人や自信に満ちた女性、幼いながらも明るい少女を好んだ夏基にとって苦手な部類な女性である。

「私の遊び癖は改める気はないよ」

 しばらくは父たちの対面の為にこの邸へ通うが、遊び癖は直すつもりはない。ちょっとほとぼりが冷めればまたあちこちへ引っ掛けに行くだろう。

「構いません」

 姫ははっきりと言った。先ほどの震える声ではない。

「私も他の殿方を想うつもりはありません」

 それは亡き恋人を忘れない。夏基を夫として想うつもりはないということか。

「なら都合がいい。お互い親兄弟の面目もある。とりあえず世間では夫婦ということにしよう。だけど、お互いの生活には干渉しない。それでいいかい?」

 つまり仮初の夫婦になろうという提案である。

「まぁ、安心して。君の正室の地位は何があろうと崩さない。それなりの面目は守ろう」

「そうですか。安心しました」

 少女はほっとして立ち上がった。

「私は別の部屋で眠ります」

 あなたと眠りたくはない。

 そう暗に言われているのだ。

 結婚初夜に何と冷えた関係であろうか。

 だが夏基としてもこれはこれで有難かった。少しでも好ましいと思う女性ならあらゆる手を使って口説き落としただろう。だが、どうとも感じない女性はごめんである。

 正室としての地位さえ確保してやれば後は好きにしていいと言われているのだから。

 罪悪感も感じずにすむ。

「ではおやすみなさい」

 そう言い彼女は部屋を出た。


   ◇◇◇


「夏基!」

 参内すると朝一番に友人の頭突きにあった。

「いやぁ、よかった。よかった。もう二度と会えないと思ったから」

 友人の彼方(かなた)は笑った。

「おい、それ以上言うなよ。一応方違えてことになっているんだ」

 例の鈴姫夜這い失敗と処罰の件を友人だったからという理由で伝えていた。

「ああ、そうだった。ごめんごめん」

 そしてずいっと顔を近づける。

「で、どうだった?」

「?」

「白川殿だよ。もう都で持ちきり。あの噂の白川殿と夏基がまさかの電撃結婚て」

「ああ、まぁ一ヶ月くらいで冷めるだろう」

 夏基はうんざりしたように呟く。

「で、白川殿はどんなだったの? 四十も年の離れた男を恋人にした姫だし色気とかあったの?」

「ぜんぜん」

 色気のいの字すらも見せなかった。

 顔も見ていないし。

「それに昨日は何もなかった。別々の部屋で寝たよ」

「べ、別?」

 意外そうに彼方は目を丸めた。

「夏基のことだから美味しく頂いたと思った」

「私にも好みというものがあるよ。一言二言話してこれはだめだって思ったよ。幸い向こうも恋人を忘れられないとかで、お互い干渉しないということにしたよ」

「えー。じゃぁ、三日夜通いは?」

「形式だけはするよ。餅食ってあとは別々好きに生きようて意気投合」

「ちぇ。ということは夏基は年貢の納めどきになったというわけじゃなかったのか」

 つまらなさげに彼方は舌打ちする。

「残念でした」

 ちらりと建物の方をみると御簾が少しあげられこちらを見る女房の姿があった。夏基はにこりとそれに微笑み手をふる。

 すると御簾から黄色い声があげられる。

 結婚したと言われても夏基の女性からの人気は衰える気配がない。

「はぁ、初夜でこれとは夏基は最低だね」

 しかも白川殿に夜遊びを改める気はないと言ったのだ。

 いくら何でもひどい。

「向こうも納得してくれたからいいんだよ」

 気づくと周囲から視線を感じる。通る道すれ違う者たちがちらちらと夏基を見ていた。

 例の白川殿に通い始めた夏基にみんな興味津々なのだ。

 まぁ、これも半年くらいすれば沈静化するだろう。

 夏基はそう心持で視線に甘んじた。

 その中から差すような眼差しに思わずぞっとした。

 つい後ろを振り向く。

 夏基を睨むように見た男はもう姿がなかった。

「おい。今通ったのは誰だ?」

「ああ。風早の君だね」

 彼方の答えに夏基は納得した。

「あの風早か」

 父親が風早中納言と呼ばれたことで風早の君と呼ばれている男である。蔵人に勤め、兄の後輩にあたる。

 しかも風早中納言こそが例の白川殿と恋人だった男である。

 父の醜聞の原因となった姫と結婚することになった男を見定めてやるといった具合か。

 向こうは姫に良い感情は抱いていないはずだし、並の新婚生活を送ることを面白くないと思っていることだろう。

 むしろひどく冷めた夫婦仲は確実なのだが、風早の君にはわからないか。


   ◇◇◇


 三日三晩、夏基は白川殿の下へ通う。だが、実際は別々の部屋で寝る為未だに夫婦らしい関係ではない。

(この状況で餅を食べるのか)

 三日目の晩に部屋を訪れると餅が用意されていた。これを姫と食すことで夫婦となる。

 一応これだけはやっておこうと姫は餅をじっとみて急に泣き出した。

 目の前で女性に泣かれ夏基は条件反射でどうしたのかと尋ねた。

「……いいえ。風早様と一緒に食べた日を思い出して」

「餅を食べた仲だったのか」

 三日夜の餅は夫婦の大事な儀式である。それを食したというのは風早とは恋人ではなく夫婦の仲だったのだ。

「ええ。公にできないものでしたが」

 ぐずぐずと泣く姫に夏基は手ぬぐいを渡した。姫はそれで涙を拭きながら思い出し笑いをする。

「あの方はいい年なのに一気に餅を飲み込んで、喉につまらせて慌てました」

 本当に幸せそうに笑う。世間ではひどい言われようであったがごく普通に幸せな男女の仲だったのだろう。

 だから想わぬ男を夫として迎えるのに彼女は内心よくは思っていなかった。いっそ出家でもしてしまいたかっただろう。

「私が食べてもいいのか?」

 夏基はふと口にする。それに姫はおかしげに笑った。

「一応兄の命令です。三日夜の餅くらいはしておきましょう」

 その時姫は顔をあげ、灯に照らされる。はじめて姫の顔を見た。

 それを見て夏基は驚いた。

(こ、これが白川殿!?)

 今まで噂にならなかったのが不思議なくらい姫の顔はとても整っていた。大きな黒目がちな瞳、すっと通った鼻筋、頬はほどよい丸みを描き、頬は薄桜のように彩られている。小さな唇はかわいらしく笑うととても愛くるしい。

 すぐに笑みを消し困ったように俯いた。陰りがあり暗く見えるが、それはそれで儚くてよいものに見える。夏基は初夜のときとは正反対の感想を頭の中で述べる。

「夏基様、どうしたました?」

 顔が赤いですよと姫は首を傾げた。

「どこかお加減でも悪いのですか?」

 心配するように見つめてくる黒い瞳に思わず吸い込まれそうになる。

 夏基はようやくはっとして急いで餅を飲み込んだ。

 餅は途中噛んではならない。噛めば夫婦の縁が早く切れてしまうからだ。長い夫婦生活を営むためにかまずに飲み込む。三日夜の餅の基本である。

 ごくりと飲み込むと思わずむせてしまう。

 白川殿は慌てて夏基の背を撫でる。その時見えた彼女の細い手はきめ細かい白さで美しい。

(どういうことだ。苦しい……喉も苦しいが胸も苦しい)

 なんともいえない息苦しさに夏基は喘いだ。

 ようやく餅が喉を通り胃を通過したのを感じ夏基はほっと息を吐いた。そして用意された白湯を飲み干した。

「大丈夫ですか?」

 白川殿は心配そうに様子を伺った。

「ああ、恥ずかしいところを見せた」

「適当なところで噛んでもよかったのに」

 噛んだか噛んでないかなどここにいる二人にしかわからい。

 それを聞き夏基は面白くなさげに眉をひそめた。

 まるで夏基との縁が早く切れてもいいというような言い方だからだ。

「ではおやすみなさい」

 夏基がだいぶ落ち着いてきているのを見て白川殿は安心して立ち上がった。

「え?」

 夏基は慌てて白川殿を呼び止めようとしたが、彼女はするすると部屋を出てしまった。


 初夜のときに言った言葉を思い出す。

 

――「正直に言うと私は君に興味が無いんだ。まぁ、例の噂でちょっとはあるけど、それはこういう関係になりたいとかではない」

 

 その瞬間夏基は自分の言ったことをひどく後悔した。

 自分勝手なことだと思われるだろう。

 何という手のひらの返しよう。

 だが仕方ない。

「可愛すぎだ」

 夏基はそう呟き寂しい三日夜を過ごした。

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