第8話:聖域のオーバーロード

第8話:聖域のオーバーロード


大田区の町工場に、警告音(アラート)の悲鳴が鳴り響いていた。


「社長! 限界だ、もう捌ききれねえ!」 ギルが叫ぶ。モニターには、真っ赤に染まった負荷グラフが、まるで血を噴き出す傷口のようにのたうち回っていた。


「パンデミック」の霧の中、人々に希望を与えた『ハコモノ・クラウド』へのアクセス数は、ハスダの予測を遥かに超えていた。王都のみならず、隣国、さらには辺境の村々から、何千万という魂がこの「ハコ」に救いを求めて殺到していた。


「……中央サーバーが熱で溶け始めてるわ。ハスダ、このままだと全システムが自壊する!」 ミナが、過熱して陽炎を放つ魔導ラックを扇ぎながら叫んだ。 焦げた基板の嫌な臭いと、冷却材の蒸気が工場内に立ち込め、視界を白く濁らせている。


ハスダは、汗で張り付いたシャツを気にする様子もなく、死んだ魚のような目でモニターを見つめていた。 「……傲慢だったな、僕は。一つの『巨大なハコ』ですべてを受け入れようとした。それは、封印局がやろうとしていた独占と同じ構造だ」


「何言ってんだよ、社長! 今は反省してる暇なんてねえぞ!」


「いいや、今こそ『お箸』の話をしよう、ギル」 ハスダは、震える手で懐から通信機を取り出した。 「中央で一人がすべてを捌くのは限界だ。……かつての戦友(エンジニア)たちを呼ぶ。彼らが持つ、遊んでいる『お箸(リソース)』を借りるんだ」


数分後。 工場の入り口に、不揃いな身なりの男女が集まった。 宮廷の魔導演算室をクビになった偏屈な理論家、地下街で違法な回路を組んでいたハッカー、そして今はただの主婦として隠居している元・天才アーキテクト。


「……ハスダ。あんたに呼ばれるなんて、明日は槍でも降るのかい?」 老婆のような魔術師が、煙管をくゆらせながら笑った。


「皆さんの『知恵』を貸してほしい」 ハスダは、彼らに深く頭を下げた。 「中央集権的な僕のシステムを、今この瞬間に解体する。一人が全員を支えるのではなく、全員が隣の一人を支える……分散型(P2P)のネットワークに書き換えるんだ」


「一晩でかい? 無茶を言うね。だが……その『お箸』の例え、嫌いじゃないよ」


作業が始まった。 工場の空気は、張り詰めた緊張と、凄まじい熱量で飽和していた。 カチャカチャという凄まじい速度のタイピング音。魔導ペンが空中に数式を刻むたびに、バチバチと紫色の火花が散る。


「第一層、解体開始!」 「各家庭の余っている魔導水晶を、計算ノードとして開放しろ!」 「接続(コネクト)! 繋がれ、隣のハコと!」


ハスダは、仲間たちの間を走り回り、膨大なコードの濁流を整理していった。 彼の指先は摩擦で熱を持ち、意識は朦朧としている。 (一膳では、この重い真実を支えられない。でも、九膳あれば、九万膳あれば……!)


「社長! 封印局が……バインダーの野郎が、回線を遮断しに来やがった!」 窓の外、封印局の魔導騎士団が、巨大な「停滞の結界」を展開しようとしていた。


「通さないわよ!」 ミナが、演武で鍛え上げた拳を構えて外へ飛び出す。 「ハスダたちが今、新しい世界を編んでるんだから! 邪魔はさせない!」


工場内では、ついに最終段階の同期(シンクロ)が始まった。


「……ハスダ、もう限界だよ。サーバーのコアが、あと一分で爆発する!」 ギルの悲鳴。


ハスダは、モニターの向こう側に広がる、何千万もの「窓」を見つめた。 孤独に震える人々。その一人ひとりが、実は力を持っている。 「……みんな。お箸を差し出してくれ」


ハスダが、全ネットワークに強制メッセージを送った。 『自分を救うための力を、ほんの少しだけ、隣の誰かのために貸してほしい』


その瞬間だった。 爆発寸前だったサーバーの熱が、スッと引いていった。 真っ赤だったグラフが、穏やかな青色に変わる。


「……何が起きたんだ?」 ギルが呆然とモニターを見つめる。


「分散だよ」 ハスダは、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。 「中央サーバーに頼るのをやめたんだ。世界中の人々の端末が、お互いの負荷を少しずつ肩代わりし始めた。……一億人が、お互いにお箸で食べさせ合っている状態だ」


工場の外では、ミナの拳に圧された魔導騎士団が、見たこともない「繋がり」の輝きに圧倒され、撤退を始めていた。


夜明けの光が、工場の窓から差し込んだ。 モニターには、かつてないほど滑らかに、かつ強固に繋がった「新しい世界」の地図が映し出されていた。 それは、誰が中心でもない。全員が主役であり、全員が支え手である、民主的な聖域(ハコ)の姿。


「……やったな、ハスダ」 老婆の魔術師が、満足そうに煙を吐いた。


「ええ。……これが、僕たちの『食卓』です」


ハスダは、冷え切ったハーブティーを一口飲んだ。 五感に届くのは、もはや警告音ではない。 ネットワークを流れる、数千万人の穏やかな「鼓動」だった。


一人の天才が世界を救う時代は終わった。 九人の、そして一億人の不器用な善意が、お箸のように繋がって、絶望を分かち合い、希望を循環させる。


「……さあ。みんなで、朝飯にしましょう。……お箸は、もう十分にあります」


ハスダの言葉に、徹夜明けの仲間たちが、最高の笑顔で頷いた。


第9話「ラスト・チェックイン」へ続く。


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