頸動脈の上
水到渠成
第1話 頸動脈の上
頸動脈の上では、思考が保持されない。
それは考えが浅いという意味ではなく、到達が早すぎるという意味だった。
理解は生じているが、言葉に変換される前に通過してしまう。
私は長いあいだ、その速度を自分の性質だと思っていた。
鏡に映る顔は遅れている。
目の動き、表情の変化、呼吸の切り替え。
どれも、すでに起こった出来事の記録にすぎない。
理解は首の奥を通過し、
その痕跡だけが表情として残る。
私はいつも、事後の自分を見ている。
思い出そうとすると、思考は軽くなる。
重さを失い、形を保てなくなる。
記憶は消えてはいない。
ただ、保持される場所に留まらない。
それらは頸動脈の上を通過し、
どこにも着地しない。
子どもの頃の出来事について、
私は多くを語ることができない。
思い出せないのではなく、
語る前に完了している。
何かがあったという理解だけがあり、
その内容はすでに処理済みになっている。
街に出ると、同じ速度を持つ人々がいる。
彼らは普通に話し、働き、移動する。
会話は成立しているが、
本題が共有されることはない。
重要な部分は、
互いの頸動脈の上で完了してしまうからだ。
電車の中で、人々は同時に理解している。
ニュース、広告、注意喚起。
どれも理解されるが、
保持されない。
理解が蓄積されないため、
社会は常に初期状態に近い。
それでも機能は失われない。
職場では説明が繰り返される。
同じ資料、同じ言葉。
理解していない者はいない。
それでも確認が必要になる。
理解は発生しているが、
記録として残らないからだ。
図書館で本を読むとき、
私は内容を把握している。
論旨、構成、結論。
すべて理解している。
しかし本を閉じた瞬間、
その理解は保存されない。
語ろうとすると、
理解はすでに別の場所へ移動している。
書くことも同様だった。
文章は完成するが、
それが何であったかを説明できない。
書いたという事実だけが残り、
理解の中身は通過している。
記録はあるが、
意味は付着していない。
私は他者と向き合うとき、
相手の頸動脈の上を見る。
そこでは、
言葉より早く理解が完了している。
共感でも同意でもない。
ただ、同じ速度で通過しているという一致。
会話は必要最低限で済む。
重要なことは、
すでに両者の内部で処理されている。
それを言葉にすると、
かえって遅延が生じる。
理解が共有されないことは、
不安を生まない。
理解が保持されないからだ。
不安は蓄積を必要とする。
ここでは、それが成立しない。
夜になると、
街は昼と同じ速度を保つ。
思考は止まらず、
記憶も集積されない。
すべてが通過点として存在する。
頸動脈の上では、
主体という概念も機能しない。
誰が理解したのかは重要ではない。
理解は生じ、
ただ通過する。
私は自分について多くを知らない。
知らないというより、
知る前に完了している。
理解は常に先行し、
自分という枠組みを必要としない。
それでも世界は破綻しない。
むしろ滑らかに進行する。
理解が滞留しないため、
摩擦が生じない。
頸動脈の上では、
すべてがすでに完了している。
完了しているが、
どこにも保存されない。
その速度だけが、世界に残っている。
頸動脈の上 水到渠成 @Suito_kyosei
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