第一章「吸血王のゆくえ」#2

「何でついてきたんだよ? 理由も聞きそびれたし」

「まだ9月でしょ。校内の自販機まだ全部つめた〜いなの。だからカフェラテでも飲もうかと思って。理由がこれじゃ不満なわけ?」

「いや、なんか不機嫌そうだったから」

「それ分かってても普通、口に出す? だいたいさぁ……」

「……?」


 それはコンビニへ向かう道中。ボロボロの布に包まれた何かを遠巻きに発見する。車の往来こそ少ないが、車道にそれはあった。


「何だあれ……」

「ほらそうやってすぐ話逸らす」

 

 近づいてやっとただの布切れでないことに気がつく二人。


「捨て犬とか、じゃないよね?」

「どう見てもこれ服だろ」

「撥ねられたってこと?」

「ひき逃げかもしれない」

「ちょ、救急車……警察?」

「待った」


 真中は覆い被さった紅い布を翻した。


「ちょっと!?」


 グロテスクな光景を想像して視線を逸らすヒロ。しかしそこにいたのは。


「子供だ」


 小学生ほどの見た目をした少女が横たわっていた。それもなぜかぶかぶかの背丈に合わないドレスを着て。


「身体中怪我してるじゃん。やっぱ事故?」

「傷とか打撲跡が多少あるけど、撥ねられた感じじゃないな」

「なんだ。良かった」

「良くはないだろ。心臓が動いてない」

「え?」


 真中は顔を近づけて呼吸のないことを確かめる。


「『……どこまで……来たっけ……日本を、目指してて……ああもう、ダメ……覚えて、ない……』」


 蝋燭の灯りのようにルビアの命はゆらゆらと不安定な状態にあった。意識は混濁し、二人の男女の会話がくぐもって聞こえる程度。それほどまでに衰弱しきっていた。そんな時だからこそなのか、ある匂いだけは過敏に嗅ぎ取っていた。


「『この香り……何だか懐かしいような、安心するような……あぁ、何か、食べない、と……』」

「真中、血ぃ出てる! 血!」

「?」

「さっき落ちた時、切ったんじゃない? ほら、ここ」


 ヒロが口を指し示す。その刹那ーー。


「ん……」


 意識のなかったルビアが突然飛びつき、真中の口唇に自身の口唇を重ね合わせた。


「っ…………」

「!?」


 柔らかくて、温かくて、それでいてどこか互いの感情が溶け合う感覚。一瞬の触れ合いが何分も何十分にも感じた。


「今……俺……」


 口唇が離れ放心する真中が現実かどうか尋ねるも、ヒロはヒロで整理がつかない。

 それは二人にとって忘れられないファーストキスになるのだった。


「息、息してる! 吹き返してるって」


 ルビアの呼吸が再開すれどまだ荒い。


「保健室に運ばないと。でも放課後だし先生、もういないかも……」

「なら部室か」

「そうしよ」


 キスの理由は分からずとも二人は、瀕死のルビアを抱えて、間借りしている部室に駆け込んだ。

 ひとまず和室になっている一角に、枕となるクッションと、適当なシーツ代わりの布地を敷いて寝かせる。


「真中はあんまこっち見ないで」


 ルビアが年頃の女の子にしか見えないヒロは、血だらけで埃まみれの汚れたドレスを脱がし、出来るだけ隠すようにして上着を被せた。


「待て!」


 ワントーン大きな声で真中が止めに入る。


「待てはこっちの科白だから。そんなにこの子の裸がみたいワケ? サイテー、信じらんない」

「見てみろよ」

「私が一緒に見ても女同士、共犯にはならないからね。そんな趣味もないし」

「そうじゃなくて、見るのは傷の方」

「え?」


 先ほどまで切り傷やアザだらけだった身体が、フィルムを逆回しするように治り始めていく。


「そんな。これ……」

「治り方も早さも、何もかもが一緒だ俺と」

「何なの? 島の子じゃないよね」

「素性はさっぱり分からないけど初めてだ、同じ体質の人に逢うのは。この現象について何か知ってるかもしれない」


 スレンダーな脚に、ハリのあるふっくらとしたお腹。膨らみかけの胸と、順々に観察していく。

 余分なもののない滑らかな肌に、未成熟な瑞々しさを感じる。

 と、さすがにこれ以上はまずいだろうと思い、ヒロが再び上着を掛け直す。


「何すんだよ」

「それがまずいんだって、分かんない? 本人に許可得てからでしょ普通。早く保健室が開いてるかどうか見てきて! 先生がいなくても予備の体操着くらいは借りられるでしょ!」

「裸じゃ寒いだろうし……分かった。すぐ持ってくる」


 保健室に向かって走り出すも、いつもの馬力がでなくなっていた。切れた口唇も依然、治らない。


「やっぱり腹が減ってれば減ってるほど治りが遅くなる。あの子もそうなのか? ならどうしてさっきは回復した?」


 考え込みながらも、一番小さいサイズの女子用体操着の上下を拝借し、一目散に部室へと戻り、ドアを開け放った。


「持って来たぞ……って!?」


 上体を起こしたルビアが真中を見る。無論、まだ何も着てはいない。

 途端に羞恥心やら怒りやらが沸き上がり赤面した。


「誰だか知んないけど……出てけーーーーーー!!!!」


 手当たり次第に手近にあった小物を投げつけるルビア。思わずまたやってしまったと真中もドアを思い切り閉めた。

 ヒロが続けてドアを半開きにして顔を出す。


「あのさぁ、さっき助けた子が寝てるからってだけじゃなくて、私が部員になってからもノックなんてしたことないよね一度も。一応私も演者だから、ここで着替えだってするの。なのに何度も下着姿見られて。ここはそういう部活動じゃないでしょ! 映画撮るって言ってもポルノとかアダルトじゃないの! このバカ! 変態バカ! 覗きバカ!」


 言いたいだけ言ったヒロは、真中の手にある体操着だけを掻っ攫って再びドアを閉めた。


「思いのほかただのバカが一番くるな。何にもかかってないし」


 しめだされ、底冷えする廊下にて一人文句も言わず待つこと数分。ヒロから入室の許可がおりた。

 今度こそヒロから小言を言われまいと、ノックして入室する。と、ちょうど着替え終わった様子にあった。


「何か、オシャレとは程遠い衣装よね。これ。あと、ブルマじゃないんだ……残念。履いてみたかったのに」

「ブルマって。その文化ならとっくにもう衰退したから。あとダサさはどこの学校もたいして変わんないんじゃない? 冷えるかもだけどしばらくはそれで我慢して」

「どんな格好であれ感謝するわ」


 二人は打ち解けあい、他愛無い会話に興じていた。そこで真中は根本的な疑問を投げた。


「えっと何から訊いていいか。もう平気なのか? そもそもどこから来てどうしてああなったんだ?」

「わたしの素性がそんなに知りたいわけ、このロリコン!」


 ルビアがキッと真中を睨む。


「さっきは悪かったって。反省中です」

「そうね。一応は助けてくれたみたいだし。自己紹介ぐらいはしてあげる。わたしの名前はルビア・アンヌマリー。ある人を追ってメキシコから日本に来たの」

「俺は天動真中。で隣に居るのが」

「希嶋ヒロ。よろしくね。ルビアちゃんは一人で来たの? 両親は?」

「お父様とお母様はとっくに亡くなったわ。今は伽耶乃って言うメイドと二人で……」


 そこで科白は途切れた。


「そっか……わたし、一人ぼっちになったんだ」


 ルビアの表情が途端に暗くなる。思わず顔を見合わせる真中とヒロ。


「まぁ事情があるなら深くは聞かない。ただ、行く宛てがないなら、診察だけでも受けていかないか?」

「診察?」

「真中のお父さん開業医で真中ん家、病院なの」

「……血を流し過ぎた影響か身体も退行してるみたいだし。輸血ぐらいは欲しいところね。でもさっきはもうダメだって思ったのに、どうして回復出来たのかしら」


 ふと視線を上げるとルビアの興味を引くあるものが飾られていた。

 起き上がって間近で確認する。見間違いなどではない。


「これ、どうしてここに?」


 ルビアの目を引いたのはある劇場版アニメDVDだった。


「どうしてって、ここが映画研究会だからとしか。まぁ、よくみんな私物置いてくからな。ちなみにそれはライタ先輩のだ」

「一口に映画って言っても、カントクは手広くメジャーからB級、どこの国のでもノンジャンル何でも観るらしいし。ライタさんはアニメ系統に詳しい、いわゆるオタクかな。そういう意味じゃ、この部室にはありとあらゆる物語が揃ってるのかも」


 取り囲む陳列棚には所狭しと映画のDVDからBD、はたまたVHSやその再生機器まで並んでいた。それはまるで今や廃れつつあるレンタルビデオ店のようでもあった。


「素敵な部屋ね。でもこれを持ってるそのライタとかいう人、あなどれないわ」

「ライタ先輩が?」

「だって魔法少女隊レイド・クライスよ!」

「悪い。俺、観るのほとんどアクション映画ばっかりだから」

「これは主人公の親友であるリルハの抱き枕カバー付き限定DVDBOXで受注とはいえ予約当日に専用通販サイトのページがダウンしたくらいの超超人気商品だったの。もちろん即完で再販もなくて今やオークションサイトやフリマアプリでもほとんど見なくなった幻の逸品よ! わたしも同じの持ってるけどこんな状態が良いのは初めて見たわ! まさか未開封? 勝手には触らないわよ。きっと大切なものだろうから。そういう節度が大切なのよオタク同士にも」


 早口で語る知識量とモットーに圧倒される二人。ルビアの目には輝きが戻っていた。


「ダイコンフィルムまであるじゃない! 数ある作品の中でもこれ! アローの出撃シーンは特に好きなの! カメラワークなんかもすごくリスペクトされてて本家に負けず劣らずでカッコいいんだから! これがシンに繋がっていくのよね」


 その上、特撮作品までいける口であると知る。


「日本のサブカルに詳し過ぎないか?」

「どうも理由があるみたい」

「何か知ってる風な言い方だな」

「勝手に見ちゃいけないとは思ったんだけど、中身が半分出ちゃってたから……つい」


 ヒロがドレスと一緒に拾ったポシェットから発見したのは、血塗れの英国旅券と最新型スマートフォン。そして限度額上限のないブラックカードだった。


「私たちが小学生の頃、こんなの持ってた? パスポートとスマホならまだギリ分かるけど。見たこともない柄のクレジットカード。これはあり得ないでしょ」


 無我夢中で部室内を闊歩するルビア。その肝心な彼女の正体について確信を得るどころか、謎がより深まる結果となってしまった。


「只者じゃないかもしれない」

「王室の関係者とか? だってなんていうか高貴な雰囲気? みたいなのするし。イギリス国籍だし」

「いや、そういうんじゃないけど」

「じゃあ何? もったいぶらずに話してよ。真中の方が何か気付いてんじゃん」

「さっき怪我が全部治っていったの見たろ? でも、胸のひし形の跡だけは治らずに残ってたんだよ。まるで最近、その胸の辺りで何かあったような。例えば治りきらないほどの深手を負った、とか」

「ちょうど、心臓らへんか」

「この血がついたパスポートも気になる」

「それってもう警察沙汰なんじゃ……」


 と、その時だった。バタンと大きな物音が部室の端から端まで聞こえるほどに響き渡った。


「ルビア?」

「ルビアちゃん!」


 床に横たわったルビア。呼びかけても返事はなく。


「真中、また……」

「俺らだけじゃ限界だ。家まで運ぶ。遅くなるだろうからヒロはもう帰れ」

「でも……」

「心配なのは俺だって同じだ。言ったろ? 俺らにはもうこれ以上何もしてやれない。ここからは親父の仕事だ」


 決断した真中はぐったりとするルビアを背中におぶった。

 

「必ず連絡はする」

「うん。分かった。約束だからね。頼んだよ」

「ああ」


 道中、父親である天動梗吾きょうごに一報入れながら、真中は全速力を以てして帰路についた。

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