第017話:呪術的な攻撃は、データの書き換えに過ぎない

 「ア、ガ……アアアアアアアアッ!!」


 西門の別棟に、喉を掻き切るような騎士の絶叫が響き渡る。  彼の腕からは、人でも家畜でもないドロドロとした黒い粘液が溢れ出し、石床を焼くような不快な音を立てて蒸発していた。    アリサが顔を背けるほどの凄惨な光景だが、俺の指先は魔導盤(コンソール)の上で一分(いちぶ)の狂いもなく動き続けていた。


「レイン、もうやめて! 彼が死んでしまうわ!」


「死なせませんよ。……今、汚染されたバイナリを強引に削り取って、正常な状態のデータへ『再構築(リビルド)』しているところです。痛むのは、神経の接続情報を力業で繋ぎ直しているからだ。耐えてもらうしかありません」


 俺の視界にあるコンソールには、騎士の肉体ステータスがプロセスの進行状況を示すプログレスバーとして表示されている。


『Task: Physical_Data_Rebuild』

『Progress: [|||||||||| ] 82%』


 90%を超えたあたりで、騎士の腕から蹄の残骸が完全に消え失せ、見覚えのある「人間の腕」が形を成した。最後の一打(エンター)を叩き込む。


『Status: Recovery_Complete』


 騎士は激しく喘ぎながらその場に崩れ落ちたが、その腕は不気味な変異を止め、元通りに戻っていた。アリサが信じられないといった様子で、震える手で騎士の脈を確認する。


「……治った。治癒魔法でも再生魔法でもないのに、欠損したはずの肉体が、まるで最初からそうだったみたいに……」


「治したんじゃない。……矛盾が生じた異常な値を、本来あるべき定義へと『再構築(リビルド)』しただけです」


 俺は額の汗を拭い、息を吐く間もなく次の画面を開いた。休んでいる暇はない。西門のアラートは止まったが、砦全体の「魔力トポロジー(接続図)」が、アリサたちの知らないところで赤く染まりつつある。


「お嬢様、驚くのは後にして下さい。……敵の狙いが分かりました」


「敵の狙い? 呂后が、この砦の人間を家畜に変えようとしていることじゃないの?」


 俺は、コンソールに浮かぶ砦の立体図をアリサに見せた。  赤く光っている箇所は、騎士たちの詰め所、食糧庫、井戸。そして、それらを結ぶ「権限の経路」だ。


「いいえ。そんなのはただの嫌がらせ――いわば、俺を作業現場に釘付けにするための『デコイ』ですよ」


「でこい……? 何よそれ、私たちを惑わせる罠だっていうの?」


「ええ。本命はこっちです。……見てください。砦の最深部、あんたの一族が管理している『大書庫(システム・レジストリ)』。そこに、膨大な数の不正パケットが送り込まれている」


 俺が画面をスライドさせると、そこには無数の黒いノイズが、砦の防壁を「すり抜けて」内部に侵入している様子が映し出された。


「……どういうこと? 結界は正常に動作しているわ! 外部からの魔力をすべて遮断しているはずよ!」


「そう、外部からならね。……でも、もし『内部の正当な仲間』が自ら扉を開けていたとしたら?」


 俺の言葉に、アリサが息を呑む。  呂后の呪い。それは肉体を変異させるだけでなく、感染した対象を「権限奪取の踏み台」に変える性質を持っていた。  さっきの騎士が家畜に変えられそうになっていた時、彼が持っている「アクセストークン」――つまり砦のシステムを利用するための認証情報は、呂后側に筒抜けになっていたのだ。


「……仲間が扉を開ける? そんなはずないわ! 我が騎士団に、あの女帝に魂を売るような裏切り者はいない!」


「本人の意志は関係ありません。……あいつがやっているのは、古典的な『ハッキング』だ。……正規の騎士を操り人間に変えて、結界の内側から守りを食い破ろうとしている。これはもう、単なる呪いじゃない。意図的に内部を腐らせる、重大な『システム汚染』ですよ」


「……あいつに操られている者が、この砦の中に潜んでいるっていうの? 誰がいつ牙を剥くかも分からないというわけ?」


「ええ。……月曜の朝から最悪のサイバー戦に巻き込まれたわけです。定時退社は諦めました。これから全員の検疫と、脆弱性の修正を始めます」


 俺は腰のポーチから、予備の魔晶石を取り出した。ここからは、ただの防衛戦じゃない。相手が論理(ロジック)で干渉してくるなら、こちらもロジックで叩き出すだけだ。


「お嬢様。……あんたには、全騎士の『真名』の更新を命じてもらいます。……一人ずつ、手動で書き換えましょう。一秒も惜しい」


 俺の目は、もはや騎士の安否ではなく、見えない敵――呂后との、冷徹なデバッグ競争だけを見据えていた。

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