神様には内緒で、君と手をつなぐ夏

宮城 マコ

第1話 喪失と出会い

 その夢の終わりは、決まって赤色だった。


 全てを焼き尽くすような、暴力的な赤。

 鼓膜をつんざく金属音と、誰かの悲鳴。熱風が頬を薙ぎ、僕は必死に腕を伸ばしている。

 指先が何かに触れようとした、その瞬間――。


 プツリ、と唐突に途切れる。


 弾かれたように目を覚ますと、背中は嫌な汗で濡れていた。

 目の前にかざした右手は、微かに震えている。夢の中で、この手は何を掴み損ねたのか。記憶には深い霧がかかり、胸の奥に鉛のような喪失感だけが残っていた。


「……朔、起きてるかい?」

 襖の向こうから、祖母の声がした。僕は慌てて手の震えを止め、呼吸を整える。


「うん、起きてるよ。すぐ行く」

 その声は、少し裏返ってしまった。


 僕は春日朔かすが さく。十四歳。

 半年前の事故で両親を亡くし、今は父方の実家で暮らしている。

 洗面所で顔を洗い、鏡の中の自分と向き合う。隈の浮いた目は、どこか虚ろだ。

 僕は鏡に向かって無理やり口角を持ち上げ、「大丈夫」と小さく呟いてから食卓へ向かった。


 ***


 転校して三ヶ月。


 学校での僕はいまだに「余所者」扱いだ。

 時折、遠巻きに向けられる視線には、好奇心よりも同情の色が濃い。

 同情されるくらいなら、いっそ忘れられたほうが楽なのに。

 僕はそう思い、休み時間は息を潜めるように窓の外を眺め、一日が終わるのをただ待っていた。


 けれど、例外が一人だけいる。


「……春日くん」


 放課後の昇降口、背後から声をかけられた。

 振り返ると、黒髪を二つに結び、眼鏡をかけた小柄な少女が立っていた。

 杜野栞もりの しおり。隣の席の女子だ。

 彼女はいつも文庫本を片手に持っていて、あまり目立つタイプではない。けれど、僕に対して変に気を遣うことも、あからさまに避けることもしない。


「帰り、方向一緒だよね」

「うん、まあ」

「じゃあ、途中まで」


 彼女はそれだけ言うと、返事も待たずに歩き出した。

 田舎の通学路は、田んぼと山に挟まれた一本道。彼女が時折ページをめくる音と、二人の足音だけが響いていた。


「あ、見て」

 突然、彼女が足を止めて道端の小さな祠を指差した。


「ここのお地蔵様、首から下が新しいでしょう」

「え? ああ、本当だ」


 言われてみれば、頭部と胴体で石の色が違う。

「昔、川が氾濫した時に、流れてきた石が直撃して首が折れちゃったんだって。でもそのおかげで水が堰き止められて、下の家は助かったの。だから『身代わり地蔵』」

「へえ……」

「でもね、雨の日の夜に折れたはずの首が地面を転がって追いかけてくるって噂もあるの。……あ」


 栞はそこで言葉を切り、ハッと口元を押さえた。


「ごめん。こういう話、苦手だった?」

「いや、平気だよ。別に」


 僕が首を横に振ると、彼女はほっとしたように微笑んだ。

 彼女はこうして時々、地元の伝承や少し不思議な話をしてくれる。普通なら家族を亡くしたばかりの相手には避ける話題だろう。


「この辺りの神様ってね、ちょっと変わってるの」

 再び歩き出しながら、栞が独り言のように続けた。


「悪いものを退治するんじゃなくて、受け入れるの。昔、村で暴れた鬼がいたらしいんだけど、神様はその鬼を殺さずに、その強い力を『預かって』封印したんだって」

「力を、預かる?」

「そう。力そのものに善悪はないから、使い道ができるまで眠らせておこうって。」


 鬼、か。

 おとぎ話の世界だ――そう思ったのに、なぜか胸の奥が少しざわついた。


「……ねえ、春日くん」

 分かれ道の手前で、栞が立ち止まった。西日が眼鏡に反射して、表情がよく見えない。


「今度の週末、お祭りがあるの。知ってる?」

「お祭り?」

「この町の夏祭り。……一緒に行かない?」


 予想外の誘いに、僕は目を丸くした。


「僕は、いいよ。そういうの、あまり得意じゃなくて」

「だめ」


 栞は珍しく、強い口調で遮った。

「ここの神様はね、お祭りの日に新しく外から来た人を歓迎して、福を授けてくれるっていう言い伝えがあるの。春日くん、転校してきてからまだちゃんと挨拶してないでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「だから、行こう。ここに早く馴染めるように」


 それは、あまりにも強引な理屈だった。神様への挨拶なんて、ただの口実だろう。

 でも、彼女が僕のためにその口実を考えてくれたことだけは分かった。まっすぐ見つめてくるその瞳には、同情の色はなく、静かな温かさがあった。


「……案内、してくれるの?」

 僕が観念して尋ねると、栞はぱっと表情を明るくした。

「うん。とっておきの場所、教えてあげる」

 夕暮れの中、彼女の笑顔が少しだけ眩しく見えた。


「じゃあ、土曜日の夕方に」


 手を振って去っていく背中を見送りながら、僕は自分の右手をそっと握りしめた。

 やはり、少しだけ震えていた。

 けれどその震えは、悪夢の残り香とは少し違う、何かが始まる予感を含んでいる気がした。

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