セーター ――魔法の毛糸と新しい年――
斬条 伊織
セーター ――魔法の毛糸と新しい年――
「はい、誕生日プレゼント」
「ありがとう。わあ。こんな素敵なセーター初めてだ」
恋人から手渡されたセーターを、少年はまじまじと見た。
淡いクリーム色のセーター。編み目がどこかぎこちない。
「初めて編んだの。おばあちゃんに教えてもらって。ガーター編みのシンプルなやつなんだけどさ。ちょっとでこぼこするところもあるけど、許して」
「そんなの全然気にしないよ。着てみていい?」
「うん」
上着を脱いで、少年はいそいそとセーターに首を通した。
「わあ。すごく温かい」
「でしょ。見た目はちょっとアレだけど、温かさは抜群よ。なんたって代々伝わる、魔法の毛糸で編んだから」
「へぇ。だからこんなに温かいんだ。ありがとう。さっそく明日から着てみるよ」
翌日。
「行ってきます」
少年は、もらったばかりのセーターを着て、冒険の旅に出かけました。
……のですが。
「ただいま。財布と帽子と靴下忘れちゃったよ」
彼は少々、おっちょこちょいな少年なのです。
「今度こそ行ってきます」
勢いよく扉を出た少年は、玄関に飾ってある花瓶の薔薇にセーターを引っかけてしまいました。
けれど不思議なことに、花瓶は倒れません。毛糸の先だけが棘に引っかかったまま、少年は気づかず外へ出ていきます。
するとセーターの毛糸は、ドンドン、ドンドンとほつれていきました。
少年は全く気づきません。
街を出た少年は森を抜け、海へ向かいました。
地元の漁師を苦しめているという、大ダコの魔物を倒すためです。
海に潜った瞬間、少年は驚きました。
体が水に逆らわず、自然に前へ進むのです。
セーターの形はすでに崩れ始めていましたが、ほどけて伸びた毛糸は、まるで海の流れそのもののように、少年の動きを導いていました。
少年はイルカのような泳ぎで近づき、八本の足をすべて結んで、大ダコをやっつけました。
そのあと船に乗り、離れ小島へ渡り、未踏の洞窟へと足を踏み入れます。
洞窟の入り口で、少年は足を滑らせました。
派手に転びそうになった、その瞬間。セーターはもう腹巻ほどの長さになっていましたが、長く伸びた毛糸がロープのように岩に絡まり、体を支えました。
「……助かった」
少年は深く考えず、立ち上がって先へ進みます。
ここまでずっと、セーターはほどけ続けていました。
けれど毛糸は一本も切れず、玄関の薔薇から、世界のどこかまで、静かにつながっていました。
洞窟の最奥では、巨大なドラゴンが待ち構えていました。
剣と勇気と、そしてもう服とは呼べない魔法の毛糸で、少年は立ち向かいます。
ドラゴンは岩さえも溶かす業炎を吐きました。
少年はハヤブサのように舞い上がり、炎をかわし、一気に剣を振り下ろします。
勝負あり。
ドラゴンは、ついに倒されました。
「これで世界に平和が訪れる」
ドラゴンを倒したとき、魔法のセーターはすでに首元を残すだけになっていました。
それでも少年は胸を張って、帰路につきます。
一歩進むごとに、ハラリ、ハラリ。
家に着くころには、セーターは跡形もなく消え、ただ一本の、長い長い毛糸だけが、扉の向こうへと続いていました。
帰り道では、寒さに震えるマッチ売りの少女や、
道に迷ったサンタクロースに出会うこともありました。
少年は特別なことはできませんでしたが、毛糸は静かに彼らの手元へも伸びていました。
「それにしても、今回の旅は厳しかったな。なんとか帰ってこれたのも、あのセーターのおかげだ。何かお礼をしないと」
そう考えていると、偶然、玄関の薔薇に引っかかった毛糸が目に入りました。
「おや、こんなところに毛糸が。ちょうどいい、よし」
少年は毛糸を棘から外し、ゆっくりと手元に手繰り寄せました。
すると不思議なことに、毛糸を引くたび、どこかで誰かが立ち止まり、こちらへ歩き出します。
海辺の町で出会った漁師。
洞窟の奥で会った旅人。
マッチ売りの少女と、サンタクロース。
そして――帰り道の途中、迷子になった少年のおっちょこちょいが発動し、タイムスリップした時に出会った、織田信長、クレオパトラ、マイケル・ジャクソンも、
「まあ、年越しなら悪くない」と言いたげな顔で現れました。
理由は誰にもわかりません。
でも、毛糸はちゃんと、覚えていたのです。
少年が編み始めると、集まってきた人々が自然と手を貸しました。
漁師は糸を整え、洞窟の旅人は編み方を教え、信長は手元を鋭く見つめ、クレオパトラは配色に口を出し、マイケル・ジャクソンはリズムよく糸を送りました。
そうして三日三晩、世界中の縁が重なり合い、一枚のセーターが編み上がりました。
「はい、プレゼント」
「セーター?」
「うん。初めてだから、気に入ってくれるかわからないけど」
彼女が広げてみると、そこにはケーブル編みやダイヤ柄が巧みに組み合わさった、見事なアランセーターがありました。
気づけば部屋は人でいっぱいで、笑い声が自然に満ちていました。
海の町の漁師が、照れくさそうに言います。
「今年は、網が軽くなりそうだ」
誰かが窓を開け、誰かがグラスを掲げました。遠くで、鐘の音が鳴ります。
「あけまして、おめでとう」
その言葉に、誰かが笑い、誰かが拍手をして、誰かが、去年のことを静かに手放しました。
彼女はセーターに袖を通し、少年を見て言いました。
「ハッピーニューイヤー」
新しい年は、毛糸のように静かに、世界へほどけていきました。
セーター ――魔法の毛糸と新しい年―― 斬条 伊織 @zanjo_iori
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