第1話:鉄の箱、宇宙へ跳ぶ

第1話:鉄の箱、宇宙へ跳ぶ


東京・丸の内、九条魔法財閥がそびえ立つ天空議事堂。 そこは、選ばれた「魔導貴族」たちが、宝石のように輝く魔力結晶を弄びながら世界の運命を転がす場所だった。


壇上に立つ男、福代孝良は、四方から注がれる冷笑の礫(つぶて)を全身に浴びていた。 空調からは高級な白檀の香りが漂い、議場を包む魔圧が、魔力を持たない一般人の肺を容赦なく圧迫する。福代は、乱れそうになる呼吸を整え、手元の使い古されたタブレットを叩いた。


「……以上が、我々アークエッジ・スペースの事業計画です。魔力結晶を一切使わず、汎用部品とロジックだけで構成された超小型衛星。これを三千機、低軌道に展開します」


一瞬の静寂。その後、議場を揺らしたのは地鳴りのような失笑だった。


「福代君。君は、自分が何を言っているのか理解しているのかね?」


最上段の円卓から、九条院が声を放った。彼の周囲では、純度の高い魔力が青白い炎のように揺らめいている。 「宇宙は、神聖なるエーテルの海だ。そこへ行くには、一国を数年養えるほどの魔力結晶を積んだ『魔法巨星』が必要なのだよ。それを……何だ、そのブリキの箱は? 魔力も持たぬゴミを空に撒いて、何になる」


「ゴミではありません。インフラです」 福代は、九条の射抜くような視線を真っ向から受け止めた。 「あなたがたが数千億円かけて打ち上げる一つの『巨星』は、確かに眩しい。しかし、それが壊れれば世界中の通信が途絶える。私が打ち上げるのは、一つ数千万、重さ数キロの小さな箱です。一機が壊れても、残りの二千九百九十九機が補完する。これは、独占ではなく、宇宙の『民主化』なんです」


「民主化だと? 滑稽な」 九条院が指を鳴らすと、議場の中央に巨大なホログラムが浮かび上がった。それは、九条財閥が誇る巨大衛星『ゼウス』の姿だった。黄金の装飾が施され、宇宙空間で傲然と輝くその姿は、まさに神の居城だ。


「宇宙は選ばれた強者の領域だ。無能力者が、小銭をかき集めて鉄クズを打ち上げる場所ではない。帰るがいい、福代君。君の『計算』とやらは、魔法という奇跡の前では無力だ」


福代は拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが走る。 その痛みだけが、魔力を持たない自分が「ここに存在している」という確かな証拠だった。


「……奇跡は、コストがかかりすぎる」


福代の低い声が、議場の嘲笑を切り裂いた。


「あなたがたが奇跡に酔いしれている間に、地上の人々は魔法の高騰に喘いでいる。情報の格差は広がり、魔法の届かない地域は切り捨てられている。私は、その境界(エッジ)を繋ぎたい。魔法という才能に選ばれなかった人々にも、宇宙からの恩恵を届ける。それが、私の『計算』が導き出した、この世界の最適解です」


福代は一礼し、踵を返した。 背後で「不敬だぞ!」「身の程を知れ!」と怒号が飛ぶが、彼は一度も振り返らなかった。


一時間後。 東京都大田区、多摩川の風が吹き抜ける古い町工場。 そこは、丸の内の煌びやかさとは無縁の、油と鉄と、焦げたハンダの匂いが充満する世界だった。


「……で、どうだったんだよ、社長。丸の内の魔法使いどもは、金を出してくれそうか?」


作業用ゴーグルを額に上げたゲンさんが、スパナを握ったまま尋ねる。 工場の奥には、福代が言った「鉄の箱」が鎮座していた。一辺二十センチの立方体。魔法の装飾など一切ない、無機質で、けれど機能美に溢れた銀色の塊だ。


「全滅ですよ、ゲンさん。一円も出ないどころか、宇宙を汚すなと説教を食らいました」


福代はネクタイを緩め、作業椅子に腰掛けた。 「そうですか……」と、オペレーション・マネージャーの恵が、冷えた缶コーヒーを福代に差し出す。「想定内、ですね。彼らにとって、宇宙はステータスであって、道具じゃないですから」


「ああ、想定内だ。だから……」 福代は缶コーヒーのプルタブを引き、一気に喉を鳴らした。冷たい液体が、熱を持った脳を冷やしていく。


「自分たちだけでやる。ゲンさん、ロケットの準備は?」


「おう、できてるぜ。魔法燃料を使わねえ、旧式の液体酸素ロケットだ。威力は弱えが、この『チビ助』を低軌道まで運ぶには十分だ。……だが、社長。本当にいいのか? これに失敗したら、うちは文字通り、宇宙のチリになるぞ」


福代は立ち上がり、銀色の衛星に歩み寄った。 その表面を指先でなぞる。ひんやりとした金属の感触。 その中には、魔法に頼らない演算回路が、静かに、けれど激しく鼓動するのを待っている。


「ゲンさん。お箸を並べる時、僕らは魔法を使いませんよね?」 「……はあ? 何だよいきなり」


「当たり前のことを当たり前にやる。お箸を並べて、ご飯を食べる。その日常の延長線上に、宇宙を置きたいんです。魔法なんていう不安定なものじゃない、誰もが使える道具として」


福代は、工場の窓から夜空を見上げた。 そこには、九条の巨大衛星が放つ、不自然なほど強い青い光が輝いている。


「カウントダウンを始めましょう。今夜、宇宙の歴史が変わる。……いや、僕たちが変えるんです」


深夜。 人里離れた発射場。 魔力結晶の輝きもない、暗闇の中で、一筋の炎が地面を叩いた。 轟音。空気を震わせる振動。 それは奇跡の音ではなく、緻密に計算された化学反応の咆哮だった。


「……跳べ、アークエッジ」


福代の呟きとともに、小さな鉄の箱は、夜空の境界(エッジ)を越えて、星の海へと突き進んでいった。


その瞬間、月面で一人の少女が目を開けた。 「……聴こえる。魔法じゃない、冷たくて、とても静かな……新しい星の鼓動」


地球の周回軌道上に、一つ。 魔法の光に混じって、けれど決して消えない「科学の灯」が灯った。 それは、九膳のお箸を並べるように、世界を繋ぎ直す一万の物語の、最初の一歩だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る