初恋くんは、マッチョになってた。
夏乃鼓
第1話 再会
「ふぅ〜、これで一段落ついたかな。」
私のひとり言に返事をしてくれたのか、窓から春風がふぁーっと入ってきた。新品のカーテンは春風でなびき、何だか喜んでいるように見えた。犬の尻尾みたいにも見えたかも。
--私は、石川結梨(ゆうり)。大学卒業と就職を機に、小学6年生まで過ごしていた【恵比(えび)市】に引っ越してきた。まだ22歳だけど、ここは人生の半分を過ごした、思い出の詰まった場所。
就職試験を頑張った甲斐があったよね。
「さて!初めての一人暮らし!最初にやりたかったのは、もちろん散歩!」
ポシェットを肩に掛け、おろしたてのスニーカーを履き、慣れない手つきで鍵を閉める。
散歩で向かうのは、丘の上にあるお気に入りの公園。当時、仲が良かった秋田健翔(けんと)くんと、よく遊んでいた《丘桜(おかざくら)公園》--通称“おから公園”。公園内に桜の木が1本、その隣に背の高い無骨な鉄棒。不釣り合いな組み合わせが、私は妙に好きだった。
だから、どうしてもその公園の近くに引っ越したくて、丘の麓にあるアパートを借りた。多少自転車通勤で時間はかかるけど、譲れない条件だった。
……だって、秋田くんと、初恋相手の秋田くんとまた逢える気がして。
そんな淡い期待を抱きながらも、足どり軽やかに丘を上って行く。歩くこと10分、お目当てのおから公園に着いた。
公園に入ると、少し大きくなった桜の木と、少し塗装が剥げた鉄棒……にマッチョがぶら下がっている!!
思い出に浸るはずが、私は筋骨隆々なマッチョの肉体に惚れぼれしてしまった。
幸いにも、マッチョは私に背を向けて懸垂のトレーニング中。私は気付かれないように、ベンチに腰かけて懸垂を静かに見守った。
リズムよく上下する上半身と、それを支える筋肉たち。そして、筋肉を伝って流れ落ちる汗。
「あの鉄棒は、そのためにあったんだ。」と思いながら……。
しばらくすると、マッチョが鉄棒から降り、飲み物を飲もうとして私がいることに気がついた。“筋肉を見ていた”なんて言えないので、気まずくて視線を反対方向へと泳がせた。それでも、マッチョからの視線をひしひしと感じる。
「もしかして……結梨ちゃん?!」
「……ふぇっ?!」
急なことで、素っ頓狂な声が出た。私に、こんなマッチョな知り合いなんていない。
「僕のこと忘れた?秋田健翔だよ。」
急に、私の鼓動が早鐘を打ち始めた。
「……えっ?!……ちょっ……えっ?!あのヒョロヒョロだった健翔くん?!」
「そっかぁ!小学生の時の僕は、ヒョロヒョロだったね!こんだけ驚くのも、無理ないね(笑)」
「いや、本当にびっくりした!健翔くん、変わったね。」
「それこそ、結梨ちゃんもだよ!さらに可愛くなったね!」
「あ……ありがと……//」
(あの健翔くんが、私好みのマッチョになってる!!しかも、無自覚に「可愛い」とか言ってくる!!「惚れてまうやろー!」とあの芸人並に叫びたい!!)
私は秋田くんと会話しながらも、直視できないほどの肉体美に悩まされていた。
--そう、私は筋肉フェチだった。
「結梨ちゃん、どうしたの?顔真っ赤だよ?」
「そ、そんなことないよぉ?!」
「それなら、僕の気のせいかな(笑)今日、けっこう暖かいからね。そういえば、結梨ちゃんはいつこっちに引っ越してきたの?」
「先週だよ。こっちで就職したくてさ……。」
「そっかぁ!僕と一緒だね。……って、ぎゃーーーっ!!!」
秋田くんが悲鳴を上げて、急に逃げ始めた。心なしか涙目にも見える。
「こらっ!!待ちなさい!!」
と、遠くから女性の声も響く。
私は、逃げ出した秋田くんの方を見た。
秋田くんの後ろに、白くてモフモフした大型犬が2頭。“ハッハッ!”と息を切らしながら、尻尾をブンブン振って秋田くんへと向かってくる。どうやら、リードごと力ずくで飼い主さんを振り払ったよう。
そのまま、公園内で1人と2頭の鬼ごっこが始まった。
その様子を見て、私は思い出した。
(健翔くん、動物が苦手だったんだっけ!!)
--秋田くんは、幼い頃から動物にとても好かれやすい体質。昔はヒョロヒョロだったから、大勢の動物に押し倒されて揉みくちゃにされる……ということがよくあった。だから、動物が苦手なんだ。
“ガシッ!!”
急に後ろから肩を掴まれ、その衝撃で私は我に返った。
後ろを向くと、私の視界は秋田くんの大胸筋しかない。たぶん、犬が怖くて私の後ろに隠れたんだろう。そもそも、私の方がずっと小柄だから、全く隠れていないんだけど。
……って、これは、はたから見たらバックハグってやつなのでは?!?!
背中から伝わる大胸筋の厚さと、運動後の身体の火照り。状況を客観視して、私の顔がまた熱くなってきた。
……でも、ハグをしている秋田くんの腕から、犬への恐怖心でブルブル震えているのが伝わってきた。秋田くんの鼓動が速いのも聞こえる。そして、小声で「……ごめんなさい。」と謝る秋田くんの声も。
私は、秋田くんに追いついて周りをウロウロしている犬たちを撫でながら、飼い主の女性が来るのを待った。
「ごめんなさいねぇ。この子たち、体格の良い男性が好きで、見掛けると全力で走っちゃうんですよぉ。」
「そうでしたか。こちらこそ、わんちゃんたちに上手く関われず、すいません。私の後ろにいる男性、動物が苦手でして……。」
「本当にごめんなさい。でも、あなた方のおかげで、この子たちを捕まえることができたわ。今度出会った時は、恩返しをさせてね。」
「ありがとうございます。」
そう言うと、女性は2頭のリードをしっかり掴み、頭を下げて公園を出て行った。
静かになった公園。残ったのは、バックハグをしている私と秋田くんだけ。恐る恐る目を開けて、犬がいなくなったことを確認した秋田くんは、やっと私を解放した。
「急に隠れちゃってごめんね!僕、どうしても動物が苦手なのは直せなくって……。」
「私も忘れてて驚いちゃったけど、大丈夫だよ。直せないものってあるよね。」
「直したいんだけどね……。」
と言いながら、秋田くんはバツが悪そうに頭をポリポリと掻いていた。
すると、秋田くんのスマートウォッチから、“ジリリリリ♪”とアラーム音がなった。
「いけない!今からランニングの時間だった!今日は筋トレの日だから、スケジュールがギッチリなんだ。でも、結梨ちゃんに会えてよかった。またね!」
秋田くんは、スポドリやタオルを回収すると、そのまま公園の外へ走り出してしまった。
私は、「またね」を言うタイミングもなく、小さくなっていく秋田くんの後ろ姿を静かに見送った。
そして、見送った後もしばらく動けず、春風が私をそっとなでていった。
初恋くんは、マッチョになってた。 夏乃鼓 @Natsunoko12
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