神の処刑人、転職先は神の御使いでした
@hagari
第1話 神を殺したのは、いつも通りだった
空が、壊れていた。 ただ曇っているとか、嵐が来ているとか、そんな生易しいものじゃない。まるで厚い硝子を無理やりこじ開けたみたいに、空そのものに醜い亀裂が走っている。その隙間から、黄金色の神力が毒素のように世界へだだ漏れになっていた。
「……はぁ、重い。息を吸うだけで肺が軋む。この感覚だけは、何度やっても慣れないな。」
正直な感想が、口から漏れた。 大気が異常な圧力を持って、全身にのしかかってくる。 ニルは十八歳。少年のあどけなさを脱ぎ捨て、勝負師のような鋭い眼光を宿した青年だ。 足元の地面は蜘蛛の巣状にひび割れ、神の力に当てられて重力から解き放たれた岩が、ゆっくりと宙を漂っている。遠くでは、元は街だったであろう場所が、音もなく砂のように崩れ続けていた。
原因は、目の前だ。 巨大な影。人の形をしているようで、そうでもない。腕は異様に長く、背中からは光の帯のようなものが垂れ下がっている。 神。本来なら世界を守り、人々の祈りを受ける理そのものであるはずの存在――だったもの。
「人間……。」
空気を震わせる声が、頭の中に直接響く。それは声というより、鼓膜を直接叩く鉄塊のような衝撃だった。
「貴様はなぜ、ここにいる。穢れた土着の命よ。なぜ、我という絶対の理を前にして、震えもせずにいられるのだ。」
「うーん……。」
ニルは、神と戦い続けているにも関わらず、刃こぼれひとつない剣を構えながら、少し考えた。その瞳は、神の威光に焼かれることもなく、ひどく冷めていた。
「ここさ、君のせいでめちゃくちゃに壊れてるんだよね。だから止めに来たんだよ。迷惑だって言ってる人たちがいたからさ。それに、君みたいなのはもう……見飽きてるんだ。」
正直に答えた。神の周囲で、光の渦が逆巻く。感情が高ぶると力が溢れ出るタイプらしい。制御ができていない証拠だ。
「我は選ばれし天上の存在! この世界は、我を受け入れるためにこそ存在する器に過ぎぬ! 壊れているのではない、我という唯一無二の形に作り替えられているのだ!」
「あー……今日のはそういう感じ?」
嫌な予感しかしない。独りよがりな神の理屈。これは話し合いで解決する段階を、とっくに過ぎている。 次の瞬間、神の腕が振り上げられた。 来る。 細胞の一つ一つが警笛を鳴らす。 ニルは爆発的な踏み込みで地面を蹴った。同時に、さっきまで彼が立っていた場所が、神の不可視の打撃によって轟音と共に消滅した。
「っ、重……!」
衝撃波が身体を叩き、空中で体勢が崩れかける。必死に空中の瓦礫を足場にして蹴り、強引に姿勢を立て直して着地する。神は追撃をためらわない。光の槍が、空から何本も、何十本も降り注ぐ。それは雨のようでありながら、一本一撃が城壁を穿つほどの威力を持っている。
「流石に多すぎだろ!? 」 一本目を避け、二本目をロングソードの腹で弾く。金属音というより、空間が割れるような音が響く。だが三本目は肩をかすめた。その瞬間、焼けるような痛みがニルを襲った。皮膚がただれるのではなく、魂の端が削られるような特有の苦痛。
「っ……!」
歯を食いしばり、光の槍を避け切り、距離を詰める。神の周囲には、いつもと同じように薄く光る結界が張られていた。触れただけで皮膚が裂けそうな程の圧力。だが、これも初めてではない。
「こいつもかよ……はいはい、いつものやつね。神様ってやつは、どいつもこいつもおんなじようなものしか使わないのかよ...。」
慣れた手つきで、剣を両手で握り直す。腰を落とし、全身のバネを剣先に集中させる。 そのまま放った一撃目は、激しい火花を散らして弾かれた。腕が激しく痺れ、骨にまで振動が響く。
「……かっった。」
想像よりも密度が高い。握る手が弱まりそうになるのを我慢し、そのままの勢いで二撃目を直撃させる。 パキン、と微かな音がした。 結界に、小さなひびが入る。 自分の絶対的な防壁に傷がつくとは微塵も思っていなかった神は、焦ったように吼えた。
「人間が! 我に触れるな! その汚れた手で我の光を汚すな!」
意に介さず、三撃目を全体重を乗せて叩き込む。すると結界が、ガラスのような音を立てて砕け散った。
「やっと割れた。今日のは少し硬いな。」
神の懐へと一気に踏み込んでいく。 最も危険で、最も近い距離。神の巨大な腕が側面から迫る。避けきれない――だから、切り裂く。剣を振り抜き、腕を切り裂く。光の粒子が飛び散り、神が悲鳴を上げた。
「なぜだ! なぜ、人間ごときが我の結界を……我の聖体を……!」
「さあ? 俺に聞かれても」
ニルは着地し、再び剣を正眼に構えた。
「ただひたすらお前らと戦って、気づいたら勝手に破れるようになってたんだよ。」
神はニルを世界の異物を見るような、得体の知れないナニカに相対した時のような顔をしていた。しかしそんな顔をされても困るのだ。嘘を言っていないのだから。 生き延びるために、目の前の高い壁を壊し続けてきた。その結果がこれだ。
雑念を払い、神の胸部へと矛先を向ける。そこには、神の力の結晶――神核がある。ここを壊せば、体に神力を循環させることができなくなり、死に至る。 逆に言えば、そこさえ守れば決して死ぬことはないのだ。 そんな場所に狙いを定めて深く息を吸う。
「……これで、お前は終わりだ。来世があるなら、次はもっと静かな場所で寝てなよ」
剣を勢いよく胸へと突き出す。刃が神核に届いた瞬間、世界の音が消えた。風も、崩れる音も、すべて止まる。 次の瞬間――光が、弾けた。 神の身体が、内側から崩壊していく。怒りも、驕りも、悲鳴も、すべて霧のように消えていった。
「……今日も、生き残れた。」
剣を引き抜き、その場に片膝をつく。全身が重い。手足が震える。。それでも、立ち上がらなければならない。神を殺す。それはもう、俺の日常だった。 人々からは英雄と呼ばれ、「神に勝ち、殺した人間」として、神々の間では<神の処刑人>として名前が知られるようになって久しい。だが、その称号に相応しい報酬を得たことなど一度もなかった。得られるのは、壊れた街の静寂。
「ここの片づけ……めんどくさいな。これ、どこに頼めばいいんだ。」
瓦礫だらけの世界を見渡し、自嘲気味に苦笑したその時。
――ぱちん。
やけに間の抜けた、乾燥した音が響いた。
反射的に、腕の震えをとめ、剣を構え直す。 空間が水面に落ちた雫のように歪み、そこから真っ白い光が弾けた。 現れたのは、神々しく、眩しいほどに純白の服を着ている豊満な肉体をした美女だった。 この、世界の終わりのような惨状の中で、場違いなくらい明るい笑顔を浮かべながら。
「わー! ほんとに倒しちゃった! あの神様それなりに強かったのに、ほんとに殺しちゃうなんて! すごーい! 」
パチパチと無邪気に拍手までしている。
「……えっと?」
俺は警戒しながら、なんとなく正体を察してはいるものの、一応確認のために聞く。
「あんた……誰? また新しい神様か? 悪いけど、もう一回戦う体力は残ってないぞ。」
「失礼しちゃうなぁ! 私? 見てわからない? 天界を管理する、めちゃくちゃ偉~い女神様のエウロラだよ! 」
……やっぱり。 テンション高めでノリが軽く、それでいてどこかネジが二、三本抜けていそうなタイプの女神だ。
「じゃあさ、女神様。用件が拍手だけなら、俺、もう帰っていい? 神様と関わると、ろくなことにならないって、これまでの経験で嫌というほど学んでるんだ。」
神なんかと関わりたくない。それが偽らざる本音だ。すべての神が先ほどのように暴虐を尽くすわけではない、と知ってはいるものの、神の存在そのものが、俺にとっては不条理の象徴でしかない。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんな冷たいこと言わないで! 」
エウロラは、ずいっと顔を近づけてきた。銀髪から漂う、高貴でどこか懐かしい花の香りがニルの鼻をくすぐる。
「君さ、神様を殺せるでしょ? 私、長いこと女神やってるけど、君みたいな人間、初めて見たよ! 噂の<神の処刑人>君でしょ?」
「……まあ、勝手にそう呼ばれてるだけど。」
「それ、すっごく珍しいんだよ! それに私、君のこと気に入っちゃった。」
ものすごく嫌な予感しかしない俺を差し置いて、女神は満面の笑みで、爆弾を投げつけるように言った。
「ねえ、私と契約してうちで働かない? 君みたいな人、天界に一人欲しかったんだよね! つまりスカウト! ヘッドハンティングだよ!」
「……は?」
耳を疑った。今、この女神は、俺に向かって神の下で働けと言ったのか。
「仕事は単純だよ! 今回のあいつみたいに、勝手に暴走しちゃう神とか、自分の力を勘違いして誤用するおバカな存在とか、世界のバランスを壊しかねない相手を――戦って止めること! 今まで君が勝手にやってきたことの、公式ライセンス版みたいなもん。悪い話じゃないでしょ?」
「断る。冗談じゃない。神に使われるなんて真っ平だ。」
ニルは重い足取りで背を向け、歩き出そうとした。だが、エウロラはまるで重力も空間の概念も無視して、くるりとニルの目の前に先回りする。
「えー、いいじゃん! 神の御使いっていう立場を押し付けて……じゃなくて、授けてあげるよ! 特権もいっぱい! 私の雑な指示を背に受けながら、再び神々の戦場へと放り込まれる。そして世界の均衡をなんとなく保つ。どう、最高にワクワクしない?」
「全くしない。一文字もワクワクしない。お前、言ってること相当めちゃくちゃだぞ」
「そんなこと言わないでよー! ほら、君のその剣、見てごらんよ。見た目はとくても、中身がガタガタじゃないの?これからもそんなので戦うの? 神器とか加護とか、私がポンと用意してあげてもいいんだよ?」
「いや、俺はこの剣がいいんだ。改造も、新しいのもいらない。これは俺がまだ何も持っていなかった頃から、俺の日常を、命を支えてきた唯一の相棒だ。神の力で便利にする必要なんてない」
「頑固だなぁ、もう! そういうこだわりの強いタイプ、嫌いじゃないけど!」
エウロラは腰に手を当て、楽しげに目を細めた。
「でもね、もう決めちゃった! 運命ってやつだよ! 君、今日から私の『御使い』ね!拒否権なんてものはないよ、だって私は女神様だもん!」
「おい、ふざけるな。さっきから一言も合意してないぞ。そんなのでいいのかよ!」 「いいのいいの! 私が君を選んだ理由は大変そうだけど面白そうだから! 理由なんてそれで十分でしょ!」
「……はぁ、やっぱり頭がおかしい」
ニルは天を仰いだ。空の亀裂はいつの間にか塞がっていたが、目の前の女神という名の災難は一向に消える気配がない。俺が手に入れていたはずの平穏は、この瞬間、どこからか現れたテンションの高い女神エウロラのせいで完全に終わった。
神の処刑人、転職先は神の御使いでした @hagari
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