あんこが出た日

Tom Eny

あんこが出た日

あんこが出た日


 あんこが出たのは、刺すような冷気の中、クラス全員が狂ったように身を寄せ合った冬の日のことだった。


導入:運命の押しくらまんじゅう


小学校四年二組の休み時間。僕の心臓は、逃げ場のない檻の中で暴れる獣のように脈打っていた。 「押しくらまんじゅう、押されて泣くな、あんまり押すとあんこが出るぞ!」 誰かが叫ぶ。その声は、これから始まる儀式の合図のようだった。


僕は、目の前にある「完璧な背中」に、人生のすべてを叩きつけるつもりで力を込めた。 学級委員で、秀才。僕の好きなユキちゃんの隣の席。僕が喉から手が出るほど欲しかった――タケシ君の背中。 泥で汚れた僕の上履きとは対照的な、真っ白な、ゴムの匂いが残る新品のスニーカー。僕は彼になりたかった。彼になって、あのアカシアの香りがするユキちゃんの隣に座りたかった。


その瞬間だった。


ギュッ、と肉体が限界まで圧縮された中心で、僕のヘソのあたりから「フワッ」と何かがはみ出した。 まるでおまんじゅうの薄皮が破れて、熱い中身がこぼれ落ちるような、生温かい感触。鉄の匂いと、耐え難いほどの甘い香りが鼻を突く。


「……え?」


次に目を開けたとき、視界の高さが違っていた。 見下ろすと、そこには真っ白なスニーカーがあった。僕は吸い込まれるように、いつも遠くから眺めていた「あの席」――タケシ君の席に座っていた。 「タケシくん、今日の算数、ちょっと難しい問題あるよね」 隣から、鈴の鳴るような声がした。ユキちゃんだ。彼女が僕を見て、頼るような瞳で笑っている。 タケシ君の丈夫な胸板の裏側で、僕の心臓が、歓喜の鐘を打ち鳴らした。


展開:崩壊する日常と、壊れゆく大人たち


だが、その喜びは一時間目の算数で、音を立てて崩れ去った。


「じゃあ、この問題は……タケシ。以前君が使ったあの解法で、説明してくれるかい?」 担任の先生が、100パーセントの信頼を込めた目で僕を指差した。けれど、僕の頭にあるのは、空っぽな知識の空洞だけだ。 僕が黙り込むと、教室に冷たい沈黙が広がる。先生の眉間に、深い困惑の皺が刻まれた。


「仕方がない。……ケンタ、答えてごらん」 先生が諦めたように、勉強の苦手な「僕の姿(ケンタ)」を指名した。 すると、僕の体に入ったタケシ君が立ち上がり、淀みない口調で、大学教授のような完璧な解説を始めた。


先生は絶句した。手に持っていたチョークをパキリと折り、カチコチに固まった僕(タケシ)と、天才的な回答をしたケンタを交互に見つめる。 「私が……この子たちのことを、まるで理解していなかったというのか……?」


地獄は加速した。 図工の時間、タケシ君の「繊細な色彩」を期待した先生は、僕が描いた雑な絵を見て「魂が死んでいる」と頭を抱えた。体育の時間、エースのタケシとして放ったパスは、無様に床を転がった。


「お前の才能を伸ばすための、私の指導方針まで……全て、全てが間違いだったのか!」 教育者としての自信を完全に喪失した体育教師は、コートの真ん中で膝をつき、嗚咽した。 放課後、職員室から「タケシ君が別人になった、脳の精密検査を……」と震える声で保護者に電話する担任の姿が見えたとき、僕の罪悪感は、タケシ君の広い背中を耐え難いほど重くした。


クライマックス:運命の再シャッフル


「いますぐ戻ろう! このままじゃ、君の体も、僕の人生も台無しだ!」 僕の姿をしたタケシ君が、血走った目で僕に詰め寄った。 僕たちは、最初の場所へユキちゃんと、事情を知らない友人たちを呼び出した。


(元の場所へ帰りたい。完璧な誰かになりたかったズルい自分を、全部追い出すんだ!)


「押しくらまんじゅう、押されて泣くな、あんまり押すとあんこが出るぞ!」


ギュッ! 輪が最大に縮まった瞬間、あのドロリとした熱い塊が、勢いよく外へ弾け飛ぶ感覚。 空気が抜けるような音が耳元でした。


「……ハァ、ハァ……ッ」


気がつくと、僕は尻餅をついていた。泥で汚れた、小さくて不器用な、僕の手。 戻ったんだ! 僕は、僕に戻れたんだ!


……けれど、隣で絶望的な叫び声が上がった。


「ふざけるな! 俺は、俺は誰なんだ……!?」


声の主は、タケシ君だ。だが、その口調には品格のカケラもない。 「……ねえ、変なの」 ユキちゃんが、自分の手の甲をじっと見つめてつぶやいた。 「この指、私のだっけ……? っていうか、私……なんで自分のことを『私』って認識してるんだろう……」


僕の心臓が、凍りついた。 元に戻るどころか、一度破れた「皮」からはみ出した「あんこ」は、さらに複雑に、デタラメに混ざり合ってしまったのだ。


遠くの校舎から、教育委員会の車がサイレンを鳴らして近づいてくる音が聞こえる。 僕は、お互いの顔を見合わせた。


目の前の、タケシ君の姿をした「誰か」が、不気味に、歪に、ニヤリと笑った。


僕たちの、終わらない「押しくらまんじゅう」が、今、始まった。

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あんこが出た日 Tom Eny @tom_eny

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