【第一章予約投稿済】奈落の王は11の鎖を断つ

熊桜アリス

第1章 再誕の処刑台

第1話 断頭台の露

 本日1/1のみ四話更新いたします。

 明日以降は二話ずつ更新されます。詳しくは、説明欄をご覧ください。


 

 昔々に書いたものを少し改良して皆様にお届けしておりますので、完結まで一応執筆済みです。

 是非最終章までご覧頂けたらと思っております。



 それでは、五感と魂を代償に世界の『理』を解体する、最も哀しく痛快なダーク・リベンジな物語をお楽しみください。





 第1話:断頭台の露


 処刑台の露は、味覚を失う前の私が最後に味わった、唯一の救いだった。


 頬に押し付けられた断頭台の木材は、帝都の広場に吹き荒れる風雪と、数多の罪人の脂、そして乾いた血を吸い込み、黒く変色している。その不快なぬめりと、腐敗した鉄のような臭気が、私の鼻腔を容赦なく犯していた。


 だが、ささくれた木目の隙間に浮かんだ一滴の朝露だけは、驚くほど冷たく、宝石のように澄んでいた。



「殺せ! 裏切り者を殺せ!」

「我々の税金を食い潰した国賊め!」

「聖アストラル帝国に栄光あれ!」

「太陽神マルドゥクの裁きを!」



 広場を埋め尽くす民衆の怒号が、物理的な振動となって私の鼓膜を叩く。

 腐った野菜が空を切り、私の肩で弾けて強烈な酸臭を撒き散らす。

 石礫いしつぶてが額を割り、熱い血が視界を赤く染める。

 痛覚は、ある。  だが、私の意識は奇妙なほど冷徹に、それらを「情報」として処理していた。


(……配置されている警備兵は120名。全員が儀礼用の長槍を装備。実戦経験の薄い若年兵ばかりだ。北側の包囲網に2カ所、人の流れが滞っている穴がある。私が全盛期の装備と体力を持っていれば、あそこを突破口に15秒で離脱できたな)


 職業病とも言える「戦術眼」が、死の直前まで稼働し続けていることに、私は自嘲気味な笑みを浮かべそうになった。  

 私はアルス・アストラ。 30歳。

 かつて帝国最強と謳われた聖騎士団長であり、今は国家転覆を謀った大罪人という汚名を着せられた、ただの薄汚れた肉塊だ。


 ガキン、と重い金属音が響く。  


 私の首を固定するU字型の枷がロックされた。  

 自由を奪われた視界の端に、朝日の光を反射して輝く、黄金の甲冑が映り込んだ。



「……すまない、アルス」



 聞き覚えのある、よく通るバリトンボイス。  

 かつての親友であり、副官として背中を預け合い、そして私をこの処刑台へと送った張本人。  

 現・帝国聖騎士団長ヴァレリウスが、執行人としてそこに立っていた。


 彼は白亜のマントを風になびかせ、悲痛な面持ちで眉を寄せている。民衆から見れば、堕ちた友を裁かねばならない悲劇の英雄に見えるだろう。  

 だが、私には分かる。  

 彼の瞳の奥に、揺るぎない「氷の計算式」が走っていることを。



「君には恨みなどない。むしろ、君の能力には敬意すら抱いている。だが、今の帝国には『生贄』が必要だったんだ」



 ヴァレリウスは、私にだけ聞こえる声量で、まるで今日の天気の話をするかのように淡々と告げた。



「北方の凶作による食料危機、スラム街での暴動、そして貴族たちの権力闘争……。これら全てを鎮静化させるための『共通の敵』として、君ほど優秀なリソースはいなかった」


「……それが、お前の言う『正義』か、ヴァレリウス」



 乾ききった喉から、ひび割れた声が出る。  ヴァレリウスは小さく頷いた。



「正義ではない。『最適解』だ。君一人の命で、暴動寸前の帝都市民100万人の不満が解消される。内戦のリスクは回避され、治安維持コストは40%削減できる。君の死は、帝国全土に安寧をもたらす最大の功利だ。……これは正しい数学的処置なんだよ。君なら、この『効率』を理解してくれるだろう?」



 最大多数の最大幸福。  

 それが彼の信奉する絶対的な指針だ。そのためなら、親友の無実をでっち上げ、証拠を改竄し、民衆を扇動することも「必要経費」として処理される。


 私は何も答えなかった。  

 反論もしない。

 命乞いもしない。  

 ただ、彼の完璧な論理の裏側にある、人間としての情動が欠落した底知れない「虚無」を、泥にまみれた眼で見つめ返した。


 私の沈黙を「同意」と受け取ったのか、あるいはこれ以上の対話は時間の浪費と判断したのか。  ヴァレリウスは仮面のような美貌を民衆に向け、執行の合図となる手を高く掲げた。



「見よ! 太陽神マルドゥクの御名において、ここに帝国の膿を取り除く!」



 ワァァァァッ! と広場が揺れる。  



 熱狂。

 殺意。

 興奮。  



 それらが渦巻く中心で、世界はスローモーションのように引き伸ばされていく。



「……最期に。何か望みは?」



 執行直前、ヴァレリウスが形式的に問いかけた。  

 私は答えようとして、口内の粘膜が干上がっていることに気づいた。  

 地下牢での一週間、まともな水も与えられなかった。舌が張り付き、言葉が出ない。


 ふと、視線の先の床板に、泥水が溜まっているのが見えた。  


 処刑台の隙間にはまった、ひとかけらの乾燥したパンくずも。

 昨晩、誰かが落としたものだろうか。本来ならネズミすら見向きもしない汚物だ。


 ――ああ、なんて、美味そうなんだ。


 思考よりも先に、本能が反応した。  

 かつて聖騎士団長時代、宮廷の晩餐会で振る舞われた最高級のヴィンテージ・ワインや、大陸中の珍味を尽くしたフルコースなど比較にならないほど、その泥水とパンくずが、黄金よりも輝いて見えた。

 これは、生への見苦しい執着か。  

 それとも、これから私が失うことになる「人間としての機能」への、最後の手向けか。

 私は首を伸ばし、木板に溜まった朝露を、舌先でそっと舐め取った。


 ……冷たい。    


 錆びた鉄の味がする。  


 古びた木の匂いがする。  


 雨と埃が混じった、泥のざらつきがある。



 だが、そこには確かに「世界」があった。

 

 この不条理で、残酷で、どうしようもない世界を構成する、確かな物質の味がした。

 

 これが、私が人間として感じた、最期の「味」だった。



「執行!」



 ヴァレリウスの冷徹な声が響く。

 

 頭上で、留め金が外れる音がした。  



 ギィィ、という錆びついた金属の摩擦音。風を切る重厚な刃の響き。



 重力に従って落下する刃の質量と速度を、私の脳裏に残った「プロの技術」が無意識に計算していた。


 断頭台の高さ4メートル。

 刃の重量40キログラム。  

 落下速度、秒速約9メートル。

 

 インパクトまで、0.5秒。


 首筋に、冷気とは異なる鋭利な「死」の気配が触れる。


 視界が回転する。  


 最後に見たのは、熱狂する民衆の醜悪な歪んだ顔でもない。  


 私を見下ろすヴァレリウスの哀れみを含んだ瞳でもない。



 朝日に照らされた、雲ひとつない、見事なまでの青空だった。




 ――ああ、この世界は。  俺を殺そうとするこの世界は、なんて残酷に美しいんだ。




 ズドン、という衝撃と共に、意識が暗転する。

 


 思考が断絶する。  


 そして、聖騎士アルス・アストラとしての「人間としての生」は終わった。







 ……はずだった。






 暗闇の中で、誰かが嗤う声を聞くまでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る