人の輪郭-間宮響子-

江渡由太郎

人の輪郭-間宮響子-

 間宮響子は、いままで幽霊を怖いと思ったことがない。

 それは職業病ではなく、嘘偽りのない事実だった。


 大抵の死者は理由なく人を害さない。彼らは多くの場合、現世での強い未練や厄介な誤解に縛られているだけだ。


 本当の意味で危険なのは、特定の理由を持って行動する者――生きている人間である。



 その日、響子のもとに届いた依頼は奇妙だった。


「この家には、幽霊はいないんです。でも……怖いんです」


 依頼主の男・佐伯隆志は、そう前置きした。

 家は新興住宅地にある、ごく普通の二階建てだった。

 霊的反応は、まったくない。

 床下、壁、天井――どこにも“死者の痕跡”がない。


「確かに、幽霊はいません」


 響子がそう告げると、佐伯は安堵するどころか、顔色を悪くした。


「それが……余計に……」


 夜になると、決まって物音がするという。


 足音、ドアの開閉、かすかな息遣い。


「でも、カメラには何も映らない。映らないように、動いているみたいなんです」


 響子は、その言い方に引っかかった。




 翌晩、響子は家に泊まった。

 深夜二時。


 廊下から、ゆっくりとした足音が聞こえる。

 霊視を試みても、何も見えない。

 代わりに感じるのは、過剰な緊張と計算された沈黙。


 足音は、必ず響子の部屋の前で止まる。

 ノブは回らない。

 入ってこない。


「……試している」


 響子は、そう理解した。

 霊ではない。

 相手は――生きている。




 朝、響子は家の構造図を求めた。

 壁の厚さ、床下、天井裏。

 そして、増築の履歴。


「この家、二重壁ですね」


 佐伯は視線を逸らした。


「……防音のためです」


「誰のために?」


 沈黙が落ちた。




 その夜、響子はわざと無防備に眠ったふりをした。

 やがて、壁の向こうで何かが動く。

 隠し扉が、音を殺して開く。


 出てきたのは――佐伯だった。

 呼吸を整え、足音を殺し、他人の恐怖を観察する目をしている。


「幽霊より、人間の方が怖いでしょう?」


 彼は小声で囁いた。


 その瞬間、響子は目を見開き勢いよく立ち上がった。


「ええ。あなたのような人は、特に」




 後日、佐伯は逮捕された。

 過去に起こった失踪事件。

 その多くが、彼の家の周辺で起きていた。


 壁の中からは、遺留品が見つかった。

 死体は、なかった。


「幽霊が出ない理由、分かりますか?」


 警察に問われ、響子は答えた。


「彼らは、まだ出番ではないからです」


 去り際、響子はふと思った。

 死者は、やがて形を現す。


 だが、生きている狂気は、こちらが気づくまで、ずっと笑っている。




 その夜、響子は久しぶりに――眠れなかった。



 ――(完)――

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