雪のふる音が聴こえる

@asumi1017

第1話 はじまり

彼女はいつも凪いだ海を見つめていた。

波打ち際で、ただ一人

自分と海との距離を確かめるような、そんな姿に

どうしようもなく心惹かれた自分がいたことを、

24歳の冬、横浜駅構内で、外に降る雪を眺めながら思い出した。




雪国の北海道では、11月下旬には本格的に雪が降り始める。

大学3年のうちに単位を全て揃え、4年が始まってすぐに卒論を提出し終えた僕は、

高校以来の友人であるワタリと、社会人になるまでの猶予期間を十分に謳歌していた。

今学期唯一履修している「応用生命倫理学」の後、

札幌駅近くの廃れたビルの2階でひっそりと営業しているバーガーショップ「ファンク・パンク」のカウンター席に座って、

店長のシンジョウさんからサービスで淹れてもらったコーヒーのお代わりを、苦みを噛みしめるように飲んでいると、

「俺、彼女できたんだよね」と衝撃的な事実をワタリに告げられた。

衝撃のあまり口に含んでいたコーヒーを吹き出した僕に

「きたないな」という表情を向けながら紙ナプキンでテーブルを片すワタリ。

シンジョウさんが

「どんな子なの?」と尋ねると

「2個上で、めちゃくちゃ美人なんです。リサっていうんですけど、サークルの先輩に紹介されて」とワタリが応える。

ワタリはこの数か月間、ずっと僕と一緒にいたはずなのに、いつの間に彼女を作っていたんだ?

そんな疑問を抱えながら最近買ったばかりのセーターに跳ねたコーヒーのしずくを拭っていると、

「それでさ、今度彼女とスキー旅行行くからアヤトも来いよ」

いつものように強引に誘われる。

「嫌だよ、スキーはもう飽きた。」

「何言ってるんだよ、呑気にスキー旅行行けるのもこれで最後なんだぞ、めちゃくちゃ可愛い子来るからさ」

「アヤトくん、せっかくなんだし行ってきなよ、彼女できるかもよ」

シンジョウさんも僕をその気にさせようと背中を押してくるから、

「仕方ないな」と言って、

僕はその1週間後、人生で初めての恋に落ちたのだった。




スキー場から少し離れた所にある、リサさん家の別荘に着いてお風呂を済ませると、

僕以外の3人は「滑り疲れたから」とそれぞれの部屋へ戻っていった。

身体は疲れているのに、目を閉じてもなかなか眠ることができない僕は、

年代物の家具で統一された部屋の片隅で、ぼんやりと今日のことを思い返していた。


水気の多いぼってりとした雪が降る朝、

珍しく寝坊した僕は、積もった雪の上をそろそろと歩く観光客の間を駆け抜けながら集合場所へと向かっていた。

駅に飛び込んでワタリの姿を探すも見つからず、

「悪い。俺とリサ、10分くらい遅れる」というメッセージに気が付いて安堵のため息をもらした。

今回のスキー旅行には、ワタリ達の他にもう一人、リサさんが連れてくる友達が来ると聞いていた。

名前しか知らないその人がどこにいるかなんて、分かるわけないじゃないかと思いながら

たくさんの人でごった返している駅構内を見渡すと、見慣れた白いオブジェを挟んで、壁際にたたずむ女性に目が吸い寄せられた。

ほんの一瞬、人びとのざわめきが消えて、気が付くと僕はその女性の前に駆け寄っていた。

つい先ほどまで外に降る雪を眺めていた彼女は、突然目の前に現れた僕を驚いた顔で見上げた。

「えと、あの、すみません」そう言いかけたとき、

「もしかして、アヤトくんですか?」と、彼女が僕の顔を覗き込んだ。

「あっそうです、アヤトです。アヤさんで合ってますか?」

華奢な体と可愛らしい顔立ちには、どちらかというと不釣り合いなごつめのピアスが彼女の耳で揺れた。

僕を見つめる彼女の大きな瞳に、どうしようもなく頼りなさげな僕が映っていた。



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