奇跡の粉(くすり)を啜る国 ――妾の王女は祈りを忘れる

ましゅけなだ

序章

雪が降っていた。

 すべてを白く塗りつぶすような、やけに静かな夜だった。


 炎を上げる社の前、僕は冷たい石畳に膝をついていた。

 深く傷つき、それでもなおこの地を愛していた僕は、喉の奥に張り付く血の鉄臭さに咽んでいる。

 突きつけられた数十の銃口が、雪明かりを受けて鈍く光っていた。


 兵士たちの背後から、一人の男が歩み出た。

 黒い軍衣の肩に落ちた雪を、銀の粒のように弾かせる。


「……女神の御意だ。俺たちは従う。それだけの話だ」


 男の声には、祈りの残滓と揺るぎない規律が宿っていた。


「慈悲も、度を越せば世界を腐らせる。だから壊す。元に戻すだけだ」


「……慈悲が、世界を腐らせるだと?」


 男は答えなかった。

 ただ静かに、指を折り畳んだ。


 刹那、世界の呼吸が止まる。


 乾いた銃声。

 一発ごとに静寂が裂け、弾丸が僕の胸を、肩を、貫いていく。

 視界が高速で回転し、白と黒が反転した。


 ――音はなかった。


 僕の首は、ゆっくりと雪の上に転がった。


 その瞬間、社が呻き、地の底から黒い泥が噴き出す。

 僕の心臓に封じていた、人に裏切られたという絶望が、黒い影となって暴れ出した。


 絶叫。

 影に呑み込まれる兵士たち。

 転がった僕の視界の中で、世界は瞬く間に屍の山へと変わっていく。


「……やはり、人は変わらない」


 泥に沈む意識の底で、最後に残ったのは、社の冷たい空気でも死の恐怖でもなかった。

  まだ幼い少女が、泥だらけの手で僕の裾を掴み、真っ直ぐに見上げてきた日の記憶だ。


『いつか、私があなたをここから連れ出すわ。……約束よ』


 ――王女アリサ。君だけは、あの言葉を忘れていなかった。


 もし、その言葉が嘘だったなら。

 僕はきっと、もう一度世界を壊してしまうだろう。


 ――この夜の、ほんの数日前。

 まだ名も知れぬ少女が、静かに社への道を歩み始めていた。

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