Re

へのぽん

HER REBIRTH

 この世界には、生の世界と死の世界と、二つの狭間で変幻する世界が横たわていると信じてほしい。


「死ぬことを経験したことは?」

「ある。何度も」


 わたしは十五歳の少女と畳で膝を突き合わせていた。三十五歳独身、自殺未遂の生還者ができることは何だろかと考えた。冷え冷えとする講堂に石油ストーブを焚き、見上げるほどの磔刑像の前、アンナの痩せた腕が動くのを見つめていた。彼女自身でも理由のわからない不登校、社会からはじき出され、自傷行為を繰り返していた。カネのために抱かれることもしたと聞いている。


「誰かに殺される夢を見てる」

「自分ではなくて?」

「うん。卑怯よね。自分で死ぬこともできないくせに……」


 アンナは笑いかけて、唇の端を結んだ。目は潤んでいた。自分は死ぬことすら選べないと呟いた。


「寒っ……」


 襟に毛皮のついたミリタリージャンパを着た青年が濡れ縁の上を小走りに駆け抜けた。この寺の濡れ縁は一枚が大人一人分ほど大きい。


「カケルくん」

「はい?ミスミさん。こんなところで何してるんですか?寒いのに」

「ストーブもあるわ」

「あ、新しい子?」

「あなたには……」

「心はありますよ。三六〇度回ればストレートがいちばんかなと」


 わたしは座布団を持って座るように勧めると、ボサボサ頭のカケルは小さくなって座った。


「カケルくんも聞いて」

「僕が?」

「あなたの力も貸して」

「厄介だな」


 アンナがはっと見つめたので、カケルは少し驚いた。わたしはそんなカケルの仕草に笑みをこらえた。


「な、何?」

「この子、アンナさん。死にたいらしいのよね」

「生きたいと思うことは?」

「交互に」


 カケルはアンナを覗いた。


「今んところないときと、あるときが交互に訪れる」

「人ですからね」


 普通、ここに来た子どもは基本的には二つにわかれる。一つはまったく話さない子。二つはよく話してくれる子。どちらも根っこは同じ。どれくらい相手が自分を許してくれるのか。どれくらい自分が相手を信じていいのか試している。子どもでも大人でも老人でも同じようだ。

 アンナのように穏やかな子どもも心の中は、皆と同じ。他人や社会に迷惑をかける子どもたちと同じく荒れ狂う波もあれば、深海の底のような闇も持っている。

 はけ口がない。彼女は表現する方法を知らない。知っていたのに、いつの間にか奪われていた。もしくは自分で詰まらせた。何をしてもどうにもならないから。誰も救ってはくれない。悪いのは自分だから。


「あれをやれる?」


 わたしが尋ねると、


「気が済むなら」


 カケルは答えた。

 わたしは、


「うれしい。はじめて会ったのがあなたでよかったわ」


 と笑った。デニムの正座を崩すと座布団から転げた。


 痛たたた……。


「情けない」

「カケルくん、準備して……」

「どっちが使われてるんだか使ってるんだか。お付き合いするけどね」


 わたしは膝歩きで磔刑像から離れた。ここは珍しいかもしれないが畳敷きの聖堂だ。なぜかはわからないが、建て方は寺そのものだ。


 カケルは御堂からつながる地下からランプをかざした。私はハシゴを降りた。続けてアンナも降りてきたところで、わたしはカケルにゲンコツを食らわせた。


「仏に仕える方が暴力なんて」

「こんなときにスカートの中覗こうとするからよ」

「しないし。滑りやすいから気をつけてあげてるんだ」

「やさしいのね?わたしはアラフォーだからやさしくないとか?」

「ミスミはやさしいよ」


 アンナは三段目で滑ると、カケルの腕に落ちた。抱き締められたアンナは髪を気にしながら、


「ありがとう」


 と言った。

 

「わたしのときも抱きとめてくれるの?」

「もちろん」


 軽く答えた。

 わたしたちはカケルのランプに続いて、洞窟の奥へと進んだ。


「ここは……」

「お墓ね」


 心なしか警戒心が解けた。


「意外に暖かいでしょ?」

「はい……」

「カケル、どれ?」

「あれだ」


 複数並んだ棺が灯に揺れた。もっと奥にはもっと古いものがある。


「好きなものを選んで」

「わ、わたしが?」

「普通、死者は選べない」

「死にたいんだから。心配しないでいいわよ。釘打つんじゃない」


 隣の棺を開けると、そこには土くれのように乾いた骨が転がる。


「襲われることなんてないわ。何せ死んでるんですもの」

「わ、わたし一人でですか?」

「もちろんあの世にはお手々つないではいけないしね。新しいのは?」

「ここに」


 カケルは蹴飛ばした。アンナは半時間ほど悩みに悩んでいたが、ようやくわたしのことを信じて棺に横たわった。


「毛布もすべて清潔なもの整えてますからね。安心してください」

「あの……」

 

 閉じかけた白木の蓋に、


「他は死体ですか?」

「どうだろうね」


 カケルは、しばらく寝ていてもいいし、起きていてもいいし、自分が傍にいてくれるから出てきたいときに鈴を鳴らすようにとチリンと振って枕のところに置いてみせた。


「これ、睡眠薬。あなたが誰かさんから一シート千円以上で買うみたいだけど、こんなの病院で数百円くらいなのよ。飲んで眠ればいい」

「いらんでしょ」


 わたしは一錠渡すと、彼女は慣れたように水なしで飲みくだした。白い喉が動いて、うつむいた顎に隠れた。カケルのランプの影が揺れる。


「ま、気休めでも」

「ではどうぞアンナ様」


 わたしはうやうやしく言うと、彼女は靴を脱いで棺に入った。


「心配いらないわ。わたしもカケルもここにいるから」


 カケルが棺を閉めた。


「ミスミも入ればどう?隣に準備しておいた」

「こんなことは早いわね」

「釘打つ?」

「……任せるわ。デトックスついでに死体と寝ようかな」

「僕はここで死んだ連中の呟きでも聞くよ。うるさいんだ」


 わたしは暗闇で眠りに就いた。ところどころから入ってくる光が星のように揺らめいて、あの椅子にカケルがいるのだなと安心できる。

 ここは彼の領域だ。


『凄く暑かった』

『君の体温のせいだよ』

『音が響くの』

『鼓動を耳が探してるから』

『わたしは強くなれるかな』

『どうかな。怖くなかった?』

『怖かった』

『強くなる前に、ひとまず君にはくつろげる場所と時間がいる』

『そんなところどこにあるの?家族ともうまくやれないのに』

『家族を信じられないんなら、まったくの他人を信じてみればいい。おカネとかね。疲れたら休めばいい』


 わたしは少し眠っていた。二人の話を聞いていた。カケルのジャンパーの擦れる音が聞こえる。穏やかな話がゆっくりと回るオルゴールのように心地よい。


 わたしは目を覚まし、棺の蓋を開けた。すると無機質にも思えるまっ白な部屋で、ポツンと真ん中に輸血されたアンナがいた。

 人は「臨死体験」と言う。


「カケル……」

「お疲れ様。君はまだこんなことをしているんだね。彼女を返しても幸せになるかわからない」

「少しくらいは何か……」


 カケルは燭台のロウソクを勢いよく吹き消した。


「まいったな。君には諦めてもらおうとしたんだけどな」


 真っ白な部屋が消えた。ろうそくの残り火の前、ベッドに横たわる輸血された少女の姿も薄れて消えた。


『これじゃ、僕への罰だよ。ここまでしつこくつきあわされるとは』

『彼女の新しい人生のお祝いに』

「どうだかね。僕はシンプルに祝う気にはなれないけど?」

『死ぬの?』

『今回は生き延びると思うよ』


 おわり

 

 









 

 




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