学園のカリスマインフルエンサー広瀬ミカが、バイト先で俺にだけ「クレーム(愛の告白)」を入れ続けている件について

いぬがみとうま

学園のカリスマインフルエンサー

 学校という場所は、目に見えない階級制度でできている。

 ピラミッドの頂点に君臨するのは、華やかなオーラを纏った「陽キャ」たち。その最右翼が、広瀬ミカだ。


 SNSのフォロワーは数十万人。歩くだけで風が吹き、微笑むだけで男子の心拍数を跳ね上げるカリスマ。

 対して俺、真田ヒロキは、そのピラミッドの土台にすら入っていない「石ころ」だ。


 毎朝、家の事情で体力を消耗する俺は、休み時間は寝ている。放課後はさっさとバイト。それが俺の平穏な日常だった。


 そんな俺が唯一、ピラミッドの頂点と交わる場所がある。

 バイト先のハンバーガーショップ『バーガークラウン』だ。


 毎週金曜の夜。決まって二十時。

 深々と帽子を被り、大きなマスクで顔を隠した「彼女」が、必ず俺のレジに並ぶ。

 正体は、言わずもがな。学校のカリスマ、広瀬ミカだ。


「はい……これ」


 受け取りカウンターで商品を渡すと、彼女はぶっきらぼうに一枚の紙をトレイに残していく。

 それは店舗へのアンケート、通称「お客様の声」カードだ。

 彼女が去った後、店長が顔をしかめてそのカードを持ってくる。


「真田、またお前宛てだぞ。『クレームの女王』からな」


 手渡されたカードには、殴り書きのような文字でこうあった。


『スマイルが0円の価値もない。不愉快』


 思わず、乾いた笑いが出た。

 一週間前は『キケンな労働時間。見ていて不快』だったし、その前は『ダラダラ接客するな』だった。


 言いたい放題だ。

 学校では一言も交わさないくせに、バイト先では執拗に俺を攻撃してくる。

 俺が何かしたか?

 


 それとも、あの夜のことがバレているのか。




 一ヶ月前。

 デリバリーの帰り、俺は裏路地で絡まれている女子高生を助けた。

 相手は、悪質な投稿で有名な半グレ崩れのインフルエンサー、J――ジェイの一味だった。


 俺はヘルメットを被ったまま、「警察呼んだけど……」と言い放ちJたちを追い払った。


 あの時、怯えていたのが広瀬ミカだった。

 俺はもちろん名乗らなかった。

 だけど、バイト先の制服でバレたのか、体格でバレたのか、声でバレたのか。





「ねえ、真田くん」


 翌週の月曜日。

 教室で死んだように伏せていた俺の耳元で声がした。

 顔を上げると、そこにはクラスの女王様が、意地悪そうな笑みを浮かべて立っていた。


「バーガークラウンの新作、もう食べた? 期間限定の『デビルスパイシーバーガー』。……すっごく辛くて、顔が真っ赤になっちゃうんだって」


 周りの男子たちが、一斉にこちらを睨んでくる。

 広瀬ミカが、クラス一の陰キャに話しかけている。その異常事態に、教室の空気がピリついた。


「……いや、食べてないけど」


「ふーん。バイトなら試食くらいすればいいのに。真田くんって、意外と要領悪いわよね」


 彼女はクスクスと笑いながら、自分の席に戻っていく。


 確信した。


 やっぱり、彼女は俺のバイト先を知っている。

 あの夜、俺が助けたことに気づいていて、それをネタに俺をからかっているんだ。


 最低だ。


 助けてもらったお礼を言うどころか、クレームカードで嫌がらせをして、学校ではマウントを取ってくる。

 ピラミッドの頂点の住人っていうのは、そこまで性格が歪んでいるのか。




 その日の夜。

 バイト中の俺の指には、調理中に作った小さな切り傷があった。

 絆創膏を貼ってレジに立っていると、また「彼女」が現れた。

 いつものように辛辣な態度で注文を済ませ、商品を奪い取るように去っていく。


 その去り際。

 トレイの下に、いつものカードと一緒に、何か小さな箱が置かれていた。

 市販のものとは違う、見るからに高そうな、防水仕様の高級絆創膏の箱だ。


 カードを裏返すと、こう書いてあった。


『ヨく見たら傷がある。商品に血がついたら迷惑だから、これで隠せ』


 ぶっきらぼうな言葉。

 だけど、文字が少しだけ震えているように見えた。

 これは、嫌がらせなのか。


 それとも、別の何かなのか。




 運命が動いたのは、その次の金曜日だった。

 バイトの帰り道、夜の公園の近くを通ると、聞き覚えのある罵声が聞こえた。


「おいミカ、いい加減にコラボしようぜ」


 公園の街灯の下。

 半グレ、J――ジェイとその取り巻きたちが、広瀬ミカを囲んでいた。


「嫌よ。あんたたちみたいな、数字のために人を傷つける奴ら、大嫌い」


 震える声。だけど、そこには明確な嫌悪感があった。


 その瞬間。

 Jが苛立ち紛れに手を振り上げた。

 俺はもう、迷わなかった。


「……そこまでにしておけ」


 ヘルメットを被る余裕すらなかった。

 俺は割って入り、Jの腕を掴む。


 実は、俺の実家は実戦空手の道場を営んでいる。目立ちたくないから敢えて言わないが、俺は実戦空手の高校生の部のグランドチャンピオンだ。

 幼少からの実戦空手で培った俺が本気を出せば、素人なんて相手にはならない。

 すべて一撃で急所を突き、奴らの戦意を瞬時に削ぎ落とす。


 数分後。

 這々の体で逃げ出したJたちを見送り、俺は深く溜息を吐いた。

 隣では、広瀬ミカが顔を真っ赤にして固まっている。


「……大丈夫か、広瀬」


「な、なんで……真田くん、が……」


「助けてもらったお礼に店まで来て、わざわざクレームカードを置いていくような奴を、放っておけるわけないだろ」


 俺はポケットから、これまでのカードの束を取り出した。

 正直、ずっと気になっていたんだ。

 彼女のカードには、不自然な言い回しが多すぎる。

 俺は、彼女の前でカードを並べた。


「これ。日付順に並べると、面白いことがわかるんだ」


 一週目:『スマイルが……』

 二週目:『キケンな労働時間……』

 三週目:『ダラダラするな……』

 四週目:『ヨく見たら……』


 彼女が、息を呑む音が聞こえた。


「縦読み……だろ?」


「……」


「『スキダヨ』。……これ、俺へのクレームじゃなくて、ただの告白だよな?」


 夜の公園に、沈黙が流れる。

 広瀬ミカの顔が、街灯の光以上に赤く染まっていく。

 彼女は両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。


「う、うあああああ! バレたあああ! 死ぬ! 私、今すぐ死ぬから!」


「死ぬなよ。……お前、相当不器用だな」


「うるさい! 恥ずかしくて死にそうだって言ってるでしょ! なんで助けに来ちゃうのよ! もっと好きになっちゃうでしょ! 早くお店に戻りなよ!」


 逆ギレ。だけど、その声は可愛らしく震えていた。

 俺の学校での「石ころ」としての日常が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 ピラミッドの頂点にいるカリスマの正体は、ただの「俺にデレる乙女」だった。




 俺は、しゃがみ込む彼女の前に手を差し出した。


「立てよ。……店長には連絡入れておく。『熱烈なファンレターが届いてて、仕事が手につきません』って」


「や、やめて! 本当に変な人だと思われるでしょ!」


「いいだろ、事実なんだから。……それとも、あれか。俺に毎回『スマイル』を要求したのも、全部本気だったのか?」


 俺はわざと意地悪く、顔を覗き込む。

 彼女は涙目になりながら、俺の手をぎゅっと握り返してきた。


「……当たり前でしょ。あんたのスマイル、私だけの特権なんだから」


「じゃぁ、今度からクレームは俺に直接言いに来いよな」


 それから、俺たちの関係は「逆転」した。




 翌週の月曜日。

 教室で、また俺が寝ようとすると、バタンと大きな音がした。

 広瀬ミカが、俺の机を占領するように座っていた。

 クラス中の男子が絶句している。


「ねえ真田くん! 昨日のクレームの続きなんだけど!」


「……朝からうるさいぞ、広瀬」


「いいじゃない、直接言いに来いって言ったのはあんたでしょ!」


 彼女は満面の笑みで、俺の腕を掴む。

 

「今度の日曜日、シフト入ってないわよね? クレーム言いに行くから。……場所は、遊園地。いいわね?」


「……それはクレームじゃなくて、デートの誘いだろ」


「細かいことは気にしない! ほら、返事は?」


 俺は、やれやれと肩をすくめる。



 平穏な学園生活は、どうやら完全に終わってしまったらしい。

 だけど。

 悪くない気分だ。


 俺は、彼女にだけ見えるように、最高の「0円」スマイルを見せてやった。


「わかったよ。……楽しみにしてる」


 その瞬間、クラス中に響き渡った驚愕の悲鳴と男どもから向けられる殺意。


 俺と広瀬ミカの、騒がしくて甘い「クレーム」だらけの毎日は、まだ始まったばかりだ。


(完)




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