大晦日の前日

妥当性

 大晦日おおみそかの前日のことを、『こつごもり』と言うらしい。漢字で書くと、『小晦日』。大が小になっただけなのに、なぜここまで読み方が変わるのだろうか。不思議だ。

 そんな益体もないことを考えながら、目の前で繰り広げられる争いを見る。一見すると、親戚達が穏やかに食卓を囲み蟹を食しているように見えるが、その水面下での争いは壮絶だ。誰が蟹の爪を食べるのか? 蟹味噌は? 僕は彼らの争いに到底ついていけていなかった。


 なぜかって? だって——蟹の美味しさがわからないんだもん!! 僕は練り物全般が苦手だから、カニカマを食べる機会が少ない。従って、カニカマと本物の蟹の違いがよくわからないのだ。そう考えると、よくできてるよ、カニカマ。少なくとも僕のことは騙せてるし。


 でもなぁ。僕がこの中で一番年下なのもあって、親戚や両親はみんな僕に蟹を薦めてくる。僕は一番細い蟹の脚をちびちびとほじくって食べている。これでもう十分だよ! 蟹はもういいからみんなで食べてよ!

 なのに「ほら、せっかくだからもっと食べなさい」だとか「蟹味噌美味しいよ! 食べてみなよ!」だとか。蟹味噌ってなんだよ! 生臭いだけじゃねぇか!


 もちろん、僕は理解している。僕が少数派だということを。目の前で美味しそうに蟹を食べる親戚たちを見ていれば分かる。みんな、蟹が大好きなのだ。僕は今更言い出せない。「蟹、実はそんなに好きじゃない……」なんて言おうものならきっと白い目を向けられ、廃嫡されてしまうことだろう。「漁師さんの気持ちを知って来い!」と言って蟹工船に乗せられるかもしれない。余談だが、僕は小林多喜二の『蟹工船』を読んだことがあるので、その過酷さは知識として知っている。流石に今はもっと改善されているだろうが、僕みたいな文弱な人間が乗ったらきっと死んでしまう。

 兎に角、僕は蟹の美味しさが分からないのだ。そして、それを口に出すのも今の状況では憚られる。完全に詰んでいるのであった。聞いた話によれば、明日にさらに人が増えて、また蟹を食べるらしい。泣いちゃう。


 せっかくの年末……いや、小晦日こつごもりだ。明日はさらに盛大に年明けを祝うのだろう。僕に逃げ道は残されていないのだった。僕は蟹と向き合うことを決めた。その茹で上がったキュルリンとした目を見つめても、蟹が視線を返してくれることはないが。

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