建設省無用長物管理局

エキセントリカ

建設省無用長物管理局

 建設から半世紀近く経った都市のビル群を、傾いた太陽が琥珀色に染めている。ヒラハラは白髪の混じる短髪をエアカーのシートに預け、静かに目を閉じていた。隣では、しばらくぶりに配属された新人のアラヤがせわしなく端末を操作している。


「先輩、今度の物件は第三居住区画の『無用階段』ですね。写真を見る限り、典型的なやつですよ」


 快活だが、どこか空虚に響く声。ヒラハラは目を開けずに頷いた。「ああ、そうだな」とだけ返す。

 建設省無用長物管理局。それがヒラハラたちの所属する部署の正式名称だ。表向きの任務は、都市開発の過程で偶発的に生じた、用途のない建造物-通称「トマソン」の調査、分類、そして登録管理。市民からすれば、無駄の極みのような部署だろう。事実、新人のアラヤはそう信じて疑わない。


 現場に到着すると、そこには確かに古びたコンクリートの階段だけが所在なげに空へ伸びていた。

「じゃあ、聞き込みしてきます」

 アラヤは気乗りしない様子で、近隣の住民の元へ向かった。ヒラハラは一人、階段の前に屈み込む。コンクリートの質感、風化の具合、基礎部分と地面の接合部。彼の日に焼けた指先が、長年の経験で培われたセンサーのように、構造物の肌をなぞっていく。

 やがて戻ってきたアラヤが、呆れたように報告した。

「やっぱりです。隣のビルを建て替えるとき、このアパートも一緒に解体したらしいんですが、この階段だけ忘れられたみたいです。三軒隣のおばあさんによると、数か月まえからあったそうです。ただのトマソンですね」


 ヒラハラの肩から、微かに力が抜けた。期待が失望に変わる、いままで何度も味わった感覚だった。彼は無言で立ち上がり、計測機器を片付け始める。

「一件落着、ですか。さて、とっとと帰りましょう」

 エアカーに戻る道すがら、アラヤの我慢が限界に達したようだった。

「先輩。失礼を承知で伺いますけど、この仕事って、本当に価値があるものなんですか? 僕、大学ではデータ分析や都市工学の最先端を学んできたつもりです。こんなトマソンの分類作業より、もっとこの星の未来に貢献できることがあるはずじゃ…」

 ヒラハラは、アラヤの疑問ももっともだと思った。しかし…

「…そのうちわかるさ…」

 それだけ答えると、エアカーに乗り込んだ。


 帰路、自動運転に任せたエアカーが、高層ビル群の合間を縫うように進んでいく。アラヤは不満げに窓の外を眺め、ヒラハラは報告書の作成に集中するふりをしていた。その時だった。

 視界の端を、何かがよぎった。

 日常の風景に溶け込んだ、ほんの些細な違和感。

「停めろ!」

 ヒラハラの鋭い声に、アラヤが驚いて顔を上げる。エアカーは即座に路肩に停止した。

「どうしたんですか、先輩?」

 ヒラハラは答えず、車を降りると、先ほど視界に入ったビルを食い入るように見上げていた。地上十五階ほどの高さ。金属パネルで覆われた、つるりとした壁面のちょうど真ん中あたりに、それはあった。

 古めかしい木製の扉が、本来あるべき場所でないそこに存在していた。取っ手も、蝶番も、郵便受けらしき投入口まである。周囲にはバルコニーもなければ、窓枠すらない。ただ、扉だけが虚空に面して存在していた。

「高所無用扉…」

 アラヤもその異様さに気づき、息を呑んだ。

「でも、これもどうせ設計ミスとか…」

「いや、違う」

 ヒラハラの声には、先ほどまでの諦念とは全く違う、確信に満ちた熱がこもっていた。「あのビルの竣工は三年前だ。俺も計画書で確認している。あんなクラシックなデザインの扉を、設計に組み込むはずがない」


 二人は再び調査を開始した。アラヤは戸惑いながらも、ヒラハラのただならぬ気配に押されるように、ビルの管理室や近隣の店舗へと聞き込みに走った。

 しばらくして、血相を変えたアラヤが駆け戻ってきた。

「先輩! 向かいのカフェの店員が言うには、あの壁、昨日の夕方までは間違いなく普通の壁だったそうです!」


 昨日までは何の変哲もなかった高層ビルの壁に、まるで元からそこにあったかのように扉が出現した。

 辻褄が合わない。物理法則を無視している。

 これこそが、無用長物管理局が探し求めるもの。次元の綻びが生み出した、世界のバグ。

「偽トマソン…」

 ヒラハラは呟くと、急いで局に戻るよう指示した。「DVI: 1.2」彼が操作していた計測機器のコンソールにはそう表示されていた。


 自席に戻ったヒラハラは、慣れた手つきで管理局の専用システムを立ち上げ、観測データと証言記録を打ち込んでいった。

 最後に、登録ボタンを押す。


【偽トマソン登録番号: PT-092】

【登録対象: 第七居住区画 ビル壁面 高所無用扉】

【分析結果: 点的干渉型 / TDI: 1.0 x SF: 1.2 => DVI: 1.2】


 そして、画面の右上に表示されていたカウンターの数字が更新された。

【総登録数: 92 / TII: 181.9】


 --


 あれから数週間が過ぎた。偽トマソンの発見報告は、この数日で急増していた。まるで、世界のあちこちで同時に綻びが生じ始めたかのように。そのたびに、ヒラハラとアラヤは現場へ飛んだ。途中で断絶された歩道橋、何の必然性も用途もないトンネル、窓も何もないバルコニー。アラヤは当初の不満を通り越し、もはや一種の諦観と共に、皮肉を口にするのが常となっていた。


「先輩、またガラクタが増えましたね。この星はどれだけ欠陥建築が好きなんですかね」

 調査を終えたエアカーの中で、アラヤはうんざりしたように言った。

「これで99個目ですか。いくら偽トマソンと言ったって、僕らの給料は結局、このDVI、損害変動性指数を測るために払われてるんですね。たしかに、偽トマソンによって生じる損害がどの程度になるかを見積もるのも大事ですが、他にもっとできることがあるんじゃないでしょうか…」

 ヒラハラは黙り込むしかなかった。

 彼は窓の外を流れる都市の風景に目を向け、遠い昔に失われた故郷の空を重ねていた。


 ヒラハラがこの無用長物管理局で働くことになったのは、25年前、あの「転移」の直後のことだった。

 当時27歳のヒラハラは、この地に派遣された優秀な建設技術者の一人だった。二年間の任期を終え、この地の発展に貢献した誇りを胸に、故郷への帰還を二日後に控えていたまさにその日、世界は一変した。

 正体不明の圧迫感とともに世界がきしみ始め、空の色が見たこともない深紫色に染まった。その異変の後、地球とのあらゆる通信が完全に途絶したことを人々が知るのに、そう長くはかからなかった。後にそれは「転移」と呼ばれることになった。


 絶望と混乱が社会を覆う中、一人の科学者が政府に進言した。転移の直前、原因不明の建築物の異常――今でいう「偽トマソン」の目撃証言が多発していたことを突き止め、それが次元の不安定化を示す予兆ではないか、という仮説を立てたのだ。その科学者こそ、無用長物管理局の設立者、初代局長だった。

 彼は、帰る場所を失い、途方に暮れていたヒラハラの元を訪れた。

「君の技術的知識と、これまでの経験が必要だ。我々は、次の転移がいつ来るか正確に予測する必要がある」

 その言葉に、ヒラハラは新たな使命を見出した。それは、初代局長とともに、偽トマソンがこの世界に及ぼす影響を測る指標を定義することだった。偽トマソンの発生を、次元の不安定化を示す明確なデータとして捉え、その累積値が閾値に達した時に転移が起こるという仮説。その観測と証明こそが、ヒラハラが無用長物管理局で働き続ける理由だった。


「――先輩? 聞いてます?」

 アラヤの声で、ヒラハラは長い回想から引き戻された。

「ああ、聞いている。報告書、頼むぞ」

「はいはい、やりますよ。どうせコピペで済むような内容ですけど」

 アラヤが不貞腐れて端末を操作し始めた、その時だった。局の共有回線から、けたたましいアラート音が鳴り響いた。携帯端末の画面に、緊急通知がポップアップ表示される。


【新規偽トマソン 受理】

【偽トマソン登録番号: PT-100】

【登録対象: 第二自然公園 新富士見が丘 純粋ロープウェイ】

【分析結果: 複合干渉型 / TDI: 1.5 x SF: 1.6 => DVI: 2.4】


 画面の右上に表示されていたカウンターの数字が、ついに一つの値に到達した。


【総登録数: 100 / TII: 200.2】


 別班からの報告だった。その数字を見た瞬間、ヒラハラの背筋に、緊張と覚悟が電流のように走った。

「局に戻るぞ。急げ」

「え、でも定時ですし…って、うわっ!」

 ヒラハラの有無を言わさぬ指示で、エアカーは最大速度で管理局へと向かった。


 局内は、表向きの静けさとは裏腹に、張り詰めた空気が支配していた。誰もが口には出さないが、カウンターの「100」という数字、いや正確にはTIIが200を超えたという意味を、幹部職員たちは理解していた。

 ヒラハラが自席に着くと、すぐに内線が鳴った。クリス局長からだった。

「ヒラハラ主任、局長室へ」


 局長室に入ると、クリス局長が厳しい顔でモニターを見つめていた。

「いよいよね。TIIの推定閾値、260まであと60よ」

 第二世代で、この地で生まれ育ったクリスにとって、「帰還」はあくまで行政目標であり、歴史的責務だ。だが、その声には確かな重みがあった。

「ええ。ここまでくれば時間の問題でしょう…」

「そろそろ準備を始めた方がよさそうね」

 クリスはそう呟くと、不意に話題を変えた。

「アラヤ君のことだけど…彼にももう話していい頃かと思うけど」

「そうですね。最近の報告件数は増加傾向にありますし、DVIが2を超えるものも増えています。あいつにはますます協力してもらわなければ…」

 ヒラハラがそう答えると、クリスは内線でアラヤを局長室に呼び出した。


 数分後、アラヤが恐る恐る入室してきた。自分が何か大きなヘマをやらかし、そのために呼び出されたのだと思い込んでいる顔だった。

「アラヤ君、あなたに話しておくべきことがあります。さ、座って」

 クリスは普段と変わらぬ冷静な口調で促した。アラヤが緊張した面持ちで椅子に腰掛ける。

「あなたが、この仕事に価値を見いだせていないことは知っています」

「…はあ」

 話がどこに転がるかわからず、アラヤは曖昧に返事をする。

 クリスは、おもむろに壁面のスクリーンにいくつかの古い記録文書を映し出した。転移直後の、混乱を極めた市街の写真だった。

「無用長物管理局の本当の目的を話しましょう。いたずらに期待を持たせてはいけないという判断から、いままで、特にあなたのような新人職員には伏せられていた事実です」

 クリスはそこでいったん言葉を切り、覚悟を決めたまなざしでアラヤを見つめた。

「ところで、DVIとは何の略だったかしら?」

 不意にテスト問題のような質問を投げかけられたアラヤは、一瞬戸惑ったのちに答えた。

「Damage Volatility Index、つまり、損害変動性指数です」

「そう教えられたわよね。でも本当は、Dimensional Vulnerability Index、次元脆弱性指数が正解」

「…え?」

「偽トマソンが1つ出現するたびにこの世界の位相不安定性が増すと考えられているの。その増加率がDVI、偽トマソンの位相的破壊度とスケール係数、簡単に言うと形状と大きさで計算されるわ」

 アラヤの思考が停止した。まるで出来の悪いSFドラマの設定のようだ。

「25年前に元の次元から切り離されたこの惑星ニューテラが、再び故郷へと帰還する、その時期を測るために考えられたのが位相不安定指数、TII。TIIが260を超えると次元転移が起こると予測されているの。そして現在の値は200.2」

 アラヤは呆然とクリスとヒラハラの顔を交互に見た。冗談だと言ってほしかった。だが、二人の目は氷のように真剣だった。

「私たちは偽トマソンを調査しDVIを計測することで次の次元転移の時期を予測する。それが、この局の設立理由であり、存在意義」

 自分が毎日、価値が見いだせないとこき下ろしていた仕事。その一つ一つの報告が、この惑星の人々の運命を左右するデータだったというのか。

 アラヤは言葉を発することができなかった。ただ、局長室のディスプレイに映し出された数字を震える目で見つめていた。

 それはもはや、無意味なガラクタの数ではなかった。帰還という希望へのカウントダウンだった。


 --


 アラヤが真実を知った数日後、局長室に設置された政府直通のホットラインがけたたましい呼び出し音を発した。局内の誰もが息を呑み、その音の行く末を見守った。

 数分後、厳しい表情で局長室から出てきたクリスは、幹部職員を集めると、短く、しかし重い言葉を告げた。

「たった今、植民政府より通達がありました。明日の午後、緊急記者会見を開きます。私たち無用長物管理局が、その真の任務と、近く発生が予測される次元転移の可能性について、全住民に公表せよ、と」

 しん、と静まり返ったフロアに、クリスの声だけが響き渡る。

「位相不安定指数が閾値と定めた260に達する前に、住民に準備期間を与えるための政府の最終判断です。私たちの25年間の秘密は、明日をもって終わりを告げます」


 会見場となった政府庁舎のホールは、報道陣の熱気と無数のフラッシュで埋め尽くされていた。誰もが、この異例の緊急会見の意図を測りかね、ざわめきが波のように広がっている。ヒラハラは、クリス局長や数名の技術スタッフと共に、壇上の隅に控えていた。すぐ近くでは、アラヤが固唾を飲んでステージを見つめている。

 やがて、クリス局長が静かに演台へと進み出た。深呼吸を一つすると、マイクに向かって語り始めた。

「建設省無用長物管理局、局長のクリスです。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 その冷静な声に、会場のざわめきが少しだけ収まる。

「私たち無用長物管理局が、市民の皆様から長年、『税金の無駄』、あるいは『無用の長物そのもの』と揶揄されてきたことは、重々承知しております」

 自嘲ともとれる言葉に、記者席から失笑が漏れた。だが、クリスは構わずに続けた。

「しかし、本日、その『無用長物』こそが、この惑星ニューテラに住む人びとの、唯一の希望であったことをお伝えするために、私はこの場に立っています」


 クリスは、無用長物管理局が25年前の転移直後に設立された経緯、そしてその真の目的が、惑星を覆う次元の不安定化を示す兆候――彼らが『偽トマソン』と呼ぶ異常建造物の監視にあることを、一つ一つ丁寧に説明していった。

 会場の空気は、困惑から驚愕へと変わっていく。自分たちがジョークの対象にしていた官僚組織が、実は惑星住民の運命を左右する観測を、四半世紀にもわたって秘密裏に続けていたというのだ。


「そして今、その観測データが、重大な転機を示しています」

 クリスは手元のスイッチを押した。背後の巨大スクリーンに、アラヤが作成したばかりのグラフが表示される。赤い点が、ゆっくりとした曲線を描きながら、最後の数ヶ月で急激に天を突くように跳ね上がっている。

「偽トマソンの発生による位相不安定指数は、昨日、220に達しました。そして、転移の閾値は260。この増加ペースから算出される予測は…」

 クリスは一度言葉を切り、会場の全ての人々の目を見据えて、宣告した。

「早ければ二ヶ月後、遅くとも三ヶ月以内に、この惑星ニューテラは、二度目の転移を経験する可能性が極めて高い、というものです。それは、25年前に失われた故郷――地球のある元の次元への、帰還を意味します」


 --


 クリス局長の記者会見から、二ヶ月が過ぎた。

 ニューテラの社会は、まるで巨大な船が急に進路を変えたかのように、大きく、そしてゆっくりと軋みながら、来るべき「帰還」へと舵を切っていた。


 建設省無用長物管理局は、その様相を一変させていた。かつては埃っぽい書類と退屈な空気が満ちていたフロアからパーティションは取り払われ、惑星全土のセンサーとリンクした巨大なホログラムモニターがいくつも浮かぶ、さながら宇宙艦のブリッジのような指令本部へと変貌を遂げていた。表向きのトマソン登録業務は完全に停止され、職員たちは24時間体制で転移の兆候を監視するオペレーターとなっていた。


【総登録数: 123 / TII: 246.8】


 メインスクリーンに表示された数字は、市民の期待と不安を煽るように、着実にその数を増やしていた。設立者の仮説した閾値、260まであと13.2。


「先輩、更新したデータです」

 アラヤが、目の下に濃い隈を作りながらも、その声に確かな熱を帯びてヒラハラの元へやってきた。

「最新のシミュレーションによると、偽トマソンの発生密度が最も高まっているのは、第三居住区画と第五工業地帯を結ぶ区域です。おそらく、次の『物件』が出るとしたら、このあたりかと」

「ご苦労」

 ヒラハラはアラヤが差し出す端末のデータに目を通しながら、労いの言葉をかけた。

「昔のお前が見たら、今の自分に驚くだろうな」

 その言葉に、アラヤは一瞬きょとんとした後、照れくさそうに頭を掻いた。

「本当に。税金の無駄どころか、この星で一番重要な仕事ですよ、これ。この仕事は、ただガラクタの数を数えるだけじゃない、希望を数える仕事だったんですね」

 その言葉に、ヒラハラは何も言わず、ただ静かに頷いた。


 人々の空気は、希望と不安がまだらに混じり合った奇妙な興奮に包まれていた。

 街角の大型ビジョンでは、地球文化を特集する番組が四六時中流され、若者たちは25年前の音楽やファッションを新鮮なものとして消費し、祝祭ムードに浮かれている。レストランでは「地球風復刻メニュー」が人気を博し、誰もが帰還後の生活に夢を馳せていた。


 だが、その熱狂の影には、深い戸惑いも広がっていた。

「元の次元に戻ったって、結局、俺たちの居場所はここにしかないんじゃないか?」

 バーカウンターで、第二世代の男たちがグラスを傾けながら呟く。彼らにとって故郷とは、生まれ育ったこのニューテラに他ならない。

 テレビの討論番組では、転移の経験者である老人が、静かに、しかし力強く語っていた。

「25年という歳月は、地球にとっても我々にとっても、あまりに長い。地球は、我々のことなど忘れてしまったかもしれない。それを覚悟せねばなりません」

 地球の人々が帰還を暖かく迎えてくれる保証など、どこにもないのではないか。その漠然とした不安が、ニューテラで生まれ育った世代にも、地球を知る世代にも、共通の影を落としていた。


 すべての準備が、一つの瞬間に向けて収束していく。

 その日、管理局の指令本部に、立て続けに3件の偽トマソン発見報告が舞い込んだ。地下鉄のホームに出現した、行き先のない改札口。公園の中にたたずむ、乗り場と箱だけのエレベータ。そして、山の中に忽然と現れた、電線の繋がっていない鉄塔。


【総登録数: 127 / DVI: 1.3 / TII: 250.2】


【総登録数: 128 / DVI: 2.2 / TII: 252.4】


【総登録数: 129 / DVI: 3.0 / TII: 255.4】


 数字が更新されるたびに、指令本部の空気が張り詰めていく。誰もが息を殺し、メインスクリーンを凝視していた。

 しん、と静まり返ったフロアに響くのは、冷却ファンの低い唸りと、誰かが固唾を飲む音だけだ。あと少しで25年越しの予言が成就する。


 その張り詰めた空気の中を、一人の初老の男性が静かに入ってきた。ニューテラ植民政府代表、カセガワその人だった。真っ白になった髪を自然に流し、穏やかな物腰とは裏腹に、その佇まいには揺るぎない威厳が共存している。彼の顔には、この星の人びとの運命を背負う者の苦悩と、かすかな期待が深く刻まれていた。

 カセガワは、オペレーターたちの邪魔にならぬよう、指令本部の隅で観測状況を見守っていたクリスの元へ歩み寄った。

「クリス局長、いよいよだな。やっと帰れるのだな」

 その声は、長年戦い抜いた者の声だった。クリスが、静かに、確信を込めて答える。

「データが、そう示しています。私たちは設立者であるあなたの仮説と、25年間の観測記録を信じるのみです」

 ヒラハラもまた、コンソールから顔を上げ、代表に向き直った。

「私たちが定めた指標が、いま、真の意味を持つのです」

 その言葉が、最後の引き金を引いたかのようだった。


「来ましたッ!」

 指令本部の静寂を、アラヤの声が切り裂いた。誰もが彼のデスクに視線を集中する。

「第五工業地帯の旧廃棄区画!センサーが異常な空間歪曲を同時に3箇所で検知!映像、出します!」

 メインスクリーンが分割され、3つのドローンカメラの映像が映し出された。壁面で行き止まりになった階段。奥が塗り固められ中に入れないシャッター。空き地に佇む役目のない橋――。

「偽トマソン発生!3件同時!TIIは…!」

 アラヤが震える声で叫んだ。


【総登録数: 132 / TII: 261.0】


 カウンターの数字が書き換わった、その瞬間だった。

 世界が、身悶えるように軋んだ。

「ぐっ…!」

 ヒラハラは、25年ぶりにあの感覚に襲われた。目に見えない巨大な何かが、惑星そのものを握り潰さんとするような、強烈な空気の圧迫感。指令本部の照明が激しく明滅し、ホログラムモニターにノイズが走る。

「重力子センサー、全域で振り切れました!」

「空間位相、相転移開始!」

 窓の外の風景が、まるで熱せられた陽炎のように揺らめき、ビル群の輪郭が滲んでいく。空の色が、見覚えのある深紫色に染まっていく。

 ヒラハラはメインスクリーンに映し出された、惑星軌道上の観測衛星からの映像に釘付けになった。星空が、砂嵐のように乱れる。そして、ノイズの向こうから、全く別の星々が姿を現し始めた。それは、ヒラハラが若き日に見上げ、25年間、夢に見続けた星空だった。

「星図…再構築完了…。座標照合…間違いありません…我々は、帰ってきました!」

 オペレーターの報告は、歓喜よりも驚愕に満ちていた。

 やがて、世界の軋みは嘘のように収まり、指令本部に再び静寂が戻ってきた。誰もが、何が起きたのかを理解できず、呆然と立ち尽くしている。


 その沈黙を破ったのは、通信セクションからの、ほとんど悲鳴に近い声だった。

「し、信号を受信しました!パターン照合…これは…地球連邦規格です!」

 その言葉に、凍りついていた空気が一気に解け、爆発的な歓声がフロアを揺るがした。抱き合い、涙を流し、天井を仰ぐ者たち。25年間の孤独な任務が、報われた瞬間だった。

 やがて、ノイズの中から、澄んだ人間の声が紡ぎ出され、指令本部のスピーカーから響き渡った。


『こちら地球連邦宇宙局所属、探査艦スターゲイザー。ニューテラ、応答してください』


 歓声が、ぴたりと止んだ。誰もが息を呑み、スピーカーから流れる奇跡の音に耳を澄ませた。本当に、地球は、自分たちを待っていてくれたのか。

 クリス局長が、震えるカセガワ代表の手を取り、そっとメインコンソールのマイクを差し出した。

「代表、どうぞ」

 カセガワはこくりと頷くと、マイクを握りしめた。深く、深く息を吸い込む。


「こちらニューテラ。植民政府代表の、カセガワです」


 その震える声は、25年という歳月の重みを全て内包していた。

 スピーカーの向こうで、しばしの沈黙が流れた。それは、永遠にも感じられる時間だった。やがて、ノイズの向こうから、温かく、そして慈しみに満ちた声が返ってきた。


『カセガワ代表。スターゲイザー艦長のリヴィア・マルコフです。地球連邦政府に代わり、皆さまのご帰還を歓迎いたします』


 ……


『おかえりなさい!』


 <終>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

建設省無用長物管理局 エキセントリカ @celano42

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画