ウチの村、限界集落すぎて神様(あたし)しかいない件 ~さよなら水没予定地、ラスト配信はじめるよ!~

宮城 マコ

土地神ギャルと、透き通る指先のパノラマ

第1話 限界集落のギャルは、水底でもWi-Fiを夢見るか?

 七月の陽射しが、埃をかぶった窓ガラスを容赦なく焼き尽くしていた。

 あー、ダルい。マジでダルい。

 教室の気温はたぶん体感で五百度くらいある。エアコン?そんな文明の利器がこの「御言みこと村」の分校にあるわけがない。あるのは首を振るたびにガタピシと悲鳴を上げる年代物の扇風機と窓の外で狂ったように鳴き叫ぶ蝉の声だけ。


 黒板の前では、定年間近の数学教師・田中先生が、チョークの粉を撒き散らしながら何かの数式を解きながら説明している。まるで念仏のように眠気を誘う周波数は、もはや音響兵器と言っていい。


「――えー、では次は。坂本」

 田中先生の掠れた声が、チョークを置く音と共に響いた。

 返事はない。

 先生は白髪交じりの眉を寄せ、教卓の上の出席簿に視線を落とすことなく、再び名を呼んだ。

「坂本。……いないのか? 坂本」

 教室に沈黙が落ちる。

 窓の外の蝉時雨だけが、やけに騒々しく耳を打つ。


 俺は溜息を一つついて、シャーペンの尻で机を軽く叩いた。

「先生。坂本なら先週、引っ越しました」

「……あ?」

「転校です。」

「ああ……そうだったか。そうだったな」

 先生は力なく頷き、チョークで汚れた手で頭をかいた。

 俺の二つ前の席。そこにはもう、机も椅子もない。床に残った四角い埃の跡だけが、つい先日までそこに「坂本」というクラスメイトが存在していたことを証明している。


 この教室は、今や巨大な砂時計だ。

 サラサラと音もなく、確実に中身が零れ落ちていく。残っているのは、俺、社 湊やしろ みなとを含めて二人だけ。

 もう一人の生徒――俺の席の隣に座っている金髪の生き物は、さっきから授業など聞かずに、ルーズリーフに熱心に何かを書き込んでいる。


 カサ、と乾いた音がして、小さく折り畳まれた紙片が俺の机に飛んできた。

 俺は先生にバレないように視線だけを動かし、その紙を開く。お世辞にもきれいとは言えない、毒々しいほどにポップな筆跡。


『ねえ湊、超重要もんだい発生』

 俺は小さく溜息をつき、返事を書く。

『なんだよ。またネイルが欠けたとかか?』

 投げ返す。即座に返信が来る。

『ちがうし!もっと危機的なやつ!あのさー、ここダムの底になるじゃん?』

『あと三ヶ月でな』

『そしたらさ、Wi-Fiってどうなんの?水中でも電波って飛ぶん?』

 俺は思わず天を仰ぎそうになった。

 こいつの脳内には、脳みその代わりにタピオカでも詰まっているんだろうか。

『飛ぶわけないだろ。水没してルーターが潰れるし、そもそも電波は水に弱いだろ?』

『はあ!? マジで!?』

 隣でガタッ、と椅子が鳴った。


 横目で盗み見ると、神凪かんなぎ アゲハが、この世の終わりみたいな顔をして口を押さえている。

 金髪のロングヘアに、制服のリボンは規定より緩め。耳にはピアス、指先にはド派手なネイル。限界集落の分校になぜというその出で立ちは、渋谷のセンター街から誤配送されてきたような見た目だ。


 アゲハは震える手で、猛烈な勢いで返事を書き殴り、投げつけてきた。

『じゃあウチ、水没したらネトフリ見れないってこと!? 韓ドラの続きどーすんの!? 新作コスメの動画は!?』

『見れないな。諦めろ』

『ありえない! 死ぬ! ネットがないとか酸素がないのと一緒だし!』

『退去したら街に住むんだから、ネットはあるだろ』

『ちがうの! ウチはこの村(ここ)で、最強のネット環境を構築したいの!』

 意味がわからない。

 アゲハは机に突っ伏し、わなわなと肩を震わせている。かと思えば、バッと顔を上げ、先生に見つからないギリギリの声量で俺に囁いた。

「ねえ湊! ウーバーは!? ウーバーイーツは潜水艇とかで来てくんないかな!?」

「来るかよ。そもそも、今だって来てねえだろ」

「うっそだろ……。水没したらピザも頼めない、ネトフリも見れない……そんなん地獄じゃん」

 アゲハは絶望に満ちた瞳で、教室の天井を見上げた。


「決めた。工事中止」

「は?」

「ダム建設反対! ウチの快適な環境を守るために、この村は沈めさせない!」

「お前、動機が不純すぎるだろ……」

 俺は呆れてツッコミを入れたが、アゲハは聞いていなかった。

 彼女はルーズリーフの新しいページをめくると、今度は『打倒ダム! 最強作戦会議』というタイトルを、蛍光ピンクのペンで書きなぐり始めた。


「……ったく」

 俺は窓の外を見る。

 山の緑は濃く、空は馬鹿みたいに青い。

 眼下には、古びた瓦屋根の家々が点在しているが、今はそのほとんどが空き家になってしまった。

 御言村。

 かつては林業で栄えたらしいが、今はダム建設予定地として、地図から消えかかっている場所。

 住民の退去期限まで、あと三ヶ月。

 この教室にいる「最後の若者」である俺たちも、夏が終わればここを出て行くことになる。


 ――はず、だった。

 普通なら。


 俺はちらりと、隣で猛烈にペンを走らせているアゲハを見た。

 陽の光を浴びて、彼女の金髪が透き通るように輝いている。その輪郭が、強い光のせいか、一瞬だけ陽炎のように揺らいで見えた。

 俺は無意識に、持っていたシャーペンを強く握りしめる。

「……ちゃんと、いろよ」

 誰にも聞こえない声で、俺は呟いた。

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2025年12月31日 22:30

ウチの村、限界集落すぎて神様(あたし)しかいない件 ~さよなら水没予定地、ラスト配信はじめるよ!~ 宮城 マコ @maco-kun

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