助手席は妻の場所

烏川 ハル

助手席は妻の場所

   

 コンクリート剥き出しの灰色に囲まれた地下駐車場。

 こことは別に、来客用は地上に用意されている。こちらはあくまでも社員向けだから、殺風景でも構わないのだろう。

 エレベーターを地階で降りて、自分の車へと歩き出した途端、スマホが鳴る。

 友人の吉田からの電話だった。

「もしもし、高山? 今、時間大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。ちょうど仕事が終わり、帰ろうとしてたところさ」

 俺がいつも定時上がりなのは、彼も知っているはず。吉田のことだから「大丈夫」とわかった上で、かけてきたのだろう。それでも一応「大丈夫か?」と尋ねる、それが吉田という男だった。


「そうか、それは良かった。それで、このあとは? 今晩も暇か?」

「ああ、前にも言った通りな」

 苦笑じみた声で返事する。

 吉田も含めて友人知人には、既に「妻は荷物をまとめて、実家へ帰ってしまった」と言ってあった。「まだ若いんだし、独身に戻るのも悪くないさ」と慰めてくれる者もいたが、吉田は気休めの言葉ではなく、一言「そうか」と呟くだけだったのを覚えている。

 今頃になって「気分転換の意味で飲もう」みたいな誘いだろうか? いや吉田は俺と違って、忙しい仕事に就いているし、特に今の時期は大変らしい。ならば……。


「高山に予定がないなら、ちょっと頼みたいことがあるんだが……。いいかな?」

「ああ、もちろん。俺に出来ることなら何でも、遠慮なく言ってくれ!」

「それじゃ、お言葉に甘えて。今夜、俺の代わりに……」

   

――――――――――――

   

 吉田の電話から二時間後。

 駅前のファミレスの裏手に、俺は車を停めていた。

 手頃な値段でイタリアンが食べられるという、庶民的な飲食店だ。表側は当然、駅前の広場や大通りに面しているが、従業員用の出入口は、寂しい裏通りに面しているらしい。

 表通りとは異なり、街灯の一本すら立っていない。建物の窓から漏れる灯りに照らされるだけで、かなり薄暗い場所になっていた。


「なるほど、これでは若い女の子の一人歩きは危険だな。送り迎えが必要なわけだ」

 独り言を口にしながら、運転席の窓を開ける。

 ファミレスの裏口に向かって手を振ると、半ば身を隠すようにして軒先に立っていた女性が、ぺこりと軽くお辞儀してから、こちらに駆け寄ってきた。

「こんばんは。高山さん……ですよね?」

「うん、覚えててくれて良かった。本当に久しぶりだねえ、雅美まさみちゃん」

 彼女は吉田の妹で、確か七つか八つくらい歳が離れていたはず。

 俺も高校時代までは頻繁に吉田の家へ遊びに行っていたから、兄の同級生として、俺のことは記憶に残っていたようだ。


 緑色のシュシュで長い黒髪をまとめたポニーテールに、鼻筋の通った面長な顔立ち。スレンダーな体型が着込むのは、フリルの付いたカジュアルなベージュのワンピース。

 すっかり一人前の、素敵な女性だった。俺にしてみれば、最後に見かけたのは彼女がまだ小学生の頃だから、その変わりように驚くほどだ。それでも一応、昔の面影も少しは残っているし、彼女が吉田の妹なのは間違いなかった。


「なんだか兄が無理を言ったみたいで、ごめんなさい。でも、ありがとうございます。おかげで助かります」

「いや、たいしたことじゃないし……」

 電話で吉田から頼まれたのは、彼女を家まで送ること。

 彼女はこのファミレスでバイトしているが、夜の一人歩きは危ないと言われて、バイトの先輩に車で送ってもらう習慣だった。同じ時間に上がる先輩がいない場合は、わざわざ吉田が迎えに来る手筈になっていて、今日もそのつもりだったのに……。

 吉田の仕事が忙しくて、それが無理になった。そこでピンチヒッターとして、俺に白羽の矢が立ったのだ。


「……それじゃ、乗ってくれ」

 彼女は俺の言葉に頷くと、運転席の窓から車内を一瞥。俺の体越しに、ちらりと助手席にも目をやり、改めて小さく頭を下げる。

 自分が座るシートに対する挨拶だろうか。礼儀正しいを通り越して、丁寧が過ぎるくらいだ。とはいえ慇懃無礼というほどでもないから、気に障るような仕草ではなかった。

 そんなことを考えて、俺が心の中で軽く笑っていると……。

 助手席に乗ろうと反対側へ回り込む代わりに、彼女は手近な後部座席のドアを開けて、そこから乗車。ちょうど俺の真後ろに座り込むのだった。


「……?」

 口には出さないものの、俺は少し困惑する。

 友人であれ何であれ、二人きりで一緒に乗るくらい親しい間柄であれば、運転席と助手席みたいに並んで座るのが普通。それが俺の感覚だったからだ。

 まさか、俺は雅美まさみちゃんに嫌われているのだろうか。あるいは、彼女は異性に対する警戒心が強く、男が運転する車の助手席には座らないというポリシー? なまじ先輩バイトの車に乗る機会が多いせいで、そんな習性が身についたのか?

 ついつい考えてしまうけれど、俺は小さく頭を横に振る。どうせ歳の離れた若い女の子のやることだし、気にしても仕方ないだろう。

 そう割り切って、車を出発させるのだった。

   

――――――――――――

   

 十五分くらい車を走らせると、赤茶色の八階建てマンションが見えてくる。赤レンガの外壁が特徴的な、重厚な雰囲気の建物だ。

 吉田の家は、このマンションの五階にあった。いや「吉田の家は」よりも「吉田の実家は」という言い方の方が正確だろうか。彼自身は現在ここではなく、会社の社員寮に住んでいるのだから。

 いずれにせよ、妹の雅美まさみちゃんは高校生だから、まだ実家で暮らしているのだ。


 結局ここまで来る間、彼女は俺の車の中で、ずっと無言だった。

 先ほどの「もしかして嫌われているのでは」という心配が強くなり、こちらから話しかけるのも躊躇ためらってしまう。

 マンションの前で車を停めた時には、さすがに彼女も口を開いて、

「ありがとうございました」

 と一言、改めて礼を述べたが……。

 バックミラーで確認すると、彼女は頭を下げながらも、俺とは目を合わせていない。むしろ助手席の方に視線が向けられているくらいだった。


 車から降りた彼女は、マンションへと駆け寄り、急いで建物の中へ入っていく。

 そこまでは責任を持って見届けてから、俺は再び車を走り出させた。

「何だったんだ、雅美まさみちゃんのあの態度は……」

 と、もやもやした想いを口に出しながら。

   

――――――――――――

   

「昨日は悪かったな。だけど助かったよ、ありがとう」

 次に吉田から電話がかかってきたのは、翌日の夜遅くだった。

 俺はとっくに帰宅して、部屋で一人孤独に食事を済ませたあと。おそらく吉田の方は、ようやく仕事が終わったばかりというタイミングだろう。

 発言そのものは、いつもの吉田らしく気さくな感じだったが、口調は少しおかしい。なんだか恐縮しているようにも聞こえる声だった。

「いや、気にしないでくれよ。たいしたことじゃないし、ほら、俺とお前の仲だろう?」

「そうだな。だけど『俺とお前の仲』って言うなら……」

 冗談じみた俺の言い方に、吉田の口調も柔らかくなる。

「……水臭いじゃないか、高山。嫁さんと仲直りしたんだったら、先に言っておいてくれよ」


 思わず「えっ?」と叫びそうになるが、心の中だけに留めた。

 ここで迂闊に、大きく反応してはならない。そう本能的に察したからだ。


「『今晩暇か?』って尋ねても『前にも言った通り』って答えたから、てっきり逃げられたままかと思ったし、それなら時間あるだろうと思って、お前に頼んだのに……」

 俺が黙っているのを「話の腰を折らないようにしている」とか「話に水を向けている」とか解釈したらしい。

 吉田は勝手に、説明を続けてくれた。

「……わざわざ乗せてきて、見せつけることで、仲直りした報告か? でも雅美まさみは彼女とほとんど面識ないから、何を話したらいいかもわからず、ちょっと気まずかったらしく……。しかも嫁さんの方からも、全く雅美まさみに話しかけなかったって? だから雅美まさみ、ずっと黙ったままで……」


 ああ、なるほど。

 なおも吉田は何か言っているが、俺はそれを聞き流し、頭の中で自分の理解を反芻していた。

 昨晩の雅美まさみちゃんの態度。その謎が、ようやく解けたのだ。

 どうやら彼女には、助手席に俺の妻が座っているように見えていたらしい。

 俺には全く感じ取れない存在だが……。

 本当に助手席に憑いているのであれば、死体が埋められたところではなく、殺された瞬間の場所に括り付けられるものなのだろうか。

 地縛霊というやつは。




(「助手席は妻の場所」完)

   

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