ある王国にて

NEO

第1話 ある日、森の中

 王歴二百九十一年一の月一日。

 今日は私の誕生日。もう二十三才です。

 そんな記念日に、私は相棒のフランソアと共に、王都近郊の森にきていました。

「姫、そちらにいきましたよ」

 背の丈を超えるほどの大剣を振りながら、フランソワが鋭く声を飛ばしてきました。

「はい、分かっています」

 私はフランソワが討ち逃したゴブリンを、私は素手で殴って黙らせました。

「フランソワ、城の外では姫は禁止と言ったでしょう。バレたら大変です」

 私は苦笑しました。

 そう、私はこのウィーン王国の第三王女です。

 王位継承順位は持っていますが三位。実害がないので、心ない者からの横やりは滅多に入りません。

「もう公然の秘密ですよ。今さらなにを仰っているのですか」

 ゴブリンの群れを剣で斬り払いながら、フランソアが笑いました。

「そんな事はありません。私は『鮮血のエレナ』です」

 私は笑いました。

「ご自覚がないのが問題なのですがね。いいでしょう。今はこのゴブリン共を…」

 フランソアの楽しみは、王都周辺に大量に巣くっている、ゴブリンの討伐です。

 今日は私の誕生日という事もあり、城では盛大なパーティが催されていますが、肝心の主役はフランソワの願いで、森でゴブリンの血飛沫を浴びていました。

「全く、本当に好きですね。お父様が悲しみます」

 私は小さく笑いました。

「それも今さらですよ。全く、この姫は自覚がなさ過ぎます」

 自分からこっそり城外に連れ出しておいて、フランソアはいつもこれです。

「それは猛省します。では、仕上げにかかりましょう」

 私は手にしていた杖を構え、『力ある言葉』。すなわち、呪文を唱えました。

 私の特技は魔法です。今回は、ゴーレム召喚の魔法を使いました。

 下手に火炎など使ってしまったら、森が大火災になってしまいます。

「…あら、おかしいですね」

 呪文は唱え終わりました。魔法陣が虚空に現れ、バチバチと派手に放電現象を起こしていました。

「姫、なにをボケッとしているんですか。まとめて行きますよ」

 フランソアの声で、私は我に返りました。

「失敗にしてはおかしな現象ですね。まあ、いいでしょう。魔法がダメなら殴りましょう」

 私は笑って、向かいくるゴブリン数体を片っ端から殴り飛ばし、地面に倒した瞬間に蹴りをたたき込みました。

 その間にフランソアが剣をビシバシ振ってゴブリンたちは、ほどなく根絶やしにされました。

「この程度では満足できません。エレナ様、奥に進みましょう」

 フランソワが笑顔を浮かべました。

「分かりました。それにしても、この中途半端に発動させてしまった魔法をどうしましょうか。放置して去るわけにはいきませんし」

 私は虚空でバチバチ放電のようなものを続ける、中途半端な魔法陣をどうしようか考えました。

「どうされましたか。エレナ様が失敗など、そうそうないと思いますが」

 フランソワが心配そうに問いかけてきました。

「うーん、こういう失敗は初めてですね。空間転移が中途半端に発動しているので、とにかく閉じる必要があります。キャンセルしてみましょうか」

 私はその魔法陣に右手をかざし、呪文を唱えた。

 瞬間、バヂッと凄まじい反発が起こり、私は吹き飛ばされてしまいました。

 地面に叩き付けられて痛みが走りましたが、それどころではありません。

 暴走した魔法陣はいきなり巨大化し、激しい空間の乱れがはじまりました。

「フランソア、危険です。離れて」

 私は慌てて声を上げました。

 フランソワは魔法陣と十分な距離を開け、油断なく剣を構えました。

 そのまま数秒経ち、空間の乱れが最大級に巻き起こり、真っ白な光に包まれた人間らしき姿を残し、なに事もなかったかのように収まりました。

「あれ、ここはどこ?」

 なにか武道でもやっているのか、黒と白の胴着のようなものを来て、手にはロングボウを持った少女が立っていました。

 言葉は通じるようですが、イントネーションが微妙に違うので、なにか違和感を感じます。

「これは申し訳ありません。私はこの国の第三王女エレナ・ハズ・ウィーンと申し上げます。お嬢さんはどちらの方でしょうか。このたび、私のミスで召喚事故を起こしてしまいました。すぐに送らせて頂きますので」

 私の言葉に、女の子が不思議そうな顔でこちらを見ました。

「あれ、ここ日本じゃないの。まあ、あなたを見れば外国だって分かるけど。それに、召喚?」

 どうやら、やはり異国の方のようです。

 暴走した私の魔法が、彼女にどのように作用したかまではすぐには分かりませんが、あるいは言葉が通じるのはそのためかもしれません。

「はい、とんだ失態を。国を挙げて、お詫びさせて頂きます」

 私は丁寧に頭を下げた。

「え、ええっと、エレナさんだっけ。ここって、よく聞く異世界ってヤツ?」

 その女の子が問いかけてきました。

「えっ、異世界ですか。それは、どういう事ですか?」

 私はわけが分からず、思わず問い返してしまいました。

「うん、ラノベとかよく読むし。よくみたら、ここは…。って事は、あたしは勇者か何かとか魔王とかチートとか?」

 女の子が急にハイテンションで声を上げました。

「え、えっと、落ち着いて下さい。混乱されるのは、分かりますので」

 ある日ある時、いきなり他国に飛ばされた。

 逆を考えれば、私でも混乱するでしょう。

「落ち着いてるよ。ねぇ、あたしの能力ってなに!?」

 もう、手の付けようがありません。

 私は女の子が落ち着くまで、適当に言葉を返しながら頷きました。

「能力ですか。私には分かりません」

 私は苦笑してしまいました。

「えっ、ないの。ここ異世界でしょ。そういうのがないと、困るんだけど」

 女の子が不満の声を上げました。

「よく分かりませんが、お困りですよね。まずは、お城でお話ししませんか?」

 ここにいても落ち着かないでしょう。

 私は笑みを浮かべました。

「まあ、いいや。あたしはムラセ・エリナ。あっ、エリナ・ムラセか」

 ムラセ・エリナと名乗った女の子が笑った。

「はい、ではムラセ様。さっそくお城にご案内います。フランソア、馬車に戻りますよ」

 まずは落ち着かなければいけません。

 私はフランソワに声をかけた。

「はい…と、申し上げたいところですが、またゴブリンが多数接近しています。片付けてからにしましょう」

 フランソワが剣を構えました。

「あら、またですか。ムラセ様、危険なので結界で囲みます。すぐに片付けますので」

 私は呪文を唱えた。

 ムラセさんの周囲に魔力の壁が生まれた。

「では、いきますよ」

 私は辺りの気配を探り、探査の魔法でゴブリンたちを探しました。

 距離およそ五十メートル。数は二十。この程度なら、問題はありません。

 フランソワが腰を低くして剣を構え、飛びこんできたゴブリンたちを片っ端から斬り捨てていきました。

 私は様子を見ることにして、結界の向こうにいるムラセさんをチラッと見ました。

 魔物を見たことがなかったのかも知れませんが、口を僅かに開けたまま目を丸くして固まってしまっていました。

「どうやら、あまり慣れていない様子ですね。平和な地域だったのでしょうか」

 私は小さく呟いて、氷の攻撃魔法を放ちました。

 小石ほどの大きさで、触れると対象を氷結させる効果があります。

 それでゴブリンの数体が氷像となり、その脇を抜けてきたゴブリンを片っ端から拳で叩きのめしていきまいた。

 こうして、戦闘とも呼べない戦闘を終え、私は思わず笑みを浮かべました。

「フランソワ、もう飽きたでしょう。帰りますよ」

 フランソアは大剣を背中の鞘に収め、満足そうに笑いました。

 彼女にとって、ゴブリン退治は趣味なのです。一日に一回は戦わないと、落ち着かないといってすぐに拗ねてしまいます。

「さて、ムラセさん。いかがでしたか?」

 私が声をかけると、固まっていたムラセさんが引きつった笑みを浮かべました。

「あ、アレが魔物…」

「はい、ゴブリンと呼ばれています。それほど強い敵ではありませんよ」

 私は笑いました。

「うわっ、実際に見るとエグいな。これが、ガチバトルか」

 ムラセさんが笑いました。

「では、お城にいきましょうか。実は、今日は私の誕生日でして、パーティが開かれています。ご馳走でおもてなしさせて頂きますよ」

 私は笑いました。


 森からお城までは、馬車で移動です。

 私はムラセさんと馬車に乗り、フランソアの運転で王都方面に向かいました。

 お城までは三十分くらいです。

「これが馬車ね。意外と乗り心地が悪いんだね。ガタガタ揺れてお尻が痛い」

 ムラセさんが苦笑しました。

「これでも、上等な方なんですよ。ムラセさんの故郷では、もっと高性能な馬車があるのですか?」

 私は興味本位で聞きました。

「いや、さすがに馬車はあっても観光用かもね。車っていって…ああ、分からないか」

 ムラセさんが笑った。

「はい、面白いです。お城に戻りましたら、さっそくムラセさんを故郷まで送る方法を考えましょう。ランダム召喚になってしまったので、単にログを追っても追跡出来ないのです」

 召喚系の魔法には、自動的に動作を記録するようにオーブと呼ばれる、特種な魔法道具が必要になります。

 当然、私も持っていますが、この記録ではムラセさんを召喚したという事実は残りますが、そこまでの経緯が不明瞭になってしまいます。

 これはランダム召喚という、事故の一種の形態です。

「えっ、帰しちゃうの?」

 なぜか分かりませんが、ムラセさんが不満の声を漏らしました。

「はい、当然です。ご迷惑だったでしょう?」

 私はムラセさんに問いかけた。

「いや、暇だし二、三日くらいはいようかなって思っていたんだけど」

 ムラセさんが笑いました。

「そうはいきません。私の魔法使いとしての矜持に関わります」

 私は小さく笑いました。

「ああ、そうか。プライドの問題があるからね。いいよ、いい経験になった」

 ムラセさんが笑いました。

「ただ、問題があります。もしかすると、故郷に送るのに相応の時間が掛かるかもしれません。状況にもよりますが、三日やそこらでは解析出来ないかもしれません。そこは、申し訳ありません。お城に部屋を用意させますので、そこを使って下さい」

 私は笑みを浮かべました。

「分かった。うわ、異世界の生活だよ。ラノベ読んで想像して、ついでに自分でも書いちゃったりして。ああ、あたしが書いたラノベは非公開だからね」

 ムラセさんが笑った。

「異世界…ですか。本当に、ここからムラセさんの故郷まで追えるか、不安になってきましたよ」

 私は思わず本音を漏らしてしまいました。

「定番だと、もう帰れないんだけどね。それならそれで、いいけど」

 ムラセさんが冗談のように言って笑いました。

「それだけはダメです。意地でも故郷まで送らせて頂きます」

 私は笑った。

 これで諦めてしまったら、私は魔法使いとして失格です。

「はあ、楽しいな。ところで、本当に単なる事故だったの。魔王を倒したりしなくていいの?」

 ムラセさんが、なにか少し真面目な顔で聞いてきました。

「はい、魔王はいますが、倒すのは勇者の仕事です。この国にも立ち寄ったようですが、父王に接見しただけで、またすぐに旅立ってしまった様子です」

 私は笑いました。

「えっ、ガチ勇者いるの。会えない?」

 ムラセさんが、また興奮しはじめてしまいました。

「はい、重たい宿命と義務を背負っている方ですからね。興味本位で面会を希望する事は、私にはできません」

 私は笑いました。

「ふーん、残念だな。それにしても、部室開けたまま来ちゃったよ。弓道部なんだ」

 ムラセさんが、大事そうに手にしていたロングボウを見せてくれました。

「これは、なかなかの業物ですね。普通の弓とは何かが違います」

「分かるんだ。これ『金剛』っていって、男の人でも引ける人は少ないんだよ」

 自慢げに、ムラセさんが説明してくれました。

「そうですか。しかし、その弓道とはなにかの武道ですか?」

 私はムラセさんに聞きました。

「うん、剣道や柔道と同列だね。私は弓を射る時間が好きなんだ。心が研ぎ清まされていくから」

 ムラセさんは楽しそうに笑いました。

「よく分かりませんが、面白そうですね。私は魔法や体術の修行が好きです」

 私は笑いました。

「えっ、お姫様なんでしょ。さっきも見たけど、あんな綺麗にぶん殴れるなんて凄いというかなんというか。イメージが違うな」

 ムラセさんが笑った。

「これでも二つ名持ちですからね。そこらの魔物やチンピラには後れを取りません」

 私は笑った。

「うん、いい腕してると思うよ。一つ聞くけど、冒険者とかハンターとか、呼び名はどうでもいいけど、報酬次第で仕事を受けて生活している自由人はいるの?」

 ムラセさんが、興味津々という様子で聞いてきました。

「いますよ。この国では、冒険者と呼ばれています。ギルドという組合もありますが、ならず者の巣窟みたいな場所なので、不用意に近寄らない方がいいですよ」

 私は苦笑した。

 要するに、流れの旅人で腕が立つ人たちです。

 仕事を依頼する上で、信用情報がなく身分証明すらないと困るということで、互助協会のようなギルドという組織はありますが、あまりガラがいい場所ではありません。

 ムラセさんのような、なにも知らなさそうにみえる女の子が一人で行くのは、間違ってもオススメ出来ません。

「へぇ、あるんだ。レベルとかあるの。Sランク昇格とか言われたら燃える!」

 ムラセさんが笑いました。

「まあ、そこまで詳しくはありませんが、単に身分証明のための組織なので、そこまでやっているかは私にも分かりません」

 日常生活であまり関わりがない場所なので、私は詳しい話は分かりません。

「へぇ、行ってみようかな。どのみち、ここにいる間はなにか身分が証明出来ないと困るし」

 ムラセさんが笑いました。

「私が身元保証人になります。あとで、書類を作成しますので、少し待って下さいね」

 私は笑いました。

 このくらいは、当然のことです。

「えっ、王族公認。すごい!」

 ムラセさんの目が輝いた。

「私がお呼びしてしまったのです。この程度は当然でしょう」

 私は笑いました。

 馬車はガタガタと走り、王都の門を潜り、お城に向かって行きました。


 お城に帰り着くと、私たちは正面の入り口ではなく、使用人用の出入り口に回りました。

 パーティのどさくさに紛れて、使用人のような顔をして外に出たので、まさか堂々と正面から帰るわけにはいきません。

「あっ、姫様!?」

 廊下の途中で警備兵に見つかってしまいました。

「あっ、逃げますよ」

 フランソワが煙玉を放り投げて文字通り煙に巻き、私たちは廊下をダッシュしました。

 目的地は、私の部屋です。

「待って下さい。皆様がお待ちですよ。おい、総員集合。追え!」

 煙の向こうで、兵士たちが騒ぐ声が聞こえました。

「だから、変装して下さいと申し上げたのです。私のせいではありませんよ」

 フランソワが先頭を走りながら声を上げた。

「あなたが急いたからではないですか。人のせいにしないで下さい」

 私は怒鳴り返しました。

「覚えておりません。ムラセ様、大丈夫ですか?」

 フランソワが、笑いながら走るムラセさんに声をかけました。

「うん、楽しい」

 ムラセさんは、心の底から楽しんでいるようでした。

「喜んで頂けて良かったです。もう少しで、私の私室ですよ」

 廊下を駆け抜け、階段をいくつも上ったり下りたりして、十五分ほどで私の部屋に到着しました。

 扉を開けて中に入ると、私たちは床に飛びこむようにして転がりました。

「ハアハア…。全く、これからパーティに出ないといけませんか。できれば、このまま引っ込んでいたいのですが」

 私は床に仰向けに転がり、笑い声を上げました。

「今さらいいのでは。それより、ムラセさんの事を考えましょう」

 フランソワが立ち上がり、身なりを整えた。

「はい、それが最優先です。まずは、着る物から。その胴着では、目立ちすぎますからね。フランソア、はじめて下さい」

 私はゆっくり立ち上がり、少し困った様子のムラセさんを立たせた。

「では、はじめます」

 フランソワが呼び鈴を鳴らすと、私ですらどこにあるか分からない隠し部屋から、十名からなる私の専属メイド集団が室内に入ってきた。

「えっと…」

 困った様子のムラセさんを十名が取り囲み、隣室に連れて行った。

「ちょっと待った。なにこのドレスみたいなの。あたしには似合わないって!」

 ムラセさんの焦った声が聞こえましたが、私は小さく笑っただけでした。

「さて、疲れました。私は、ムラセさんの身分証明の書類でも書きましょうか」

 私は執務机の椅子に座り、サラサラと書類を書き始めました。

 数枚の書類を仕上げ、身分証となる厚紙に赤い蝋を落として押印し、これは普段から持ち歩いてもらう身分証です。

 あとは、役人が管理する書類なので、なにも言わず控えていたフランソワに手渡した。

「これで大丈夫ですね」

 私が笑みを浮かべたとき、普段使い用のドレスを着て、ばっちりメイクされたムラセさんが戻ってきた。

「これ、なんか落ち着かないというか。なんだか、それこそ王族になったような感じだよ」

 ムラセさんが笑った。

「なかなか似合っています。私のお古ですが、サイズは大きく外れていないようですね。安心しました。これが、ムラセさんの身分証になりますので、必ず持ち歩いて下さいね」

 私は先ほど作成した身分証を、ムラセさんに手渡した。

「これで、不審者として捕まってしまうという事はありません。必ず、常時携行して下さいね」

 私は笑みを浮かべました。

「あっ、ありがとう。これで、安全だね」

 ムラセさんが笑いました。

「はい、私はムラセさんを故郷にお連れする魔法を考えます。退屈でしょうから、フランソワに城内を案内させます。フランソワ、頼みましたよ」

「分かりました。では、ムラセ様。パーティ会場に行きましょう。飲み物と食事が提供されていますので」

 フランソワがムラセさんを連れて部屋から出ていきました。

「さて、私は仕事にかかりましょうか」

 私はまた椅子に座り、空間ポケットを開いてオーブを取りだし、机の上に置いた。

 これには、召喚魔法に限らず、私が魔法を使った履歴が全て記録されています。

 このログ・システムと呼ばれるものは、この国で魔法を使っていいと公的に認められた魔法免許所持者なら、絶対に備えておかないといけないものです。

 この記録を頼りに、私はあの時の状況を分析しようと思ったのです。

 オーブに手をかざし、私は過去の記録を調べはじめました。

「ここがおかしいですね。空間遮断面が、規定値の倍はあります。一体、なにが原因で…」

 記録には私が放った魔力の記録と、魔法陣周辺の四大精霊力のバランスが記録されていました。

 途中までは問題ないのですが、いきなり四大精霊力のバランスが大きく乱れ、通常では起こりえないレベルで、空間の断裂現象が発生していました。

「これでは、本当に異なる世界の『存在』を召喚する事も可能ですね。ここですか…」

 結論でいえば、ムラセさんはこの世界に存在していた人間ではありません。

 異世界転移とでも呼べる、魔法界を揺るがすような前代未聞の大事件でした。

「まずいですね。これでは、あの状況を再現出来ません。つまり、ムラセさんを故郷に送れない…」

 私は心の底からため息を吐き、思わず頭を抱えてしまいました。

 私の魔法は正常に発動していましたが、原因が予想すらできない偶発的な四大精霊力のバランスの大きな乱れとなると、もう手に負えなくなっていまいました。

「これは、正式に事故発生を魔法協会に報告しなければなりません。しかし、どう報告書を書くべきか…」

 私は大いに悩みました。

 しかし、事故は事故です。魔法を統括している組織に、報告する義務があります。

 但し、そうなるとムラセさんの存在を公にしないといけません。

 私に対する批判で済めばいいですが、ムラセさんにどんな視線が集まるか。おおよそ、想像したくもありません。

 ムラセさんが目立ってしまう事は、なんとしてでも防がねばなりません。目立ってしまえば、さらなるトラブルを呼び込む事になるでしょう。

「…やはり、正直に書くしかありませんね。私の責任です」

 しばらく考えたあと、私は机の引き出しから専用の用紙を数枚取りだし、魔法協会宛にありのまま正直に事の顛末を書きはじめました。

「…ムラセさんに専属の護衛を付けましょう。それが、現状では精一杯です」

 私は報告書を書き上げると、机の上の呼び鈴を鳴らした。

 侍女の一人が入ってきたので、封筒に入れた報告書を手渡して魔法協会に送るように指示を出し、騎士団から筆頭格の女性騎士を呼ぶ事にしました。

「コードネーム『イヌワシ』。私の元に呼んで下さい。この子なら、任務を果たしてくれるでしょう」

 侍女が短く了承の返事を返し、部屋から出ていった。

 しばらくすると、扉が軽くノックされ、まだ若いハーフプレートアーマーを着込んだ女性騎士が入ってきて、床に片膝を立てて座りました。

「私は大変な事故を起こしてしまいました。責任を取らなければなりません。あなたに特命を与えます。ムラセ・エリナという子の身辺警護をお願いします。期限は別命を与えるまでです。詳細はお任せしますが、なにがあっても守る事。これを、厳守して下さいね」

 私は必要な書類を書き始めました。

 所属は騎士団ではありますが、その中でも特殊作戦を担う特務部隊の副隊長です。

 つまり、これは極めて異例の引き抜きというものでした。

「はっ、かしこまりました。必ず使命を果たしましょう」

 騎士は床に膝を立てたまま、深く頭を下げました。

「お願いしますね。これが、正式な辞令です」

 私は畏まっている騎士に、書類を手渡しました。

「これで、特務隊長には恨まれてしまいますね」

 私は思わず苦笑してしまいました。

「では、いきなさい。そのうち、フランソワと戻ってくるはずですが、任に付くのはなるべく早い方がいいですからね」

 その騎士は小さく了承の返事をして、部屋から出ていきました。

「さて、これはムラセさんが戻ってきた時に、ちゃんと説明する必要があります。謝罪して済む話ではありませんが」

 私は窓の外を見て、小さく息を吐きました。

 私の事はいかように罵倒してもらって構わないのですが、ムラセさんが世間の注目を浴びた結果どうなるか、考えたくないということが正直な気持ちでした。

「さて、困りましたね」

 私は窓の外に向かって、呟きました。


 どこか観光でもしてきた様子で、フランソアと騎士を連れて帰ってきたムラセさんは、もう上機嫌でした。

「いや、満喫したよ。これが、異世界!」

 ムラセさんは笑いました。

「それは良かったです。退屈されていないか、心配でしたからね」

 私は椅子から立ち上がった。

「色々と考えましたが、結論から申し上げてムラセさんを元の世界にお戻しする方法が、全く分かりませんでした。なんとお詫びしてよいか分かりませんが、ごめんなさい」

 私は深く頭を下げました。

「ちょ、ちょっと、いきなりそんなヘビーな空気で謝らないでよ。分かったから。覚悟はしていたから平気だよ」

 ムラセさんが小さく笑みを浮かべた。

「はい、申し訳ありません。そうなると、真面目に今後を考えねばなりません。当座、住む場所はこのお城を使って下さい。部屋はたくさんありますので。あとは、なにかご希望はありますか?」

 私は恐る恐る聞きました。

「いや、住む場所があるなら、今はそれでいいよ。異世界っていったら、やっぱり冒険者だよね。やっちゃおうかな」

 ムラセさんが、笑った。

「特に止めたりはしませんが、冒険者は危険ですよ。護衛を付けたので安心ですが」

 私は苦笑してしまいました。

 本当は危険な冒険者などにはなって欲しくはないのですが、私はムラセさんの自由を制限出来る立場にありません。

「うん、護衛ありがとう。実は酔っ払いに絡まれたんだけど、一撃で追い払ってくれたからね」

 ムラセさんは笑いました。

「それは良かったです。他に面白い事はありましたか?」

 私は浮かべました。

「あと、ローヌ川だっけ。あそこのゴンドラも乗せて貰ったし、マーケットで食べ歩きもしたし…。そうだ、私のレベルってどのくらいなの。能力とかなんかそんなの分からない?」

 ムラセさんが大笑いしました。

「え、えっと、レベルですか?」

 そのようなものは、聞いたことがないです。

「だって、異世界っていったらこれでしょ?」

「え、えっと、そういわれましても…」

 レベルというものはなにか…。心当たりがない。

「姫、『力見』をすればよろしいのでは?」

 フランソワが助け船を出してくれました。

「あっ、力見は魔法使いの適性試験ですよ。そのようなもので、よろしいのですか?」

 力見というのは、魔法使いになるに当たって、最初に受ける診断のようなものです。

 体の中に満ちている四大精霊力のバランスを見て、魔力の総量を数値化するという感じで、魔法を使う上で大変重要な情報を得るための作業になります。

「えっ、なんかあるならやってみて!」

 ムラセさんが目を輝かせました。

「はい、分かりました。では、軽く目を閉じて下さい」

 ムラセさんがその場に立ったまま、目を閉じました。

 私はムラセさんの体に向かって右手を突き出し、小さく呪文を唱えました。

 ムラセさんの体が光り、赤、青、緑、土色の小さな球体が、彼女の体を取り囲むように現れました。

 しばらく待つと、その球体はゆっくり一つずつ消えていき、なにも残りませんでした。

「潜在精霊力なしですか。魔法は使えません。ただし、魔力が七百万以上もあります。これは、王宮魔法使い筆頭の十倍以上です。結論を述べると、魔力は異常に高いものの、体内に潜在している四大精霊力が全くないので、魔法使いにはなりません。魔力は心臓で生み出されます。生命力とも言い換えられますね。つまり、頑丈であるということです」

 私の言葉にムラセさんが、思いきりその場に転けてしまいました。

「ちょっと待った。化け物みたいな魔力だけはある無能って事!?」

 ムラセさんが立ち上がりました。

「無能というのは言い過ぎですが、魔法は使えませんね。この世界で生まれた者ではないという証拠でもあります。こちらで生まれたものは、道端の石ころでも潜在精霊力はありますからね」

 私の言葉に、またムラセさんが転けてしまいました。

「あ、あの、あたしって石ころ未満なの?」

「あくまでも、単なる潜在精霊力の話です。決して、これが全てではありませんから」

 私は苦笑しました。

「なんでそうなるかな。魔法使いたかったのに」

 ムラセさんは露骨にヘコんでしまい、ガックリと肩を落とした。

「こればかりは、なんともいえません。あっ、弓が得意ですよね。なんとかなりますよ」

 私はフォローしてみました。

「弓ね。そうだ、私には弓道があった…。でも、的しか射った事ないよ。当たり前だけど」

 …実戦経験はゼロですか。

 私は危うく口に出しそうになり、慌てて飲み込みました。

 こんな事を言ってしまったら、また落ち込んでしまいそうなので、危なかったです。

「はい、無理に戦わなくていいのです。もっと、平和的に穏やかに生活すればよろしいだけですよ」

 私は苦笑しました。

「じゃあ、農家。そんな作品があった気がする…。知識ないけど」

 ムラセさんがボソッと呟きました。

「の、農民ですか。なんの当てもなく、土地もないのにですか?」

 私は慌てて声を上げました。

 いきなり農民など、絶対に不可能です。

「じゃあ、どうすればいいの。だったら、勇者だ勇者。頑丈だからイケる!」

 なにか、面白い子だな。

 私は苦笑しながら、私は笑ってしまいました。

「まあ、しばらくはこの城で過ごす事をオススメしますよ。街の散策をして、知識を付けるというのも面白いと思いますよ」

 私は笑みを浮かべました。

「それもそうだけど、いっそスライムとかクモに転生するとか…ダメだ。もう手遅れだ」

 ムラセさんが、頭をガリガリ引っ掻いた。

「よく分かりませんが、今日はお休み下さい。お疲れでしょう」

 いつまでも続きそうだったので、私はそれとなく話の進行方向を変えた。

「うん、そうする。ちょっとテンション上がり過ぎちゃったよ」

 ムラセさんは笑みを浮かべました。

「まあ、慣れない世界でしょうが、困ったらフランソワでも私でも、そこの護衛の騎士にでも構いませんから、とにかく仰って下さい。助けになると思います」

 私は小さく笑いました。

「フランソワ、あとはお任せします。私は、事の顛末を父上に伝えねばなりません」

 私はフランソワに後を任せ、部屋を出ました。

 父上の部屋に向かう道すがら、私は廊下に寝ている黒猫を見つけました。

「あら、どこから入り込んだのでしょうね。ここは三階なのに」

 私は疑問に思いましたが、そのまま猫の脇を通過して廊下を進んでいった。

 父の部屋の前に来ると、私は重厚な扉をノックしました。

 入れと中から太い声が聞こえ、私は扉を開けて中に入りました。

「なんだ、お前か。やらかしたそうだな」

 父は静かに怒りを蓄えていました。

「はい、遺憾ながら…」

 私は小さく頭を下げました。

「どうするつもりだ。ここに置いておくのは一向に構わんが、一人の異世界人の人生を変えてしまったのだぞ。理由はどうあれな。反省するように」

 父はピシャッと言い切りました。

「はい、分かっています。お叱りは甘んじて受けます」

 私はその場で片膝立ちをした。

「全く、どうしてこうお転婆なのだ。もう、いい大人だぞ」

 父はため息を吐いた。

「はい、分かっています。返す言葉もありません」

 王宮の生活は暇です…とは、言えません。

「まあ、いい。ちゃんと事態を収めるように。前代未聞だぞ」

 ブチブチ呟きながら、父は立派な椅子から立ち上がりました。

「はい、では失礼します」

 私は立ち上がり、父の部屋から出ました。

 そのまま自室に戻ると、ムラセさんとフランソワがお茶をしていた。

「あっ、帰ってきた。このお茶美味しいよ。どこの茶葉?」

 ムラセさんが笑った。

「はい、南方にある王国直営農場で栽培したお茶です。甘みがあって美味しいと思いますよ」

 私は笑いました。

「へぇ、いいね。それじゃ、これ飲んだら休ませてもらうよ。ちょっと眠くなってきたから」

 部屋の置き時計をチラッと確認すると、深夜の二時です。

 いくら元気があっても、さすがに眠い時間でしょう。

「はい、ごゆっくり。私は仕事があるので、少し失礼しますね」

 私は椅子に座り、机の引き出しから書類の束を引き抜いた。

 一応、これでも第三王女なので、それなりに政治を任されてる分野もある。

 書類に目を通してはサインして、また次の書類と進めていくと、時間はあっという間に過ぎていった。

 一時間ほどして、ムラセさんが護衛と共に部屋から出ていき、フランソワだけになった。

「姫、もう休まれてはいかがですか。体に障りますよ」

「ありがとうございます。でも、あと少し。これで終わります」

 それから三十分経ち、最後の書類にサインをすると、私は背もたれに大ききく身を預けました。

「お疲れ様です。お着替えをお手伝いします」

 フランソワの手を借りて、私は普段着から寝間着に着替えました。

「ありがとうございます。では、おやすみなさい」

 私は寝室に移動し、ベッドに横になった。

「姫、また普段の時間に起こしに参ります。おやすみなさい」

 フランソアが寝室を出ていき、私は一人になりました。

「さて、どうしたものでしょうか。とんだ失態ですね」

 私は苦笑して、そっと目を閉じたのでした。

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