オウン ワールド

Cocolatte

 第一話 ー私だけの空白ー


 少し長い夢を見ていた。

 今思えば夢を見るなんて久しぶりだった気がする。

 その夢の中では、灰色の空の中、林立したビルの中を厚顔無恥に空を飛び交う戦闘機が出てきた。大きな火砲を背に積む戦車が出てきた。全身武装し、強い殺意を持った人間も出てきた。

 そう、戦争の話だ。

 楽しい夢を見ている時は、瞬きをするかのようにすぐ終わるのに、今回の夢はそういう訳にはいかなかった。

 すごく長く感じた。

 耳を塞ぎたくなる程大きな爆発音や銃撃音。天高く立ち上る灰色の煙。恐怖、妬み、悲劇といった感情を無理矢理押し付けてくる。

 この夢の中での私の立場はこうだ。戦争とは無関係のごくごく普通の一般人。

 そんな、一般人の私はこんな危険な場所から兎に角逃げるしかなかった。

 私は走った…

 そこら中から溢れてくる重たい感情が足取りを重たくさせた。

 この場所に留まっていれば、数秒も生きていけないだろう。そう感じさせる程殺伐とした光景を目の当たりにした。

 夢の内容はこんな感じだった。嫌な夢だった。早く目を覚ましたかった。これが世にいう悪夢というのだろうか。

 すると戦闘機が一機、こちらに向かって急降下した。次の瞬間、目の前の視界が全て真っ白い世界へと一変した。それと同時に「キーーンッ。」という耳が突っ張りそうな甲高い音が脳内に響き渡った…。

 誘導爆弾が直撃したのか、そう思ってしまった。


 誰かが呼んでる…。


「ゆまち…、ゆまち!」

「ん……、」

 気がつくと深緑と薄霧に包まれた森の中にいた。

 先程の銃撃音や爆撃音といった音は一切聞こえず、その代わりに小鳥の囀り(さえずり)さえも聞こえてきた。

 夢としては、余りにも物語性に欠け、終わり方が乱雑で不思議な夢だった。

「誰……」

「アタシだよ。君の親友のあとね!。ゆまち…さては寝惚けてるなぁ。」

 自分が何者であるかがモヤがかかるように邪魔をしてどうしても思い出せない。まるで、山奥の森で道を見失った旅人のように。

 彼女は、寝っ転がってる私の衣服に目を向けていた。

「桔梗の羽織が汚れてる…。」

 そう言うと紅色の羽織に付いた葉や草を払ってくれた。

「今日は優しいんだね。あとね。」

「(やっと思い出してくれた…!)…それで、星帰町の領主様である天比奈 ゆまち様はこんな危険区域でどうして昼寝なんてしてたの?。マモノに襲われちゃうよ。」

「私は…。どうしてだろう。夢を見ていた気がする。」

「夢を見ていたの?。どんな夢を見てたの?」

「忘れちゃった。」


 ゆまちは、先程見ていた戦争の夢をもう忘れてしまった。あの耳をつんざくような銃声も、焦げ付くような硝煙の匂いも、今はもう彼女の記憶のどこにも見当たらない。おそらく、夢で見たような戦争はこの世界には存在しないからなのだろう。


「そっか。それじゃあ、一緒に帰ろう。」

 それを聞いたあとねは、心配事を拭うように帰路に誘った。

「いいよ。」

 差し出された手を握り返すようにゆまちは快く応じた。


 平和を求めるのが人間か、争うのが人の本能か。人一人殺せば悪魔と呼ばれるが、戦場での大量殺人は英雄になる。状況と大義名分で「殺す」という行為は罪から栄光へと変貌するのだ。人は安寧を吉とする。だが、世界のどこかでは人と人とが優劣を決めようと炎を燻らせている。人間は、他人を哀れむ義を持っているが、本能的に見れば他人より優れていたいと思っているのかもしれない。


 ならば世界の支配者が人間ではなかったらどうだろう。この世界を人間の代わりに別の思想を持った種族が支配していたら。


 ーアニクスー

 この世界でもっとも繁栄しているのは、アニクスと呼ばれる者たちだ。

 彼らは知恵を持ち聡明で、友愛に満ち、しかしどこか儚い生き物だ。姿かたちは人に似ているが、耳や瞳、尻尾に動物の面影を残している。

 それぞれの血に異なる獣の魂が混ざり合い、やがて一つの種として形を成した魂の融合体は、しばしばキメラとも呼ばれた。彼らは、人の存在しない世界で善意と知恵をもって社会を築き、いまや文明の中心として世界を支えている。


 ー星帰町・表通りー

 ゆまちとあとねは、星帰町という町に到着した。

 星帰領最大の町、星帰町(せいきちょう)。この町は商人の町だ。表通りには木造和風建築物が両側に立ち並び、数十余りの店が軒を連ねている。

 工芸品の生産や全国各地の特産物が集まるこの町が商業の町として栄え出したのはほんの数十年前と最近の事だ。

 星帰領を治めている天比奈家はこの町では英雄として認知されていた。

 そんな、天比奈家の御当主であるゆまちに一言挨拶しようと町人が集まってきた。

 星帰町の商会を牛耳っている銀椛協商会のご令嬢であるあとねも例外では無く、星帰町の町人は二人を熱烈に歓迎し、お菓子などの贈り物を送った。

 しかし、あとねは薄々気づいていた。町のみんなが心から尊敬し、慕っているのは、隣のゆまちだということ。そして、自分に向けられる笑顔の裏には、将来の自分の立場や利益のために、協商会の権力を継ぐ自分に気に入られようとする、打算的な思惑が潜んでいるということに。


 ー数十分後ー

「はぁはぁ……、」

 町の人々への応対だけで、ゆまちとあとねの二人はすっかり疲れ果て、近くのベンチに腰を下ろしていた。

「ん、あれは?」

 そのとき、ゆまちはふと目を留めた。視線の先、隅の方にクロッキー帳を持った女の子が立っていた。

 ゆまちは立ち上がると女の子に近づき、優しく声をかけた。

「どうしたの?」

 女の子はたどたどしく答えた。

「え、えっと…私…、この町に来たばっかりで、お父さんとお母さんと離れ離れになっちゃって…。」

 聞けば、この子は家族で旅をしている旅人で、星帰町に訪れた際、両親と離れ離れになってしまったらしい。

 あとねが現状を整理するように言った。

「迷子か、保安隊に保護してもらおうよ。」

 しかし、ゆまちは即座に首を横に振った。

「大丈夫。私たちに任せて。」

 ゆまちは少女を安心させるように胸を張り、言い切った。

「どうやって探すの?」

 それを聞いたあとねが尋ねると、ゆまちは少女の持つクロッキー帳に目をつけた。

「それちょっと見せてよ。」

 クロッキー帳のページをめくった二人は、思わず息を飲んだ。

「…ッ、すっごい上手…!」

 そこに描かれていたのは、星帰町の各所の建物や町外れの景勝地だった。

「そうだ!この絵の風景と同じ所を探せばお父さんとお母さんの手がかりが見つけられるんじゃない?」

 あとねが、感嘆の声を上げる。

「ゆまち天才!」

 ゆまちは、迷子の少女に向き直った。

「私はゆまち。それでこっちがあとね。宜しくね。君の名前は?」

「瑠花…」

「“るか”ね、まずどこから行こうか。」

 ゆまちはそう言って、瑠花から見せてもらったクロッキー帳を広げた。そのクロッキー帳の一番最初に目に入ったのは、古風な造りの和風建造物だった。

「ここは…」


 ー月光堂ー

 星帰町の表通りに店を構える『月光堂』。老舗でありながら、和菓子はもちろん、多文化を融合した新しいスイーツが星帰の若者たちに絶大な人気を誇っている。

 三人は月光堂の向かいにあるベンチに腰を下ろし、瑠花が描いたクロッキー帳の絵と、実物の建物を入念に見比べた。

「本当にすっごい上手だよ!ゆまちもそう思うでしょ?」

 あとねが感心した声を上げる。

「私が先に褒めてたの!」

 ゆまちは頬を膨らませた。

「ま、まぁまぁ…」

 瑠花は少し困ったように苦笑いをした。

 落ち着きを取り戻したゆまちは、瑠花の横顔を見つめた。

「君は、見た感じ猫と狐のアニクスかな?。」

 瑠花は小さく頷いた。

 アニクスの血縁者を探すにはとある特徴がある。

 それは、この世界に住むアニクス族の動物の面影は、メンデルの遺伝法則のように継承される。つまり、瑠花が猫と狐のアニクスであるならば、その父親と母親は、それぞれ猫か狐の特徴を持っていると推測できるのだ。

 瑠花にも動物的特徴が顕著に現れており、『純白の猫の耳』と『黄金色の狐の尻尾』を持っていた。

 ゆまちはクロッキー帳を広げた。

「手がかりは、この絵の中に描かれた建物。それと『猫のアニクス』か『狐のアニクス』を探すことだね。」

 ゆまちは、自身の考えを改めて整理した。

「お父さんとお母さんは、身体のどこに動物の特徴を持っていたか分かる?耳かな?それとも尻尾?」

 あとねはそう尋ねたが、瑠花は消え入りそうな声で答えた。

「……目、以外は何も…」

 その瞬間、ゆまちとあとねは顔を見合わせた。

『目かーっ!』

 二人の声がハモり、静かなベンチの周りに響いた。

 その特徴は、街中ですぐには見抜けない、最も手がかりにしにくい部分かもしれない。しかし、今はその「目」こそが、親子を見つけ出す唯一無二の鍵だった。

「『猫の目』なら何となく分かるけど、『狐の目』ってどんなのか分かる?」

「『猫の目』ですらどんなのか分かんないよ!」

 二人は、瑠花の両親の手がかりを整理したが、あとねに関しては『猫の目』ですら心当たりがないようだ。

「動物の特徴で探すのは望み薄だね。るかをクロッキー帳に描かれた場所に連れ回すしかないのかな。」

「そうだね。」

 すると、瑠花がゆまちの羽織の裾を軽く引っ張った。

「次の所に行きたい…。」

 瑠花が不安がっているのが手に取るように分かった。ゆまちは瑠花の手を引き、クロッキー帳に描かれた次の場所へと向かった。


 ー星帰大橋ー

 星帰町で最も大きい橋。この橋は、星帰町・表通りの終着地であり、他国へ渡る街道の分岐路になっている。天比奈家の財力によって建設されたこの橋は、全長十メートル前後程度だが、レンガ造りの堅固な橋だった。

 昼過ぎのこの時間帯は特に、子連れの親の行き来が多かった。

 瑠花は何も言わず、橋を通りかかった家族をじっと見つめていた。

 その小さな背中は、今にも泣き出しそうだ。

 しかし、瑠花は泣き言一つ言わずにただ大事にしていたクロッキー帳を強く握りしめている。

 見かねたあとねが瑠花を励まそうと口を開いたが、ゆまちによって静かに遮られてしまった。

 ゆまちには、瑠花を励ます算段がある。というより、どうしても伝えたい“言葉”があった。

 ゆまちは、瑠花の張り詰めた気持ちを痛いほどよく理解していた。

 なぜなら、

「実はね、私、物心ついた時から両親の顔を見た事ないんだ。」

 瑠花はハッと顔をあげた。

「だから、一緒に食卓を囲んだことも、一緒にお出かけしたこともない。家族の思い出なんて、一つもない。悲しい時も、嬉しかった時も、傍にいてくれなかった。」

 ゆまちは星帰大橋の手すりに静かに寄りかかった。

「るかは泣かないんだね。私なんてしょっちゅう泣いてたのに。」

 彼女はそう言いながら、自身の境遇を思い起こす。

 アニクスには、子どもに物心がつく頃にとある儀式を行う慣習がある。

 それは、親から子に“子ども自身がなんの動物的特徴を受け継いだのか”と告げるというものだ。

 しかし、物心ついた時から両親がいなかったゆまちにはこの儀式は行われなかった。故に、動物的特徴が発現しなかったゆまちは、自分が何のアニクスなのかずっと知らずにいる。

「私は、自分が何者なのか分からないし、どうしてこの町でリーダーをしているのか分からない。」

 その告白は、単なる身の上話ではなく、華やかな「ゆまち」の仮面の下に隠された、根源的な孤独の叫びだった。

「大丈夫、ゆまちにはアタシがずーっとついてるよ!」

 あとねがそう言い放つと、ゆまちに覆い被さるように抱きついた。

「それもう一万回は聞いたよ。」

 聞き慣れたその言葉を、ゆまちは日常会話のように笑って流した。しかし、あとねの変わらない友情の重さがゆまちの冷たい心を確かに温めていた。

 その光景を見た瑠花の胸に、確かな「友情」の形が刻まれた。

 そして、瑠花は二人の友情を遮らないように小さな声で言った。

「…私、次あそこに行きたい。」

 瑠花が指をさす方向は、橋を渡った直線上に見える、空に向かってなだらかに伸びる丘だった。


 ー星見丘陵ー

 三人が訪れたのは、星見丘陵。町外れにあるこの丘は、登れば星帰町や遠くの海、夜にはライトアップされた永日祭の屋台までもが見渡すことができるほど見晴らしが良い絶好の展望台であり、知る人ぞ知る隠れスポットだった。

 しかし、三人がたどり着いた丘の頂上に、人影はない。

「ここに人の気配はないみたいだね。」

 あとねが周囲を見渡しながら、そう呟いた。

「そうだね。」

 ゆまちは短く答えた。

 幼い瑠花は、長時間の捜索と星見丘陵への登頂で体力が限界に達し、くたくたになっていた。

 瑠花の体調を案じたゆまちが、優しく声をかける。

「少し休憩にしよっか。」

 瑠花は小さく頷いた。座りやすそうな平らな岩を見つけると、そこに腰掛け、大事なクロッキー帳を広げた。そして、すぐに夢中になって絵を描き始めた。

 ゆまちは、その集中力を邪魔しないように少し離れた岩に腰掛け、そっと見守ることにした。

 空気を読んだあとねも、ゆまちの隣に腰を掛け、絵を描いている瑠花に茶々を入れることなく、目の前に広がる星帰町の雄大な景色をゆまちと共に静かに眺めた。天気は快晴、丘の頂上に、心地良いそよ風としばしの静寂が訪れた。

 どのくらい時間が経ったのか、ふと気がつくと瑠花は一枚の絵を仕上げていた。

 仕上がりを覗こうとした、ゆまちとあとねだったが、遠くの方から瑠花を呼ぶ切羽詰まった声が響いてきた。

 その声を聞いた瞬間、それまでずっと張り詰めていた瑠花の口元が初めて緩んだ。

 ゆまちとあとねは顔を見合わせた。探していた人たちだと確信した。

 声のした方向から、二人の旅人らしき人物が丘を登る姿がはっきりと目に入った。

 よく見ると、それぞれ『猫の目』と『狐の目』を持っており、瑠花が教えてくれた情報とも一致していた。

 瑠花は、クロッキー帳を放り投げると真っ直ぐ二人の旅人に駆け付けた。

 旅人たちはすぐに瑠花を腕の中に抱きとめ、その小さな体を力強く抱きしめた。片方の旅人の目元には、安堵の涙が光っていた。

 その涙を見たゆまちは、心の中がモヤリとした。両親を知らない彼女にとって、あれこそが「家族」という結びつきの現実であり、自分が持たないものの輝きだったからだ。

「何とお礼を申し上げたら…、本当にありがとうございましタ。」

 二人の旅人は、瑠花を探し出してくれたことに、深々と頭を下げて感謝の言葉を述べた。

「気にしないで、見つかって良かった。」

 ゆまちは笑顔で答えた。

 そこへ瑠花がお礼にと先程仕上げた絵をゆまちに差し出した。

「……ありがとう。大切にするね。」

 その絵には、星帰町を見守るように並び立つ、ゆまちとあとねの姿が繊細に描かれていた。瑠花が見た「本物の友情」が、そこに永遠に留められていた。

 旅人たちは、瑠花を真ん中にして手を繋ぎ、丘の麓へ去って行った。

 ゆまちは、親子の後ろ姿をじっと見ていた。

 あとねが、静かに隣でその様子を見守る中、ゆまちは誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

「でも、やっぱりちょっと…羨ましいや……」


 第一話 ー私だけの空白ー [完]

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