どこかでつながって

@touco_28ban

第1話:葬式と蔵とかんざし

夏休みの始まりを告げる蝉の声が、鎌倉の本家に響いていた。

その日、葵は母に連れられて、母方の大叔母の葬式の手伝いに駆り出されていた。


大叔母は、鎌倉中のあちこちに顔が利く重鎮。

豪快で面倒見がよくて正義感が強くて、幼いころから大叔母に頭が上がらない人をたくさん見てきた。

そんな大叔母が大事にしていたのが、屋敷の裏にある古びた蔵だった。


季節が変わるごとに蔵の掃除をしていたが、体を壊したここ数年はそれもままならず、病院にお見舞いに行くと、「早く元気になって、蔵の掃除をやらなくちゃ」と話していた。


本家の中で、特に古い家のしきたりに厳しい人だったらしいが、いつだって葵たち家族には笑顔を向けてくれるいい大叔母だった。


自宅のリビングには、大叔母、母、父、葵、弟の陽太で撮った写真が飾ってある。


「叔母さん、そんなに怖い人じゃないんだけどな」というのは葵の母の口癖だ。

それもそのはず、大叔母は、学生時代に両親を亡くした母の育ての親でもあるのだ。


だからこそ、母の硬い表情も、伸びきった背筋も、見ていて痛ましかった。


本家の玄関は、黒い服の人々が行き交い、湿った夏の空気と線香の匂いが混ざり合っている。

どこかから聞こえてくる、「明子ちゃんは叔母さんに気に入られていたから」という言葉。


明子ちゃんは葵の母の名前だ。

叔母さんに気に入られていたから何だというのだろう?


聞いているだけで気分が悪くなる……。


「葵、蔵からグラスを出してきて。人数分足りないのよ」


葵は軽く返事をして、すぐに裏庭へ向かった。


どうしようもない大人たちから葵を遠ざけたかったのか。

それとも、静かに大きなダメージを受けている自分を見られたくなかったのか。


葵には分からなかったが、ありがたくその場を離れた。


本家の蔵は、古い木造の建物だ。

子どもの頃は怖くて近づけなかった場所だが、今はただの倉庫にしか見えない。

それでも、扉を開けた瞬間に流れ込むひんやりとした空気には、どこか時間の層のようなものが感じられた。


外の暑さが嘘のように、蔵の中は静かで冷たい。

埃の匂いと古い木の香りが混ざり、薄暗い空間に光が細く差し込んでいる。


大学3年生で歴史学科に通う葵にとって、蔵の中は意外と居心地がよかった。

理由はわからないが、懐かしささえ感じた。


「グラス、グラス……」


棚に積まれた段ボールを開けながら、葵は独り言を漏らした。

古い皿や茶器が雑に詰め込まれている。


陶器のコップはあちこちに見えるが、じっとしているだけで汗が滴るようなこの時期に使いたいガラス製のものはなかなか見当たらない。


形も高さもバラバラだけど、仕方がないかと思いながらグラスらしいものをお盆の上に集めていると、ふと、棚の奥に小さな木箱があるのが目に入った。


「……なにこれ、骨とう品的な?」


手に取ると、思ったより軽い。

その瞬間、葵の首はうなだれた。


しかし、蓋を開けると、布に包まれた細長いものが目に入り、葵の目は再び輝いた。

爪の先でゆっくりと布をめくると、銀色のかんざしが姿を現した。


光を吸い込むような静かな銀。

葉の彫りが繊細で、素人目にもただのかんざしではないとわかる。


葵は思わず息を呑んだ。


「高そうだけど、葉っぱの意匠かわいくない?」


歴史専攻の大学生としての好奇心が、じわりと湧き上がる。


指先でそっと触れた瞬間、金属の冷たさではなく、静電気のような痛みが走った。


「……イタッ」


蔵の空気が一瞬だけ止まったように感じた。

だが、すぐに蝉の声が戻ってくる。


気のせいだ。

そう思うしかなかった。


葵はかんざしを布に包み直し、小さな箱をエプロンのポケットにそっと入れた。

あとで調べてみよう。

もしかしたら、すごいものかもしれない。


グラスを抱えて蔵を出ると、外の熱気が一気に押し寄せた。


「暑……」


汗がにじむ。

だが、なぜかポケットの中のかんざしだけは、妙に冷たさを保っている気がした。


◇◇◇


葬式が終わり、親戚たちが次々と帰っていくと、本家の中はようやく静けさを取り戻した。

葵と母も片付けを終え、東京寄りの自宅へ戻った頃には、すっかり日が暮れていた。


シャワーを浴びて部屋に戻ると、葵はベッドに腰を下ろし、大きく息を吐いた。


「……疲れた」


本家の手伝いは、体力よりも気力を削られる。

母の張り詰めた表情や、親戚たちの遠慮がちな視線。

大叔母の遺影の前で、母がそっと涙を拭っていた姿も思い出される。


葵はバッグを引き寄せ、エプロンのポケットに入れたままの木箱を取り出した。

蓋を開けると、銀色のかんざしが静かに横たわっている。


昼間見たときと同じ、葉の彫りが美しい。

けれど、部屋の明かりの下で見ると、どこか冷たく光っているようにも見えた。


「……ほんとに、かわいい意匠だよね」


自分に言い聞かせるように呟き、そっと指先で触れた。

今度は静電気は走らなかった。

ただ、身震いがした。


クーラーがききすぎているのか、背中にひやりとした感覚が広がる。


今は8月、真夏日が続く中でクーラーをつけないのは自殺行為に等しいとわかってはいたが、すぐさまオフにした。


かんざしを布に包み直し、机の上に置いた。

電気を消してベッドに潜り込み、天井を見上げる。


昼間の緊張感ややるせない気持ちを思い出し、サッカー部の合宿に出かけた弟の陽太への怒りが湧いた。


つい3日前に、葵の彼氏の「悠斗くんみたいなミッドフィルダーになるんだ」なんてかわいいことを言う弟を、笑顔で見送ったはずなのに……。


つられて悠斗のことも思い出した。葵とは別の有名大学に通う大学3年生でサッカー部の副部長。


「今年が最後の年になるから、たぶん夏休みはサッカー優先になると思う」


一緒に、前期の期末試験勉強をしている時に言われた言葉を思い出す。

悠斗が葵より部活を優先することは、今にはじまったことじゃない。


でも、まさにチームプレイをするために生まれてきたような男には、葵一個人の希望なんて何の意味もない、何の価値もない。


「うん、サッカー頑張ってね」


葵の本音は、悠斗が好きだから、悠斗の好きを優先させてあげたい気持ちの前では消えてしまう。


陽太へのイライラと悠斗への悲しみに支配されそうになった葵は、無理やり目を閉じて、考えることをやめた。


眠りに落ちる直前、机の上で何かが微かに触れ合うような音がした。


けれど、葵は気づかないまま、静かに意識を手放した。

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