深夜の青春 AI

 崖を上りきる頃には、峠に漂っていた時の不気味さはほとんど感じないほど和らいでいた。いや、実際のところ、和らいだのはわたしの心なのかもしれない。


女性の幽霊の発した言葉が、頭の隅でくすぶり続けている。


 ――好きな人と一緒にいられる時間を、大切にしなさい。


 色んなところで散々聞かされてきたような、ありきたりな言葉。それなのに、なぜか今はこの胸に重くのしかかる。


 夜見川君の歩調に合わせ、わたし達はゴール地点の小さな広場を目指した。繋いだ手は崖を登っているうちに自然と離れていた。残念な気もするけど、まあいいか。そろそろ竹川君たちとも合流するところだし。


 さっきの温もりがまだ指先に残っているみたいで、気付けば夜見川君の横顔をチラチラと窺ってしまう。わたしのことを守ってくれた背中が妙に頼もしくて、後ろから眺めているだけで胸がざわつく。こんな気持ち、初めてかもしれない。


「夜見川君。さっきの、あれって……」


 言葉を詰まらせる私に、彼は肩をすくめる。


「忘れろよ。あんなの、なんなら夢だったことにしとけ。岳たちに話したら、頭がおかしくなったと思われて終わりだ」


 夜見川君の声がどこか照れくさそうで、思わずクスっと笑いを漏らした。


 月明かりの下で、夜見川君の横顔が少し柔らかく見える。さっきの震えが嘘みたいで、胸の内に何とも言えないむずかゆい感じがした。夜見川君はいつもクールなのに、こんな時だけ優しい。


 歩いていて、わたしは一人結論に至る。というか、本当はもっと前から分かっていたことだけど。


 ――わたしは彼のことが、好き……なのかもしれない。


 あらためてそんなことを思うと、思わず頰が熱くなる。


 広場に着くと、先に着いた岳君と志穂ちゃんがベンチに腰かけていた。二人とも、なんだか妙に近い距離で座っている。


 志穂ちゃんの肩が岳君の腕にくっついていて、岳君の顔が少し赤い。ねえ、こっちは幽霊に遭遇してトラウマ最大級の夜だったんですけど。そっちはそんなムードなの? ……って思うけど、それだけ大っぴらに距離が縮まった感じを出せるのも羨ましいのかな、なんて思う。


「ごめんね。待った?」

「遅いよー! もうゴールして三十分くらい待ってるんだから!」


 志穂ちゃんが笑顔で文句を言う。いつも通りの明るい声だけど、岳君の肩に寄りかかる仕草が、なんか違う。


 岳君は照れくさそうに頭をかきながら言う。


「おい、心配したぞ。道に迷ったのか?」

「まあ、それと色々あってね」


 本当に色々、ね。まさか本物の幽霊に出会ったなんて言えるはずがない。そんなわたしの気持ちも知らずに志穂ちゃんが笑いながら言う。


「ねえ、こっちなんて本物の幽霊を見たと思ったの。それでギャーって声を上げて二人でビビりまくって、お互いにしがみついて怯えていたらさ、よく見たらお化けの顔が印刷されたTシャツが木に引っかかっていただけだったの。本当に、バカみたい」


 そう言って志穂ちゃんはおなかを抱えて笑う。よっぽど怖くて、よっぽどおかしかったんだろうなって思う。たしかにその光景を想像すると、ちょっとだけ笑えた。


 まあ、こっちはマジで本物の幽霊に会ったんだけどね――思わずそんな言葉が出そうになるけど、夜見川君の視線を感じて自重した。そうだった。これは言っちゃいけないことだったんだった。


 夜見川君がさっきの出来事なんておくびも出さずに口を開く。


「まあ、安心しろ。こっちも色々あったけど大したことじゃない。そっちこそ、ずいぶん早く着いたみたいだな」


 夜見川君がポーカーフェイスで返すと、志穂ちゃんがニヤニヤしながら立ち上がる。竹川君の腕にしがみつくような姿勢になって言う。


「ふっふふー。秘密だけどさ、竹川君と二人でいい感じのハプニングがあったんだよ。ね、竹川君?」

「う、うるせえよ」


 竹川君の目が泳いでる。明らかに、ただのハプニングじゃないんだろうな。志穂ちゃんの頰が少し赤くて、二人ともなんだか……恋人っぽい感じがする。あの暗い夜道で何があったんだろう。なんだか、変な好奇心が沸いてくる。


 夜見川君はわたしと視線を合わせ、苦笑いを浮かべる。もしかしたらエッチな展開でも想像して照れているのかな。だとすると、ちょっとかわいいかも。


 ……と、そんなことを思っている自分に気付くと、急に恥ずかしくなってきた。そこから注意を逸らすみたいに、話題を竹川君たちへと戻す。


「なんかさ、二人とも……いい雰囲気じゃん」


 からかうように言うと、志穂ちゃんが照れ臭そうに笑う。それを岳君がちょっと赤くなって、いつもよりも早口で話題の矛先をわたし達へと戻していく。


「おいおい、そう言うお前らこそどうしたんだよ。なんか……顔赤くね?」


 その言葉にハッとする。赤いって、私の頰?


 ふと夜見川君を見る。地味だけど整った顔は、月明かりでいつもより輝いている。さっき繋いだ手は離れているけど、温もりはまだ残っているみたいだった。意識しはじめると、なんだか距離が近過ぎるようにも感じる。


 体が、熱くなる。自分の中で起きだした変化を、第三者から見つけられたような感覚があった。


 志穂ちゃんが何かを察知したように目を細める。


「ねえ、なんかあった? 二人とも、さっきからチラチラ目が合っちゃうし」

「そんなことないよ」


 反応的に、慌てて首を振る。夜見川君も小さく首を振るけど、たったそれだけの仕草を見るだけで頰が熱くなる。


 わたしが一瞬のうちに見せた動揺は、竹川君にですら分かるレベルのものだったらしい。


「おいマジかよ、夜見川と上城さんもか」

「わー、みんなラブラブ」


 志穂ちゃんがそう言うと、思わずみんなで大笑いしてしまった。何がそんなにおかしいのか分からないけど、その一言がわたしの揺れ動く心を救ってくれた気がした。


 広場のベンチに四人で座って、夜風に吹かれながら笑い合う。目の前には星空が広がり、海のさざ波が聞こえてくる。


 ついさっきに本物の幽霊に会ったけど、今となってはどうでもいい。ものすごく青春してるなって感じの今が、わたしにとっては最高に幸せだった。


 思えば、肝試しなんて、ただの口実だったのかもしれない。みんなで、こんな夜を過ごせただけで。


 中学生最後の夏の終わり。まだ半年はあるけど、この夜は、きっと生涯忘れられない宝物になる。夜見川君の横顔を、そっと見つめながら、そう思った。


 この気持ち、もっと知りたいかも――そう思った瞬間、志穂ちゃんが口を開く。


「よし、それじゃあ景気づけに帰ったらコーラでパーッとやろうか」

「酒みたいに言うな」


 岳君がツッコんで、みんなでまた大笑いする。


 バカみたいなことで盛り上がっているけど、こんな思い出こそが今のわたし達には必要なんだろうなとも思った。

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