ハーフ・ノンフィクション

山崎ももんが

ハーフ・ノンフィクション

取引先の担当者と仕事以外の他愛もない会話が止め処なく続いてしまったせいで、待ち合わせの時刻に遅れてしまった。JR原宿駅の改札を抜けて表参道へと続く、なだらかな坂道を足早に下ったものの、表参道の信号に掴まってしまう。十二月のイルミネーションと、交差する車のヘッドライトの隙間から、通りを挟んだ反対側の東急プラザの前で立っている白いコートを纏った細身の女性が見えた。均整の取れたその姿はアパレルショップに並ぶマネキンを思わせる。LEDが赤から青に変わると私は彼女に駆け寄った。


「御免、アメコ、先に行ってて、って言ったのに」


息切れ気味の私の口から吐き出される白い息は、まるでクリーニング店の排水溝から立ち昇る蒸気のようだ。


「いやいや、モモカにドタキャンされたら不味いからさ。逃げられたら困るから、ちゃんと待ち合わせて来い、って皆から頼まれてたんだよね」と彼女は口角を上げながら微笑みを見せた。私の呼吸が整うのを待ってから、二人で明治通りを新宿方面へ歩き出した。


* * *


美術大学の同期による忘年会が行われているのは大通り沿いのメキシコ料理店だった。店は地下一階にあるらしい。看板が設置されたアーチを潜った後、長い階段を下りながら白い漆喰の壁に指先を触れると指紋が擦れてサンドペーパーの表面を思わせる刺激を感じた。木製の扉を開けると同時にギターを抱えた三人のマリアッチが大きな声で歌い出した。


その歌声に混ざり、何処からか「うおお、来た来た、久し振り」という男性の声が聞こえた。


店内を見渡すと、その赤褐色の土壁に囲まれた景色は中南米の大屋敷の中庭、というコンセプトで設計されているように思われた。見上げると二階には回廊があり、小さなテーブルと対面で椅子がいくつか設置されていたので、二人用の指定席なのかもしれない。


店の奥の位置に、四人掛けのテーブルが四台繋げられて設置されていた。その長いテーブルを囲むように座る十五人程の男女がいて、ほぼその全員が私達に向かい「こっちこっち」と手を振っている。私とアメコはその長いテーブルの真中の位置に座るように誘われた。眼の前にテーブルとテーブル間の継目がある。


私はベージュのコートを脱いで壁際のコートハンガーに掛けてから席に座った。アメコは白い上着のボタンを上からゆっくりと外していく。そのコートの中から、黒のゴシック・ロリータ風のドレスが、まるで悪魔の蝶が羽化するかの如く広がり現れた。同級生達や周りの客から大きな歓声が湧き上がる。そしてアメコが軽くステップを踏むと、三人のマリアッチも彼女の足の動きに合わせて演奏の速度を上げていく。


久し振りに着たわよ、と言いながらアメコは私の隣に座った。彼女は昔から自らを演出するのが本当に上手い。今では売れっ子の美人画家としてメディアにも度々取り上げられているけれど、それは彼女の描画力もさることながら、その自己演出の才能の賜物でもあるのだ、と私は思っている。


アメコは美術大学時代、ほぼ毎日ゴシック・ロリータ・ファッションで登校していた為に「ゴスロリのアメコ」として大学では知らぬ者は居ない、という目立つ存在であった。彼女は大学を卒業して画家として作品を発表する一方で、親が経営する誰もがその名を聞いたことのある調味料会社で、事務員として勤務を続けていた。三十代半ばとなった今では、最早この様なイベントでもない限り、ファッションを楽しむ機会がないらしい。


「痛いかもしれないけれど、今夜は許してくれ」と言って彼女は笑った。


* * *


私が二本目のコロナビールを空にしたタイミングを見計らって、テーブルの向かいに座っていたユタニが話し掛けてきた。


「モモカのエッセイ、読んだよ。疫病神の話」


その言葉を聞いた瞬間、アルコールの混ざった私の血液が逆流を始め、頭皮の毛穴を開かせて額に汗を噴き出させた。思わず手元にあったおしぼりタオルで額を押さえる。私は昨年からインターネット上で小説やエッセイを発表していた。特に宣伝はしていなかったので、知人達に読まれることは想定していなかったのである。


大学時代の私は人の心を弄ぶことに対して、罪の意識を感じることが希薄だったのだ。今思うと、脳神経の配線が何処かで断絶していた気もする。湧き上がった感情が、誰もが持っているはずの「道徳観」という検閲を無視したまま通過し、口から解き放たれた言葉が他人を傷付けていたのである。


そのエッセイの中で、私は彼や他の同級生に対しての罪を告白していた。私はそのことが負い目となり、今迄は連絡を受けても今夜のような集まりに参加することを極力避けてきた。しかしその文章を読んだアメコが同級生達に連絡を取り、事実を確認した結果、私の過剰な罪の思い込みであったということが判明したのである。そして今回の忘年会では必ず私を呼ぶ、という流れになったそうだ。事前にそのことをアメコから聞いていた私は遂に参加せざるを得なくなってしまった。


ユタニに対しての罪は二つ、私に好意を寄せていると感じていた彼の前で、別の男性と映画を観に行く約束をしたこと。理由は、動揺する彼の表情を見たかったからだ。そして別のイベントで待ち合わせ時間に遅刻した彼に対して、私は「疫病神」と言い放った。涙ぐむ彼に対して「言い過ぎた」と声を掛けることもなく、終日、怒りの矛を収めなかった。今思えば「疫病神」は私の方だ。


「俺さ、忘れてたんだよ、その話。確かにあの頃のモモカは、言葉は酷かったかもしれないけれど、何て言うか、尖ってたし、こういうキャラクターなのかなって、皆で盛り上がるネタにしていたくらいだしさ、モモカがそんなに気にしてたなんて、逆に驚いたわ」とユタニは笑いながらスモークチーズを楊枝で刺し、口に入れた。


「たまにうなされるんだってな」


「そうなんだよね、悪い事したな、って。御免ね」


「もううなされなくていいよ、そんなレベルの話じゃねえからさ」と彼は二つ目のチーズを頬張った後、奥歯で噛みながら言った。


* * *


何時の間にか隣に座っていたアメコは居なくなっていて、空いた席にシミズという同級生の男が腰を降ろした。彼に対しての罪は、銀座のギャラリーで開かれた私が参加したグループ展で、作品の搬入を依頼していた彼の運転する車が渋滞で指定時刻に大幅に遅れて到着した際に、私は「もっと早く出発すれば良かったんじゃないの」と罵倒してしまったことだ。勿論、彼に非は無い。彼は私に謝り続けたけれど、内心では不条理さに腹を立てていたのだろう。それ以来、彼が私の展示を手伝うことはなかった。私は彼に対して謝罪をしたかったのだ。


「アメコから聞いてると思うんだけどさ、お前の展示の手伝いを断ってたのは、バイトのスケジュールと被ってたからだからな。被ってなければ手伝ってたからな。誤解だから気にするな」とシミズは私の眼を見ながら、ゆっくりと小さな声で家電量販店でスタッフが新製品の機能を説明するかのように語った。


「あの頃って、私、結構ヤバかったと思うし、手伝ってくれたシミズ君に対して、あれは無いよなあ、って」


「ああ、酷いこと言うなあって、あの時は思ったけどさ、でもまあ、モモカだからな、っていうのはあるんだよ。お前、変なことをしても不思議と許されちゃうじゃん」


「何でだろ」


「まあ、悪人じゃないのは解かるじゃん、当たり前だけど。ちょっと気分屋だってことなんじゃないの、だってアメコに対しては滅茶苦茶優しいじゃん」


そうかもしれない、と思った。確かに当時の私は人を選別していた。見下し、雑な扱いをしていた同級生達に対して、アメコの他、サキという大学の傍のアパートに住んでいた映画学科の親友に対しては、同じ周波数を感じていたというべきか、自身と同列に扱っていた。恐らく私の中の一種の差別意識が働いていたのだ。


アメコが席に戻って来たので、シミズと席を入れ替わった。彼女は私にスマートフォンを差し出して言った。


「ヒトミと繋がってるよ」


* * *


ヒトミという同級生は、私より背が低く、穏やかで優しい女性だった。物事を断れない彼女の性格を利用して、私は様々な無理難題を押し付け、ある意味子分代わりに扱っていた。そんな彼女から、ある日、忘れられない言葉を投げ付けられたのである。


「私、あなたのことが嫌い。大っ嫌い」


私の「友人リスト」から外れている彼女にその台詞を言われたところでダメージはゼロだった。彼女に嫌われても構わないと思っていたのだ。しかしそんな私の姿を傍で見ていたアメコは言った。


「あのさ、モモカ、お前、ヤバイよ。何でも自分の思い通りにしようとして、優しい人達を選んで声を掛けてるでしょ。皆が断っても、しつこく食い下がるし。結構、酷いことしてるよ」


私は、誰よりも親しいと信じていた彼女から、そう言われたことに衝撃を受けた。そして私は、思ったのだ。


「アメコには、嫌われたくない」


ある夜、私は大学の傍のアパートに住む同学年の映画学科に在籍しているサキの元に居た。板橋の実家から東京郊外に位置する美術大学までは片道二時間以上を要する為、一週間の内、四日は彼女の部屋に転がり込んでいたのである。半同棲生活を送る間に、私達は最早友人ではなく家族と呼んでも良い関係になっていた。私はサキにアメコから言われたことを話した。


「まあ、確かにモモカは人を選ぶよね」とサキは呟いた。


「そうかなあ」


「私にはモモカはそういうところを見せないし、全然分からないから、アメコさんに相談してみたら。モモカの悪友なんでしょ、きっと考えてくれるわよ」と、悶々としている私に彼女は言って、微笑みを見せた。


次の日から、私はアメコを捕まえては、私という存在をわば「スキャン」する作業を依頼した。彼女に言わせれば、私は「普通の二十歳」ではない。大人の思考を持ちながらも、湧き上がる感情を制御することが出来ない、幼児のまま発達が止まっている部分が共存している状態の人間だった。


「普通の二十歳」は、こんなことを他人に言わない。傷付くから。「普通の二十歳」は、こんなことを他人にしない。迷惑だから。


やがて、自分優先思考の快楽に溺れて、他者の気持ちに寄り添う能力を持たない、ドラマや映画に登場する悪役のような自らの姿が鏡に映る様になった。


最早、カウンセラーの役目を背負わせてしまった彼女との対話を続けた結果、途切れていた脳の神経が繋がったかのように、私はようやくこの世界を正しく認識できるようになった。文字通り「眼が覚めた」と思ったのだ。


その代償として、これまで周囲の人達への酷い行いが夢に出るようになった。私は毎晩、うなされるようになった。


* * *


スマートフォンの向こう側のヒトミの声は、学生の頃よりも少し低くなった気がした。


「モモカ、久しぶり、元気なの」


「あ、元気、元気」


「エッセイ、読んだよ」というヒトミの言葉で、私は再び体温が急上昇する感覚に襲われて一瞬眩暈を味わった。


「あ、御免、ずっと謝りたくて」と私は慌てて声に出した。


少しの沈黙の後、彼女は言った。


「許さない」


私の心臓が止まった。再び動き出すまでにどの位の時間が経過したのか分からない。辛うじて次の鼓動を感じると同時に、ヒトミの声がスピーカーから聞こえた。


「嘘、嘘、冗談」


「死ぬかと思った」


私のことを嫌いと言ったあの日の朝、彼女は両親と大喧嘩をしてしまい、気が立っていたということで、普段では言わないようなことを口に出してしまったのだと語った。私に小間使いのように扱われていたという印象はなく、不器用な私に対して自ら進んで奔走していたのだと言う。


「今日、行きたかったんだけどさ、子供が熱出しちゃって」


「え、お子さん、いるの」


「三歳」


アメコのスマートフォンに送信されてきた可愛らしい男の子の画像を見て、私はようやく笑顔を作ることができた。


* * *


店の前で忘年会が解散する際に、同級生達から今日のことを小説にしろ、と口々に言われた。


それぞれが帰路につく中、私とアメコは明治通りを新宿駅まで歩くことにした。今夜は一人で寝るのが寂しいわね、と言うアメコに私は「そうだね」と呟いた。


「皆、大人になるんだね」


「皆、大人になるんだよ」


「そう言えば、サキちゃんは元気なの」


親友のサキは今、弘前で老舗旅館の跡継ぎと結婚して若女将をしている。


「元気、元気、先週電話したら弘前は大雪みたいでさ、旦那が雪掻きしてる最中に転んで腰を打って、大変なんだって」と私はサキの近況をアメコに伝えた。


「今夜は私の部屋に泊まりなよ、飲み直そう。ウチの会社の試供品を使ってパスタ作るから」とアメコは言った。


「太るね」と返した私のカーキ色のコートの左腕に、彼女は笑い声を上げながら腕を絡ませた。

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