気まぐれ狐の腹ごしらえ
ながつき
其ノ壱「腹が減っては依頼ができぬ」
朝のギルドは、戦場よりも騒がしい。
依頼掲示板の前では冒険者たちが依頼書を奪い合い、受付には報告待ちの列が伸び、酒場からは昨夜の残り酒の匂いが漂ってくる。
怒号、笑い声、金属の擦れる音――
それらすべてを背景音として、彼女はそこにいた。
「……空腹じゃ。」
ぽつりと、独り言。
金色の髪に、狐の耳。
揺れる一本の尾。
その姿を視界に入れた冒険者たちは、一瞬で会話を止め、そっと距離を取る。
――イズナ。
数少ないSランク冒険者の一人である。
幼い見た目に騙される者も多いが――
彼女の歩んだ時間は、並の冒険者とは比べものにならない。
「……今日は、何もしたくないのぅ。」
長椅子に深く腰掛けたまま、依頼掲示板を見るでもなく天井を仰ぐ。
その様子に、受付嬢が恐る恐る声をかけた。
「い、イズナさん……緊急依頼が三件ほど……」
「却下じゃ。」
「は、早いですね!?」
「空腹につき本日依頼はお断りじゃ。」
空腹。それだけで十分な理由だと言わんばかりに、イズナは立ち上がる。
ざわ、とギルドが揺れた。
「おい、今の聞いたか……?」
「今日の魔王軍は運が良いな……」
そんな声を背に、イズナは堂々とギルドを後にした。
向かった先は、街の食堂街。
冒険者御用達の、安くて量が多い店が立ち並ぶ一角だ。
「……ふむ。」
立ち止まったのは、年季の入った木造の食堂。
暖簾にはこう書かれている。
《定食屋・料金変わらず大盛可》
中から漂ってくるのは、
焼いた肉の香り、煮込みの匂い、炊き立ての米の湯気。
「今日はここじゃな。」
戸を開けると、昼前にもかかわらず中は満席に近い。
「お、いらっしゃ――っ!?」
店主が固まる。
「い、イズナさん!?」
「腹が減ったのでな。儂一人じゃが問題ないかのぅ?」
「は、はい!」
即座に一番奥の席が空けられる。
「何が美味いんじゃ?」
「おすすめは、魔牛スタミナ定食です!」
「ほぅ。ではそれを大盛で頼もうかのぅ。」
迷いはない。
ほどなくして運ばれてきたのは、
木の盆に所狭しと並ぶ――
分厚く焼かれた魔牛の肩肉、
香ばしい香りの特製にんにくを使用した醤油ダレがかかっており、食欲を刺激する。
その横には山盛りのごはんと具沢山のお味噌汁。
そして、ちょこんと添えられた漬物。
「……良い面構えじゃ。早速いただくとするかのぅ。」
まずは肉。
箸で持ち上げると、ずしりと重い。
表面は香ばしく、中は赤身がしっとり。
一口。
じゅわ、と肉汁が広がる。
「……ふむ、これは…」
噛むほどに旨味が溢れ、
にんにくの効いたタレが後を引く。
「魔牛は筋が強いが……下処理が良いのぅ。味付けも好みじゃ!」
肉を追うように白米を一口。
「…うむ…やはり、肉には米じゃな!」
続けて味噌汁を一口啜る。
「んむ!この油揚げは実に美味いのぅ!…この漬物のシャキシャキとした食感も良い!」
肉、米、味噌汁、漬物。
箸を止めることなく食べ続ける。
周囲の冒険者たちは、息を潜めて見守っていた。
「……Sランクが、定食を……」
「あの食いっぷり…俺も同じの頼もうかな…」
イズナの箸が止まったのは、皿が空になった時だった。
「…ふぅ。…満腹じゃ。」
尻尾が、ゆらりと満足そうに揺れる。
「美味い飯が食えるとは…今日も今日とて、世界は平和じゃのぅ。さて…と。」
銀貨を置き、立ち上がる。
「また来るぞ。」
「は、はい!いつでも!」
店を出たイズナは、空を仰いだ。
「さて……腹は満たした。」
そして、ギルドで言われた緊急依頼のことを思い出す。
街の方からの騒がしさを感じながら彼女は依頼を―
「……依頼は、まぁまた気が向いたらじゃな。」
受けないのである。
こうして今日もまた、
気まぐれ狐は依頼の解決より先に――
自身の空腹を満たすのであった。
気まぐれ狐の腹ごしらえ ながつき @Daiou1198
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