王座に挑む者たち

@chiseimumei

第1話《玄序篇》王座、初めて現る

玄序界の空には、何の異変も現れなかった。


雷鳴はなく、

天が裂けることもなく、

時代の交替を告げるとされる、伝説の光柱も存在しなかった。


都市は変わらず稼働し、

荒域は依然として荒れ果て、

凡人たちは、何ひとつ違いを感じ取ることができなかった。


だが――

この世界の真の頂点に立つ者たちの眼には、

すべてが、すでに変わっていた。


―――


それは「音」ではなかった。


むしろ、すでに結果が確定した事実が、

拒むことも、無視することもできない形で、

意識の最深部に直接刻み込まれる――

そんな“共通認識”に近いものだった。


――【現在の世界:玄序界】

――【総合承載度:臨界】


たった二行。


だが、それは世界の極限に立つ者すべての動きを止めるに、十分だった。


彼らは理解していた。

これが、何を意味するのかを。


玄序界は、もはや

「これ以上に強い存在」を受け入れることができなくなったのだ。


―――


世界の上限とは、

特定の数値ではない。


それは、複合的な判断である。


個の力。

集団への影響。

文明の規模。

規則への干渉度――


それらが一定の水準を超えたとき、

世界そのものが、排斥反応を示す。


かつて、越界者の末路はひとつしかなかった。


――抹消。


だが今、

規則は新たな処理方法を提示した。


――昇格(飛升)。


―――


飛升は、報酬ではない。


それは、世界が自身の安定を維持するために選び取った、

ひとつの“手段”にすぎない。


強者が去ることで、

世界は、再び呼吸を取り戻す。


だが今回、

規則は即座にそれを実行しなかった。


なぜなら、

飛升という選択肢が出現した瞬間、

本来、起動するはずのなかった判断が、

同時に呼び出されていたからだ。


――【飛升を拒否する】


この選択肢は、

規則の最深層ロジックにのみ存在し、

一度として、実際に使用されたことがなかった。


玄序界の歴史において、

この地点に到達した者で、

なお“留まる”ことを選んだ者は、存在しなかったのだから。


――今日までは。


―――


荒域の奥地。

風砂が、静かに止んだ。


青冥王は、断裂した大地の中央に立っていた。

足元には、まだ癒えきらぬ亀裂が走っている。


それは、彼女が最後に全力を解き放った際に残した痕跡だった。


彼女は理解していた。

自分が、これ以上前に進めないことを。


あと一歩でも力を高めれば、

世界は彼女の存在を排斥し始める。


もう一度、全力で戦えば、

規則は強制的に“消去”を実行する。


飛升の資格は、すでに完全に解放されていた。


【飛升判定を開始しますか?】


カウントダウンはない。

その問いは、ただ静かにそこに存在していた。


規則は、彼女の選択を待っていた。


―――


青冥王は、すぐには答えなかった。


長刀を収め、

その刃を大地に突き立てる。


刀身が、わずかに震える。


そして、彼女は顔を上げ、

あまりにも見慣れた空を見つめた。


「……なるほど」


その瞬間、

彼女は、ひとつの真実を理解した。


飛升とは、

より高き世界への恩寵ではない。


それは、この世界が、

もはや彼女を“支えきれなくなった”という事実に過ぎないのだ。


ならば――


彼女が、去らなければ?


―――


規則は、初めて“停止”した。


それはエラーではなく、

論理衝突だった。


【対象は世界上限に到達】

【飛升条件を満たしています】

【対象は飛升を拒否しました】

【王権判定を開始しますか?】


その選択肢は、

ついに“実行可能”として点灯した。


青冥王は、言葉を発さなかった。


ただ、片膝をついた。


それは、臣下としての跪きではない。


――確認の儀だった。


―――


次の瞬間、

天地は、静寂に包まれた。


壮大な異象は、何ひとつ起きなかった。


だが、世界の境界に触れていたすべての存在が、

同時に“変化”を感知した。


玄序界の「重心」が、固定されたのだ。


新たな規則が、

世界の最下層に正式に書き込まれた。


――【王権確定】


実体を持つ王座は、出現しない。


しかしこの瞬間から、

世界の承載計算は、

ひとりの存在を中心に再構築され始めた。


青冥王は立ち上がる。


気息は暴走せず、

力も、これ以上の突破を見せない。


だが、風はもはや彼女を拒まず、

地脈も、彼女の歩みを阻まなかった。


世界は――

彼女の存在を、認めたのだ。


―――


都市の奥深く。

高楼が林立する中心区。


序君は、落地窓の前に立ち、

規則の“偏移”を、はっきりと感知していた。


それは崩壊ではない。

優先順位の、書き換えだった。


「……最初の王が、現れたか」


彼は理解していた。

これが、何を意味するのかを。


文の道は、まだ最終上限に達していない。

だが、武の道は、先に答えを示した。


武が文より強かったからではない。


――選択した者が、先にいた。


ただ、それだけだ。


―――


遠く。

いまだ、いかなる規則にも標識されていない無名は、

空を見上げていた。


何が起きたのかは、分からない。


だが、確信できたことがある。


この世界は、

ある瞬間から、もはや元の姿ではなくなった。


規則は、

もはや「上へ進む」ことだけを許してはいない。


留まることも、

ひとつの道として、認められたのだ。


その道は――

王座へと続いている。


―――


玄序界の歴史は、

この瞬間、静かに書き換えられた。


宣告もなく、

加冠もない。


だが、すべての者が認めざるを得ない。


王は、すでに現れた。


そして、この瞬間から――

玄序界に残された問いは、ひとつではなくなる。


昇るか、留まるか。

従うか、奪うか。


世界は、ついに選択権を、

すべての者に委ねたのだ。


――誰が、王を名乗るのか。

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