第3話

バスが来るまでの数分が、やけに長く感じられた。


さっきまで乱れていた呼吸も、いつの間にか落ち着いている。


やがて、エンジン音を唸らせながらバスが滑り込んできた。


「どうぞ」


運転手の声と同時に、彼女が一歩下がる。


その仕草が、妙に自然で、育ちの良さみたいなものを感じさせた。


俺の後ろに続いて、彼女も乗り込む。


整理券を取る指先が細くて、思わず視線を逸らした。


――見すぎだ。


空いている座席は、前と後ろにいくつか。


彼女は迷うことなく、後方の窓際に腰を下ろした。


俺はその二つ前、通路側に座る。


近すぎず、遠すぎず。


会話が生まれる距離じゃない。


バスが動き出す。


車内には、さっき自販機で買った飲み物の甘い匂いと、


エンジンの低い振動が満ちていた。


ガタン、と段差を越えるたび、


彼女の長いスカートの裾が、わずかに揺れる。


スマホを取り出そうとして、やめた。


画面を見る気分じゃなかった。


前方のミラー越しに、


彼女の姿が一瞬だけ映る。


目が合いそうになって、慌てて視線を逸らす。


――なんだこれ。


ただ同じバスに乗っているだけなのに、


やけに落ち着かない。


停留所に止まるたび、乗客が少しずつ増えていく。


朝のざわめきに紛れて、


彼女の存在だけが、妙に浮き上がって感じられた。


数駅先。


降車ボタンの音が鳴る。


彼女だった。


立ち上がるとき、ちらりとこちらを見る。


気のせいかもしれない。


「ありがとうございました」


運転手にそう言って、


彼女はバスを降りていった。


扉が閉まる。


ガラス越しに見えた横顔は、


振り返ることもなく、すぐ人混みに紛れて消えた。


……それだけ。


名前も知らない。


どこの学校かも分からない。


なのに。


胸の奥に、小さな引っかかりだけが残った。

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ガチャと指輪が繋いでくれたー俺と彼女たちの不器用な青春物語ー @task7

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